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下落合図書館と介護保育施設2016年03月03日

先週、下落合の薬王院周辺を散歩している時、
ふと「中央図書館跡地に下落合図書館が着工!
のその後がどうなっているか気になり、行ってみました。
薬王院から図書館跡地は直ぐ近くです。
新目白通りに出ると丁度歩道橋があり、その上から工事現場が見渡せました。
新宿区中央図書館跡地
クレーンが数本立っていますね。

現地に行って、警備のおじさんに中を見せてもらうと、こうでした。
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この写真で奥と右側、型枠や鉄筋がひしめいているところが図書館部分です。
その手前の地面に鉄板が敷いてあるところが介護保育施設部分で、
こちらの方は、あらかじめ鉄骨柱を工場で造っているので、
柱が立ち始めると工事の進みは早く、図書館より先に完成するそうです。
昨年ブログに記事を書いた時は、
介護保育施設の「計画立ち消え」の噂もありましたが、
約7〜9ヶ月の遅れだけで物事は動き出したようですね。

警備の方がおっしゃるには、
「昔この図書館、良く使ったのよ。早く新しいのできないかしら」
と期待して声を掛けていく人が多いらしいです。

お知らせ看板は、両施設分、二枚出ていました。
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そしてこの現場、面白いことに、
クレーンなどが出入りする大きな入り口も二つ並んでいます。
建設会社が別だからなんでしょうね。
中は一緒で玄関が二つの二世帯住宅みたいです。

「この前、雑司が谷を散歩した時は工事中の老健施設があったな」
(追加:次の写真二枚、北からと南から)
老健パノラマ

老健
などと思いながら駅の方へ歩いて行くと、こんな施設もありました。
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介護付き有料老人ホーム。
もともとは小学校だったらしい。

下落合も黄昏時?
いや、保育施設も増えているのだから、そうとも言えないな。
まあ、介護施設も保育施設も、絶対数が足りないですね。
そういえば、一昨年の暮れ、
娘の保活に同行して、新宿の保育園を幾つも下見したことがありました。
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これは区役所へ書類提出に?行った時の親子の写真。
(抱っこバンドにもう一人の幼児あり)
結局、新宿には住まなかったので不要になりましたが、
保活の大変さを思い知りました。
最近ネットで話題の「保育園落ちた日本死ね!」に私も大いに共感。

32年前の冬の井の頭公園(1)井の頭池2016年03月05日

1984年の元旦に、カメラ二台を抱えて井の頭公園に散歩に行きました。
その時の写真に写った風景が、現在どうなっているか比較してみたいと思います。
記憶と写真を手掛かりに、撮影場所をどこまで特定できるか挑戦です。

私の自宅は吉祥寺駅の北西にあったので、
井の頭公園へは吉祥寺通り(旧称公園通り)側からアプローチしたはずです。
連れ込み旅荘「和歌水」のあたりですね。明快です。
と思ったら最初からつまづきました。
32年前の井の頭公園お散歩
池が写っていて、光の差す方向も明らかなのに分からない。
まあ、池の周辺って皆同じようだし、
だいたい園路や植栽も変わっているでしょうから無理もない、とも言えます。

一旦諦めて、公園のその他のエリアを2時間ほど散策した後に、
やっぱり諦めきれずに戻ってきました。
そして、この昔の写真を再度じっと眺めて、
写真中央右手に写っている石杭に着目しました。
拡大するとこうです。
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普通の柵杭とは明らかに違った特徴を持っています。
これを頭の隅に置きながら、和歌水のあたりから池に近づいてみました。
そして発見!
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次の石碑へ案内するためのガイド杭だったんですね。
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野口雨情
『鳴いて さわいで 日の暮れごろは 葦に 行々子(よしきり) はなりゃせぬ』
注)行々子(よしきり)とはスズメに似た鳥で
  葦(よし)の生えている所を好むそうです。
  鳴き声はギョギョシ(行々子)って聞こえるらしい。
結局、最初の写真に対応する現在の風景はこうでした。
01a

そのあと数枚は簡単でした。池の縁を歩いているだけですから。
昔と今の写真を並べてみます。
02

02a
園路奥の植樹帯と、旅荘和歌水への階段の位置関係がキーポイントでした。
昔も今も同じでしょう?
写真左にパーゴラが見えているのも同じですね。

同様に、次も簡単。
03

03a
これは「七井橋」を先に渡り始めた私が、
遅れて園路を歩く子供たちを望遠で撮影したものです。

次は、七井橋に到着した子供達と、現在の風景。
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04a
橋の材質・形状が変わっています。
今の写真でちょっと残念なのは、かいぼり事業で池が干上がっていること。
現在「天日干し」状態で、この後「湛水」して池の景観を復元するのですが、
桜の季節に間に合うか心配。

橋を渡り終わったところの狛江橋手前で女房が撮影。
05

05a
ボート乗り場の売店が右手に、左手には桜の老木があります。
そして売店の庇の上には「(井)」のロゴがありました。
現在はもちろん「○1○1」になってますね。
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昔の撮影地点を現在の地図にプロットしてみました。
プロット図修正

