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・すべてのカメラに名前がある:目次
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デジタルで撮ったアナログな青春「桐島、部活」 ― 2015年05月15日
『桐島、部活やめるってよ』の貸しビデオが家にあったので見てみました。
2012年日本アカデミー賞で最優秀作品賞などを受賞した作品ですね。
一般的な映画評では、
格差社会としての高校生活を描いた映画、ということになっています。
でも高校生の格差って何?と疑問を持ちますよね。
どうも格差とは、簡単に言ってしまうと次のような評価項目の優劣で決まるようです。
・格好良い←→風貌さえない
・運動神経抜群←→運動音痴のオタク
・彼女がいる、モテる←→モテない
実際、映画には典型的な二人の少年が出てきます。
■一人は「宏樹」(東出昌大):
背が高く、ルックスも良く「沙奈」という彼女もいる。
校庭の一角で時間つぶしにやっているバスケでも、
全てのシュートを決めてしまうくらい運動神経が良い。
そんな宏樹の姿を、屋上から毎日盗み見している「亜矢」は
吹奏部の部長をつとめているおとなしめの女の子。
クラスで宏樹の後ろの席にいながら、人知れず思いを寄せているだけ。
こんな宏樹は、格差社会の上位にいる男子なのです。
■宏樹と対照的なもう一人の男子は、映画部部長の「涼也」:
映画オタクで、クラスの女子にとっては関心の対象外。
たまたま映画館でバドミントン部の「かすみ」と一緒になった涼也は、
この映画の趣味で彼女と仲良くなれるかも、と素朴な期待を持つが、
数日後、忘れ物を取りに戻った放課後の教室で、
かすみが他の男子と親密にしている場に出くわしてしまう。
そんな涼也は、格差社会の下位にいるさえない男子。
そして、もろもろの出来事(映画をご覧下さい)のあと、
物語のラスト近くで、次のような場面がありました。
校舎の屋上で部員たちとゾンビ映画を撮影している涼也と、
友人を捜しに上がってきた宏樹が会話を交わす場面です。
涼也が古い8mmカメラを持っていることに宏樹が気が付きます。
2012年日本アカデミー賞で最優秀作品賞などを受賞した作品ですね。
一般的な映画評では、
格差社会としての高校生活を描いた映画、ということになっています。
でも高校生の格差って何?と疑問を持ちますよね。
どうも格差とは、簡単に言ってしまうと次のような評価項目の優劣で決まるようです。
・格好良い←→風貌さえない
・運動神経抜群←→運動音痴のオタク
・彼女がいる、モテる←→モテない
実際、映画には典型的な二人の少年が出てきます。
■一人は「宏樹」(東出昌大):
背が高く、ルックスも良く「沙奈」という彼女もいる。
校庭の一角で時間つぶしにやっているバスケでも、
全てのシュートを決めてしまうくらい運動神経が良い。
そんな宏樹の姿を、屋上から毎日盗み見している「亜矢」は
吹奏部の部長をつとめているおとなしめの女の子。
クラスで宏樹の後ろの席にいながら、人知れず思いを寄せているだけ。
こんな宏樹は、格差社会の上位にいる男子なのです。
■宏樹と対照的なもう一人の男子は、映画部部長の「涼也」:
映画オタクで、クラスの女子にとっては関心の対象外。
たまたま映画館でバドミントン部の「かすみ」と一緒になった涼也は、
この映画の趣味で彼女と仲良くなれるかも、と素朴な期待を持つが、
数日後、忘れ物を取りに戻った放課後の教室で、
かすみが他の男子と親密にしている場に出くわしてしまう。
そんな涼也は、格差社会の下位にいるさえない男子。
そして、もろもろの出来事(映画をご覧下さい)のあと、
物語のラスト近くで、次のような場面がありました。
校舎の屋上で部員たちとゾンビ映画を撮影している涼也と、
友人を捜しに上がってきた宏樹が会話を交わす場面です。
涼也が古い8mmカメラを持っていることに宏樹が気が付きます。
涼也は、父親からアナログの8mmカメラを譲り受け、
それを使って映画を撮っているのです。
これには映画部の中でも異論があり、副部長なども、
「フィルム高いし、現像代もかかるし、絵もきたない」
と身も蓋もない意見なのですが、それでも頑固に使い続ける涼也です。
宏樹の「フィルムで撮ると何かいいことあるのか?」との質問に、
涼也はこう答えます。
「どっちだって同じだ、って言う人もいるけど、
でも、ビデオじゃ絶対出ない味があるんだよ、フィルムには。
特別な力っていうか」
それを使って映画を撮っているのです。
これには映画部の中でも異論があり、副部長なども、
「フィルム高いし、現像代もかかるし、絵もきたない」
と身も蓋もない意見なのですが、それでも頑固に使い続ける涼也です。
宏樹の「フィルムで撮ると何かいいことあるのか?」との質問に、
涼也はこう答えます。
「どっちだって同じだ、って言う人もいるけど、
でも、ビデオじゃ絶対出ない味があるんだよ、フィルムには。
特別な力っていうか」
その後、「触っていい?」と言って8mmカメラを借りた宏樹が、
レンズを涼也に向けながら、インタビューのまねごとを始めます。
「監督!将来はアカデミー賞ですか?」
「女優と結婚ですか?」
それに対して、
「それは無理かな」などと答える涼也は本当に生真面目です。
また、
「時々だけど、自分の好きな映画と、自ら撮る映画との繋がりを感じることもあるんだ」
と映画少年としての生き甲斐みたいなものについても言及します。
次に、涼也がカメラを手にして、
逆に宏樹の頭の先から脚元まで、
「やっぱカッコいいね」などと言いながらレンズを向けると、
ファインダーの中の宏樹は何故か落ち着かない表情になります。
「女優と結婚ですか?」
それに対して、
「それは無理かな」などと答える涼也は本当に生真面目です。
また、
「時々だけど、自分の好きな映画と、自ら撮る映画との繋がりを感じることもあるんだ」
と映画少年としての生き甲斐みたいなものについても言及します。
次に、涼也がカメラを手にして、
逆に宏樹の頭の先から脚元まで、
「やっぱカッコいいね」などと言いながらレンズを向けると、
ファインダーの中の宏樹は何故か落ち着かない表情になります。
そして、自己の内面までカメラに吟味されるかのような状況に耐えられなくなり、
「いいよ、俺は、いいって」と言いながら、急に泣き顔になります。
格差社会の下位にいたはずの涼也が、
上位にいたはずの宏樹に向かって「大丈夫?」と心配そうに声を掛けます。
ここで気が付きました、映画の主人公は実は涼也だったんですね。
そしてこの映画は、高校生活の中の人間関係とか格差とかが、
実にアナログ的というかファジーなものであることを感じさせます。
映画評論はそれくらいにして本題に移ると、
8mmのフィルムカメラって、涼也が言うような「特別な力」が本当にあるのでしょうか?
