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フェラ岬の至高ホテル(1)メトロポール2016年08月01日

(前回の鷲の巣村のエズ)からの続きです。

日本がバブルに沸き立っていたあの頃、
モンテカルロのホテルを出発して次の宿泊地へ移動する日の私たち、
せっかくですので、コートダジュールのリゾートの雰囲気に染まって、
ヨーロッパの金持ちの真似をすることにしました。

となれば、スーツケース抱えてバスを乗り継ぎ、
というわけには行きませんから、車をチャーターしました。
ホテルの玄関に迎えに来たのは、ドイツ人の運転手付きのメルセデス。
料金は1日拘束で2,000フラン(まだユーロではありません)、
ということは日本円にして4万円くらいでしょうか。
その車で最初に立ち寄ったホテルがここです。
ホテルメトロポール玄関
ホテル「メトロポール METROPOLE」。
玄関に車を横付けしたところが次の写真です。
メトロポールのベンツ
安物のレンタカーでは来られない雰囲気です。
場所は"ボーリュー・シュル・メール Beaulieu-sur-Mer"
かつて欧州の王侯貴族たちが別荘を構えた土地の一つだそうです。
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ホテル内部はこんな雰囲気でした。
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上品な老夫婦がテラス席でビールを飲んでいました。
時計を見ると丁度お昼の12時です。
私たちも、オープンエアで昼食をとることにしました。
ところが、レストランの方が言うには、
昼食のサービスは12時45分からだそうです。
心に余裕のある方は、ここで約一時間ほどのんびり待つのでしょうが、
(せわしない日常に染まっている私たちは)
何とか頼んで、直ちに「クラブハウスサンド」を作ってもらうことにしました。
その強引さは、今思い出せば恥ずかしい限り。

そして、まだ他のお客様のいない海辺のテラス席で、
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地中海を眺めながらパクついたサンドイッチ。
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「どうぞごゆっくり召し上がれ」とサンドイッチが私たちを諭すように、
この上なく美味でした。

ホテルの客室を見上げたら、建物とヤシの木が青空をバックに印象的でした。
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この至高の風景は記録にとどめなければと、"Minolta α7700i"でパチリ。
そしてこう思いました、
「次は金と暇ができてから来よう」。

今回、この記事を書くためにメトロポールのHPを確認したら、
27年前に私が感激した風景がHPの表紙として使われていました。
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当時の私、サンドイッチの件はともかく、
美しい風景に感動する心は、合格点をもらえたかな?

続く

フェラ岬の至高ホテル(2)ドゥ・カップ・フェラ2016年08月05日

前回)からの続きです。

27年前の夏、"ボーリュー・シュル・メール Beaulieu-sur-Mer"の次に訪れたのは、
"サン・ジャン・カップ・フェラ Saint-Jean-Cap-Ferrat"です。
このフェラ岬もボーリューと並んで、
欧州のセレブたちが別荘を構えるリゾート地だそうです。
こんな場所です。
紺碧海岸フェラ岬の別荘

「世界的な金持ちの別荘ってどんなものなの?」という興味から訪れました。
ただし、このエリアについては何も知らなかったので、行き当たりばったり。
当時の日本では、この地の観光情報など入手不可能でした。
例えば、20世紀初頭に建てられた「ロスチャイルド邸」なるものがあって、
こちらは見学も許されているらしいのですが、
何故か15:00までお休み、ということで見られませんでした。
というよりも、フェラ岬は観光客向けの場所ではないので、
ガイドブックで紹介しても何の意味もなかったのでしょうね。

まあ、しょうがないので岬の先端近くの適当な場所に車を止めて、
周辺の別荘を徒歩で、行き当たりばったり、外観だけ見て回りました。
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その私の姿は、客観的に見れば明らかな挙動不審者でした。
実際、ある別荘の玄関近くでカメラを構えていた時は、
屋敷の中から"Qui est ?"とか何とか、女性の声が聞こえました。
多分、外の気配を訝しんだ住人が、
「どなた?誰か外にいらっしゃるの?」と問い質した風でした。

そんな挙動不審を繰り返しながら、緩やかな下り勾配の道を歩いて行くと、
急に視界が開けて、その先に地中海が見えました。
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そして、そこには何とも魅惑的な光景が出現!!
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岬の先端に、お立ち台がありました。
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樹木も岩肌も自然のままの荒々しい崖上に、
バラストレード(装飾欄干)で縁取られたお洒落なお立ち台でした。
そこから見下ろす地中海は、まさに別世界。
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しかも、その別世界を独占的に楽しんでいるのは僅か2・3人の若者だけでした。

そして、お立ち台から、海とは逆方向を眺めると、
そこには、白い衣装のエレガントな貴婦人のような建物が見えました。
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お立ち台から門と庭園を通って建物の中心まで、見事なシンメトリーです。
しかも、堅苦しい感じはまったくないんです。
「こ、こ、ここは何処?、これは何?」と思いましたよ。
その美しい庭園の中に、思わず引き寄せられましたが、そこまで。
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ちょっと、心の準備ができていなかったので、
この別世界にずけずけと入って行く勇気が持てませんでした。
(それに、見て回る時間も確保していなかった)

帰り道に、この庭園の反対側に回るとどういう建物か分かりました。
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"グラン・ホテル・ドゥ・カップ・フェラ Le Grand-Hotel du Cap-Ferrat"。
名前からして何となく格調高いです。
こうして「お金と暇ができたら泊まりに来よう」と思うホテルが、
また増えてしまいました。

この話には若干の後日談があります。
5年か10年くらい経った頃でしょうか、
このホテルが日本人の手に落ちていたことを知りました。
「ホテル志摩石亭」などを持つサザレグループが購入したそうです。
私は、ものすごく驚きました。
あのホテルの価値を見出しただけでなく、
それを自分の所有物としちゃった日本の企業家がいたのだ、
と驚くと同時に、ホテルの行く末に不安を感じました。
理由はうまく言えないですが、文化的な素地が違いすぎるような気がしました。
まあ、簡単に言うと、
「成金が貴婦人を手に入れても、やっていけるの?」というやっかみでしょうか?

