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母が軍国少女だった頃(1) ― 2014年08月08日
これは、昭和7年2月29日に栃木県の宇都宮駅で撮影した写真です。
左側が母の長兄で、宇都宮の連隊に配属となっていた軍人さんです。
サーベルを下げて、見るからに立派な軍人さんでしょう?
母は、早くに父親を亡くし、十代半ばの頃、母親も亡くなってしまいました。
そのため、女学校時代の母は、経済的にも精神的にも長兄を頼りにしていました。
母の遺したアルバムの中で、最も数多く登場するのがこの「兄さん」です。
上の写真の添書きには、日付と場所に続いて
「上海出動 宇都宮を去らんとする記念に。兄さんと塚本さん」とあります。
この年の始めに上海で勃発した戦闘が拡大したため(いわゆる第1次上海事変)、
宇都宮の連隊からも兵を派遣することとなったようです。
時期的に同じ頃と思われる写真が数枚ありました。
左側が母の長兄で、宇都宮の連隊に配属となっていた軍人さんです。
サーベルを下げて、見るからに立派な軍人さんでしょう?
母は、早くに父親を亡くし、十代半ばの頃、母親も亡くなってしまいました。
そのため、女学校時代の母は、経済的にも精神的にも長兄を頼りにしていました。
母の遺したアルバムの中で、最も数多く登場するのがこの「兄さん」です。
上の写真の添書きには、日付と場所に続いて
「上海出動 宇都宮を去らんとする記念に。兄さんと塚本さん」とあります。
この年の始めに上海で勃発した戦闘が拡大したため(いわゆる第1次上海事変)、
宇都宮の連隊からも兵を派遣することとなったようです。
時期的に同じ頃と思われる写真が数枚ありました。
これには「週番のひととき、兄と浅河さん」と書いてあります。
このように碁を打って寛いでいる横顔も素敵な兄さんです。
また、鬼怒川で馬に乗っている写真もありました。
このように碁を打って寛いでいる横顔も素敵な兄さんです。
また、鬼怒川で馬に乗っている写真もありました。
この写真では、母はふざけて
「馬に跨がる印度人はうちの兄さん」とコメントしていますが、
当時のフィルムの性状から顔が黒く写っているのを、そう表現しただけで、
本当は「こんな大きな川も馬で渡ってしまうなんて、さすが兄さん」
と感心していたのでしょう。
(インドの方、不適切な表現ごめんなさい)
実際、この兄さんは軍人としての地位が高かっただけでなく、
ハンサムで背も高く、馬に跨がって連隊へ向かう時など、
若い娘の評判になったそうです。
(続く)
「馬に跨がる印度人はうちの兄さん」とコメントしていますが、
当時のフィルムの性状から顔が黒く写っているのを、そう表現しただけで、
本当は「こんな大きな川も馬で渡ってしまうなんて、さすが兄さん」
と感心していたのでしょう。
(インドの方、不適切な表現ごめんなさい)
実際、この兄さんは軍人としての地位が高かっただけでなく、
ハンサムで背も高く、馬に跨がって連隊へ向かう時など、
若い娘の評判になったそうです。
(続く)
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