続く

32年前の冬の井の頭公園(2)水生物園2016年03月07日

前回)からの続きです。

32年前の井の頭公園お散歩2
この写真は「弁天橋」を渡って、
水生物園の西側入口(弁天門入口)に向かって歩いているところです。
写真奥にネットフェンスと通用口が見えているので明快です。
現在も次の写真のように同じ状況でしょう?
06a

次の二枚は入口前の広場です。
左に動物園への階段。右に管理事務所が見えています。
木造?瓦棒葺きの素朴な建物で、鋼板屋根の赤色が良い雰囲気です。
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現在の状況はこうです。
08a

次は御殿山方面への園路を歩いている写真。
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写真左奥へカーブしている舗装路の線形と排水口格子蓋に注目。
現在も同じです。
09a

昔の撮影地点を現在の地図にプロットしてみました。
数字の[6]から[9]です。
井の頭公園案内図2

さて、この日の撮影機材は次の二台でした。
二台のカメラ
右の”ニコンF2+105mm”で撮り始め、途中で気分を変えるためなのか、
前回記事の最終写真から左の”オリンパスXA2”に移っています。
このXA2、以前の記事でも触れましたがスナップに最適でした。
XA2
レンズの左側に3点式の距離レバーがあるでしょう?
閉じていたカバーを開くと、必ず中距離(全身像のマーク)設定に戻ります。
いわゆるパンフォーカスですね。
そして、カメラを構えてファインダーを覗いたまま、
右手の中指でレバーを下(上半身のマーク)に下げると、
近距離にピントが合います。
咄嗟にそうして撮ったのが次の写真。
近くにピント
娘にピントが合って、後方の足だけの人物はボケています。
これが逆だったらがっかりです、
って自慢げな私の上半身の影もしっかり写真に写っています。

続く

32年前の冬の井の頭公園(3)御殿山2016年03月10日

前回)からの続きです。

井の頭公園の勝手な区分名称
我が家では「井の頭恩賜公園」を三つに分けて、それぞれ
「公園」、「西園」、「動物園」と勝手に呼んでいました。
でも、丁度その真ん中に、「名無しのエリア」がありました。
他のエリアのように、池とか競技場のトラックとか動物園とか、
特徴的なものが何もないエリアなので、特に呼び名を付けなかったんです。
今回は、そんな何の特徴もない場所で撮った写真の話です。
とりあえず、そこを「御殿山」と呼ぶことにします。

次の昔の写真は、公園内の水生物園から、スロープと階段を上がって、
まさに御殿山に出てきたところ(のはず)。
01
樹木も園路も、この後の32年間で成長・変化しているので、
似た雰囲気のところの現在の写真を撮ってみると、こうです。
01a
結構同じ雰囲気ですね。
「変化の中の同一性」とでも言うのかな。

もう一つ同様の組み合わせで並べると。
02

02a
この現在の写真の方で、中央左に写っているムクノキ?の足元を見ると、
次のようにごつごつ瘤のようになっていて、いかにも老木です。
02b
この樹の32年前の姿は、1984年の"写真11"に写っている樹のうち、
[A][B][C]と記したどれかに違いないと思います。
昔の写真を撮った時に、
子供の背丈に合わせて「傷」をつけておけば良かったかな?

さて、実は今回の公園探索の最大の目的は、
次の写真について、当時の痕跡を探すことでした。
03
無数にある子供の写真のうち、記憶に残る何枚かのひとつです。
ちなみに娘が乗っている柵杭(支柱)は、PC製の擬木です。
擬木は腐ったりしないので、ひょっとしたら32年後の現在も残っていて、
しかも娘の靴の足跡なんかも付いたままだったら(さすがにそれはないか)
面白いなと考えたわけです。
でも、現在の井の頭公園では、支柱は本物の木の丸太になっていました。
そして、園路の形状変更に伴い、当然、柵の位置も変わってますから、
昔の撮影地点も、特定不可能です。残念です。
と一旦は諦めながら、そこからもう一度執念深く調査する性格が偏執狂的。
そこで「写真みずからに語らしめよ」の鉄則に立ち戻りました。
写真右上の青い屋根のような物、最初は民家の屋根の一部かと思っていましたが、
これをルーペでよく見ると、何とこれは手すりでした。
そして、その下にはコンクリートのごつい柱が二本ありました。
03a
この拡大写真で黄色のタクシーが見えることからも分かるように、
これは吉祥寺通りをまたぐ歩道橋でした。
となれば、問題はほぼ解決。
現在の様子を写すと次のようになります。
03b
今回の調査で活躍したのは、次の歩道橋「ごてんやまはし」。
03c
32年前の住宅地図と同じ位置に同じ形状で存在しています。
掛け替えられてはいないのかもしれません。
そう思って見ると、手すりはアルミの新品になっていても、
コンクリートの本体は表面を化粧し直しただけのようにも見えます。
とすれば、この橋はここで何十年も頑張っているのでしょうか?

