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吉祥寺「エコー珈琲店」の昔の姿2014年07月10日

昭和の終りの十余年を、私は吉祥寺で過ごしました。
当時の吉祥寺は現在ほど商業ビルが多くなく、
大通りから少し入ると、すぐ住宅地でした。
その商業地と住宅地の自然なつながり方がとても気に入っていました。

そして今日思い出したのは、
そんな街にすごく似合っていた喫茶店「エコー珈琲店」です。
吉祥寺東急百貨店の南側の道(昭和通り)を西へ、
住宅街の方へ向かって歩くと、すぐ右手にありました。
現在はタイル貼りの三階建ての建物になりましたが、
私が通っていた昭和の頃は、木造のやや古びた感じの喫茶店でした。
吉祥寺エコー、木造時代
この写真は「エコー」の入口前で1978年(昭和53年)に撮ったものです。
マミヤの二眼レフC220による真四角写真です。

この二年前にニコンF2で店内を撮った写真もありました。
吉祥寺エコー、店内
濃褐色に塗られた木製のリブ壁がとても良い雰囲気でしょう?
また、テーブルに置かれた肉厚のコーヒーカップが、
いかにも当時の喫茶店の仕様です。
このカップは事前に温められて、注いだコーヒーが
いつまでも温かく味わえるように工夫されていたことを思い出します。
当時のコーヒーの香りが記憶に甦るような気がします。
一個の器にも思い出を喚起する力があるんですね。

このお気に入りの喫茶店「エコー」には、買物とかお散歩の最後に、
家へ帰る前に良く寄らせてもらいました。

次の写真は、今のエコーの様子です。
現在のエコービル
二階が喫茶店エコーです。
でも二階へ通じる入口の扉は最近ずーっと閉ったままです。
扉には次のような「お知らせ」が貼ってありました。
休業お知らせ
かなりご高齢のはずのマスターと奥様のご健康が気がかりです。
でも次の写真のように袖看板は残っているし、
窓も換気のために空いているようなので、
お店の再開に向けて準備されているのだろうと期待しています。
現在の看板

さて、先ほどの店内のモノクロ写真を撮った時は、
私がまだ吉祥寺に住み始めたばかりの頃ですが、
この時は何の帰りに寄ったのだったかな?、と先日思い出そうとしました。
普通は、そんな40年近く前の出来事など簡単に思い出せるはずはありません。
でも、同じフィルムの前半にこんな写真がありました。
東急百貨店食器売場

萩焼の急須
この写真で女房が手に取ろうとしている広口急須に見覚えありです。
ということは、引っ越した直後、新たな住まいにふさわしい急須を買いに、
東急百貨店の食器売場に来たという訳ですね。
写真の一部を拡大してみるとこうです。
2,200円の宝瓶
「方瓶、2,200円」と書いてあります。
この取っ手のない萩焼の方瓶(ほうひん、宝瓶とも)が気に入ったようです。
値段も分相応です。
特にわざわざ手前から二つ目に手を伸ばしているところを見ると、
萩焼の特徴である器表面のひび割れ(貫入)の具合が、
一番手前よりも二つ目の方が好みだったのでしょう。

値段の割に形の美しい急須でしたが、当然もう我家には残っていません。
所詮いつかは割れてしまう消耗品ですからね。
でも、この急須、私の記憶にだけではなく、何とアルバムにも残っていました。
しかも次のように3カットもです。
宝瓶写真三枚
これは急須の蓋のつまみにピントを合わせたままレンズの絞りを変えて、
写真がどう変化するかの実験をしたようです。
確かに、右にいくほど暗くなると同時に被写界深度も深くなり、
表面の貫入の模様がくっきりしてきます。
新しい住まい用に購入したこの急須は、
写真の被写体としても活躍してくれた訳です。
実は、二眼レフはこの年に買ったばかりでした。
それでいろんなものを写して遊んでいたのです。

高価な器でなくても、日常使用している食器って色々な記憶と結びついています。
我家では内祝いなどでいただいた器は、その方の名前で、
「おばさまのお皿」とか「○○ちゃんのカップ」とか呼んでいます。

また近いうちに、エコーのカップで美味しいコーヒーを飲める日が来るでしょう。

(追記)
この「エコー」の記事にご訪問くださったtakeさんのコメントによりますと、
エコーのマスターは、もう既に亡くなられていたのですね。残念です。
多くの人に素敵な時間を与えてくださったマスターに感謝しつつ、合掌。

コメント

_ take ― 2014年10月19日 19:26

 信州松本に住む後期高齢者です。 勤務する会社の宿舎が近くにあったこともあり
エコーには昭和32年-40年春までの間、ほぼ毎週ご厄介になりマスターにも懇意にして頂いておりました。今年喜寿を迎え当時のことが無性に懐かしくなり10月初めに吉祥寺を訪れ街中を散策した後、エコーへ参りましたがシャッターが降りておりました。近隣の方のお話ではマスターが2年程前に亡くなり以来店は閉じたままとのことでした。
ガックリして帰路につきました。大きな落とし物をしてしまったような気分でおります。

_ タフちゃん ― 2014年10月20日 01:34

takeさん、今日は、そしてエコーの思い出話、ありがとうございます。
マスターは亡くなられていたのですか。残念です。
街の風景が変わると同時に、登場人物も次の世代に入れ替わっていくんですね。
それは分かっていても、昭和の頃の吉祥寺を思い出すと、
私も何とも言えない気持になります。