我家にはまだそのカメラが残っています。
「いいよ、俺は、いいって」と言いながら、急に泣き顔になります。
格差社会の下位にいたはずの涼也が、
上位にいたはずの宏樹に向かって「大丈夫?」と心配そうに声を掛けます。
ここで気が付きました、映画の主人公は実は涼也だったんですね。
そしてこの映画は、高校生活の中の人間関係とか格差とかが、
実にアナログ的というかファジーなものであることを感じさせます。
映画評論はそれくらいにして本題に移ると、
8mmのフィルムカメラって、涼也が言うような「特別な力」が本当にあるのでしょうか?
我家にはまだそのカメラが残っています。
私がこれを使っていたのは30年以上前のことです。
今では「フィルムないし、現像できないし、動画ならスマホで十分」ですから、
この8mmカメラには全く出番がありません。
「特別な力」を確認することは出来なさそうです。残念。
ところで、この映画はフィルムで撮影されたのでしょうか?
答えは、ノン、です。
監督の吉田大八さんは、あるインタビューの中で「フィルムなのかと思っていました」という質問と感想に対して次のように述べていました。
「僕はこの映画で4本目ですけど、フィルムで撮ったのは『パーマネント野ばら』(10)だけです。以前は僕も前田(涼也)みたいなことをいつも言ってたほうなんですけど。CMの現場でもフィルムかビデオかっていう議論はここ10年くらいよくあって、でも技術が変わっていくうちに、自分の中にあったはずのフィルムへの拘りがどんどん擦り減っていって。仕方ないというよりは、あんまり問題にならなくなってきたのが正直なところです。もちろん、フィルムとは絶対的に違うんだけど、あくまでも僕の中のプライオリティが変わってしまったという意味です。前田はやっぱりマニアだし、彼らのこだわりっていうのはそれ自体がそれに関わる根拠だったりしますよね。映画部が絶対に譲りたくないであろうディテールの象徴としてフィルムを、自分のかつての実感をベースに使ったんです。」
私自身も、銀塩フィルムもデジタルも楽しんでしまう方ですが、
最近のカメラは、素材が良くないのか、デザインが未熟なのか、
昔のような「特別な力」がないことは確かですね。
心底惚れ込まずにはいられないようなカメラが売り出されないかな。
今では「フィルムないし、現像できないし、動画ならスマホで十分」ですから、
この8mmカメラには全く出番がありません。
「特別な力」を確認することは出来なさそうです。残念。
ところで、この映画はフィルムで撮影されたのでしょうか?
答えは、ノン、です。
監督の吉田大八さんは、あるインタビューの中で「フィルムなのかと思っていました」という質問と感想に対して次のように述べていました。
「僕はこの映画で4本目ですけど、フィルムで撮ったのは『パーマネント野ばら』(10)だけです。以前は僕も前田(涼也)みたいなことをいつも言ってたほうなんですけど。CMの現場でもフィルムかビデオかっていう議論はここ10年くらいよくあって、でも技術が変わっていくうちに、自分の中にあったはずのフィルムへの拘りがどんどん擦り減っていって。仕方ないというよりは、あんまり問題にならなくなってきたのが正直なところです。もちろん、フィルムとは絶対的に違うんだけど、あくまでも僕の中のプライオリティが変わってしまったという意味です。前田はやっぱりマニアだし、彼らのこだわりっていうのはそれ自体がそれに関わる根拠だったりしますよね。映画部が絶対に譲りたくないであろうディテールの象徴としてフィルムを、自分のかつての実感をベースに使ったんです。」
私自身も、銀塩フィルムもデジタルも楽しんでしまう方ですが、
最近のカメラは、素材が良くないのか、デザインが未熟なのか、
昔のような「特別な力」がないことは確かですね。
心底惚れ込まずにはいられないようなカメラが売り出されないかな。
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