さて、この御殿山エリアには、
中央を南北に貫く「井の頭公園通り」が通っています。
03d
1984年も、このガードレールの切れ目を通って西側のエリアに行き、
そこで撮った写真が次です。
04
光の方向と、遠くに写っているガードレールから、この場所が判別できます。
写真左には、朱色の和装の女性とその母親らしい人物が、
ガードレールの切れ目に向かって歩いています。
いかにも元旦の風景ですね。
その割には我が家はおめかししていませんが、ご近所ですからいいんです。
この場所の現在の様子はこうなっています。
04a
この景色も「変化の中の同一性」ですね。

撮影地点を現在の地図にプロットしてみました。
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さて、今回の探索の主目的、
「娘がカカシになった柵支柱を見つけ、昔の井の頭公園での一日を懐かしむ」、
という目論見は完全には果たせませんでしたが、
その代わりに、地元っ子でしょうか、「ほたる橋」の近くで、
お茶目な芸を見せて私を楽しませてくれた子供達がいましたよ。
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(終り)

オリンパスOM1のメイクアップ2016年03月13日

ちょっとみすぼらしい”オリンパス OLYMPUS OM1”を入手しました。
ジャンクのオリンパスOM1
露出計不動のジャンク品ということで、1,400円でした。
ジャンクでも人気のあるこの機種としては破格の安値です。

先日”オリンパス OLYMPUS OM10”への浮気がうまくいったので、
オリンパスづいてしまいました。
そして私の好きなのは、やっぱりフルメカニカル機、つまり”OM1”のはず。
でも、浮気の延長にお金をつぎ込むのは、ちょっともったいないので、
とりあえずお金をかけずに、ジャンク品で遊んでみることにしたんです。
カメラを手に取り、巻き上げてシャッターを切ると、案外まともな感じ。

次の画像は、ブラウン管を使った簡易チェック法を行っている所です。
1/1,000秒もそれなりに切れているようです。
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電池を入れて露出計をチェックしてみると、これはやはり「不動」。
商品説明通りでした。残念ですが、別に必須でないからOK.
次に、レンズをつけて稼働のチェックを、と思い、
OM10に付いていた標準レンズを外してOM1に付けました。
でも、ファインダーを覗くと「あれ?、何か変だな」
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視界がやけに狭いです。
「以前、別の一眼レフの修理をしている時に、
 似たような景色を見たことがあったな」
と感じて、昔の記憶を辿ってみると、
「そうだ、フォーカシングスクリーンを取り付けるのを忘れた時だ」
と思い出しました。
それで、マウント側から中を覗いてみたところ、
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プリズムの下面が直に見えているようです。
次のようにスクリーン枠を降ろしてみると、からっぽ。
やっぱりスクリーンがありませんでした。
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結像するスクリーンがないのだから、
ファインダーを覗いても、像が見えるはずがありませんね。

しかし、ここで慌てず、ネット情報などを良く調べると、
OM1には、OM10のファインダーが流用できるようです。
違いは、OM10用はスクリーン交換用のタブが付いていないこと。
その分、扱いは難しいですが、傷を付けないように丁寧にやれば大丈夫。
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こうして、レンズとスクリーンを装着したOM1を覗いてみました。
次のように、まだ若干の埃が残っていますがクリアな画像です。
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OK!です。
そして、嬉しいことに、
このビュー画像左下の指針が示すように、露出計も動くようになりました。
スクリーンが付いてないと正しく機能しない測光方式だったんですね。
シャッタースピードと絞りを、適正に組み合わせれば、
指針も「+と-の中間の適正値」を示します。
(規格電圧と差があるので、フィルム感度を半分にして適正値が得られました)

死んでたはずの露出計の生存は、スクリーンの欠落を補って余りあり。
でも、こんな幸運に巡り会うと、
単なる解体遊びとして無目的にカメラをバラすのではなく、
この機種を甦らせる方向での修理を目指すことになっちゃいます。

そして、その蘇生のための修理で第一に取り組んだのは、
OM1の持病として有名な「プリズム腐食」対策です。
プリズムの銀蒸着が劣化してファインダーが見苦しくなる病気です。
現在どんな状況か確認するために、軍艦部を外しました。次の写真です。
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ペンタプリズムの接眼部の上側に、劣化したモルトがありますね。
これを取り除いて、プリズム単体を取り出したのが次です。
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モルトが粉状になって後ろ側にこびりついていますが、軽症です。
というよりも、粉状になったモルトを拭き取れば、無問題でした。
蒸着面まで侵されてはいませんでした。

当初、ジャンクカメラのはずでしたが、案外良品かも?
ここまで来たら、「マイフェアレディ」のように、
オリンパスOMシリーズの初代機として、
見苦しくない姿にメイクアップしてあげたくなりました。

続く