_ エイコ ノスタルバーバ ― 2015年01月24日 14:29

ふとその気になって(吉祥寺エコー)を。貼紙を見てエコーマスターご夫妻はどうしていらっしゃるかしら?と思っていました。1970年から3年ほど住んだ時はよく通いました。元々の杉並(西荻窪善福寺)生まれで井の頭公園、動物園は馴染みの場所。結婚して初めて住んだアパートが公園近辺でした。珈琲の美味しさもさること、半泡立ちミルクが独特であ~おいしかったな。マスターが亡くなったことが分かったら、しばしノスタルジーな時間が過ぎゆくままに。

_ タフちゃん ― 2015年01月24日 21:47

エイコ ノスタルバーバ さん、こんにちは。
エコーに井の頭公園、忘れられない人生の1ページですよね。
私も井の頭公園には毎週のように行っていた時期がありました。
そして、エコーのミルクが泡立っていたこと、良く覚えてらっしゃいますね。
あのコーヒーの美味しさを思い出しながら、自分で淹れたコーヒーを飲み、
私も、しばしノスタルジーに浸りたいと思います。

_ 太田 貴之 ― 2020年08月26日 23:33

懐かしい写真を投稿くださいましてありがとうございました。以前吉祥寺の「花俣眼鏡店」に勤めていたいた時、食事の後とか、仕事の後の本を読む時など利用してました。35年位前でしょうか?肉厚のコーヒーカップが印象的で、特に綺麗なお店ではなかったのですが、すごく落ちついていられたのでよく通いました。先日吉祥寺に用があった時寄ったのですが、あの時のエコーではなかったので入らず帰ってきました。

_ タフちゃん ― 2020年08月27日 12:22

太田さん、こんにちは。
「メガネの花俣」にお勤めだったのですか。私も女房も、その名前に何となく記憶があり、調べてみたら馴染みの元町通りにあるお店だったのですね。でも既に閉店されたとか。懐かしいお店が、年月とともになくなっていきますが、色々な方の記憶の中に、今しばし生き続けることが、ちょっと慰めかな、と思います。

_ カツヤ ― 2021年10月02日 20:36

奥さんが吉祥寺に映画行くというので、だったら良く祖父や父に連れて行ってもらった「エコー」お勧めしたところ、こちらにお邪魔しました。
息子さんと思われる方が12、3年前までは引き継いでたと記憶してますが。残念です。ゆとりある席の配置と、確かBGMもなくゆったりした時間が心地良かったです。花俣眼鏡さんのコメントもあり懐かしく。
サンリオもありました。東映映画館のそばに祖父宅があったの(クリーニング店を五日市街道に右折した方)で懐かしく思い出しました。最近は行ってないですが、お店をちょっと入ると住宅街になるのが素敵な街でした。
ありがとうございました。

_ タフちゃん ― 2021年10月03日 22:37

カツヤさん、こんにちは。
お父様もお爺さまもエコーのファンだったのですね。分かります。確かにそんな雰囲気のお店でした。こうして、このブログをご訪問くださる方がいるたびに私も昔のエコーを思い出します。また今夜、夢の中でエコーのコーヒーを飲んでみたいと思います。

_ セイラ ― 2021年12月04日 09:06

こんにちは。以前にこども広場の記事でコメントさせていただいたセイラです。
エコー珈琲店の記事、ありがとうございます。
私の父は吉祥寺育ちで中道通りにあった加藤酒店の息子でした。その後、国鉄の社宅に住んでいました。わたしがタフちゃんさまのお嬢さんの1歳上なので、父と年が変わらないんじゃないかと思っています。
今は認知症で私たち娘のことも覚えていませんが、「吉祥寺にかえりたい、エコー珈琲に行く」とよく言っているので、よほど美味しかったんだと思います。私も幼少期に祖母の家に行ったときや井之頭公園の帰りにエコー珈琲店に連れて行ってもらいました。こどもだったので、アイスクリームを食べていたのをなんとなく覚えています。
父もよく写真を撮っていましたが、何気ない風景の写真はみんな捨ててしまいました。
このサイトを見ていると、当時の父が構えていたカメラの向こうで何を思っていたかなんとなく近いことが感じられるような気がしています。もう聞くこともかないませんが。。
父が帰りたいといっている吉祥寺はちょうどこの時代です。このサイトに来て、このことを言っているのかしらと思うこともあります。懐かしい吉祥寺の写真をあげてくれてありがとうございます。

_ タフちゃん ― 2021年12月04日 13:13

セイラさんお久しぶりです!
酒屋さんの子供だったお父様は本当に吉祥寺っ子だったのでしょうね。しかもセイラさんを育てたのもその吉祥寺となると人生そのもの。
カメラ好きに悪人はいない、と言うのが私の発見した真実なのですが、お父様の気持ちが私にはわかるような気がします。
私の女房も「また吉祥寺で暮らしたい」と良く言っています。そんな簡単に住まいを変えるわけにも行かないのですが、タイムスリップして昔の吉祥寺に戻りエコーのコーヒーを味わえたら、と想像するだけでちょっと切ない気持ちになります。

_ 森 吉孝 ― 2022年11月28日 20:22

吉祥寺神社(八幡宮)の小美野さんについてご存じの方がおいでますか?私の知っている方と同一ならば役者森田さん(あまり有名でなかった)の奥さんの弟さんかも知れません。馬事公苑に連れてもらった記憶があります。

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