果たして、サザレは倒産し、貴婦人は、また売られる身となりました。
今は、「フォーシーズンズ ホテル&リゾート」の一ホテルとなっています。
ワールドワイドなホテルチェーンの傘下に入ったわけですね。
そして、ホテルの売り文句を見ると、
「....客室には、USBやBluetooth接続付きのドッキングステーション、ミニバー、液晶テレビ、エアコンが備わっており、....無料Wi-Fiを利用できます」
とありますが、「これもちょっと違うんじゃないか?」と思います。
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続く

36年前の遠足はどこへ?2016年08月09日

家族の写真を整理する時に難儀するのは、他人から頂いた写真です。
その中でもたくさんあるのが保育園から頂いた写真。
例えば次の写真もそうです。
36年前の草の上の昼食
保育園の遠足でしょうか、みんなでお弁当のおにぎりを食べていますね。
(うちの子だけは、箸入れを食べようとしていますが)
こどもの成長度合いと服装、そして写真の季節感から、
撮影された時期は1980年の12月頃かなと推測できます。
しかし、この写真だけでは撮影場所は全くわかりません。

それで、昔の写真の束から、関連しそうな他の写真を探すと、
次のものが見つかりました。
02槻の木広場、小金井公園
こどもの服装、写真の色味などから同じ日に撮影されたものでしょう。
うまい具合に施設の看板が写っていて、解読すると「槻の木広場」と読めます。
また、保育士さんの奥に「パーゴラ」が写っています。
調べると、この「槻(つき)の木広場」は小金井公園にあるらしいです。
長女が通っていたのが「吉祥寺北町保育園」でしたから、
そこから、マイクロバスか何かでちょっと遠出をしたのでしょうね。

しかし、公園のHPにある園内マップには「槻の木広場」が見当たりません。
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それで先日、ドライブがてら現地調査をしてみました。
炎天下の公園を歩き回って、やっと見つけました。
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これって、昔の写真と同じ視点から撮影したにもかかわらず、
当時は若木だった樹木が大きく成長していて、別の公園のようですね。
今度は、角度をちょっと変えて望遠で撮影すると、
次のように広場の名称も、パーゴラの形状も確認できます。
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パーゴラの柱は立派な石貼りでした。
上に乗せた木組みは、雨風で傷んで、何度も更新されているのでしょうね。
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それでも良く残っていてくれました。

それと昔の写真の右下隅に何か構造物っぽいものが写っています。
拡大するとこうです。
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実は、これが何であるかも分かりました。
日時計でした。しかも36年前の姿のままで残っている様子。
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この現在の写真の撮影時分はExifデータによれば12時21分32秒。
日時計の指針の影も、その通りの位置にあるでしょう?
太陽さえあれば、何年間でも正確に時を刻めるんですね。

さて、遠足の関連写真は他にもありました。次の集合写真です。
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もちろん同じ小金井公園で撮影されたものでしょう。
こちらにも、撮影場所の手がかりとなりそうな構築物が幾つか見えます。
でも中央奥の滑り台などは木製っぽいから、雨ざらしだし今は無くなってるかな。
その左手の三本の傘?はどうだろう。
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屋根は金属だろうから、このまま使われているかも知れません。
と思って公園中探したところ、一本だけ見つけることができました。
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かろうじて生き延びた一本だけがひっそりと、
ここでゲートボールを楽しむ人たちに日陰を提供しているんですね。

最後に、探索ついでに人物名の割り出しをします。
これらの写真に登場していたイケメン保育士さんの名前です。
うちの長女は随分と懐いていたようです。
この遠足の約一年後、1981年の秋に、北町保育園の運動会がありました。
吉祥寺北町保育園の昔の運動会
写真中央左で長女がくっついている男性は、髪型などから、
さっきのイケメン先生であることがわかります。
次の写真でも、長女は先生にくっついています。
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そして、Tシャツの裏で名前判明!!
イケメン保育士さんは「かわごえ(川越?)」先生ですね。
この運動会から既に35年も経ちました。
後ろ姿のさかい先生、かわごえ先生、たなべ先生、みなさんお元気ですか〜?

続く

昔の「すかいらーく」と小金井公園2016年08月12日

前回)からの続きです。

保育園の遠足の目的地を確認するために久しぶりに訪れた小金井公園、
あらためてその広さを実感しました。そして、広いだけでなく、
樹木でセパレートされた「○○広場」がたくさんあることも驚きでした。
だから、次の昔の写真は、
1981年12月27日に撮影した同じ小金井公園のものなのですが、
公園のどこの「何々広場」なのかを特定するのは結構むずかしかったですよ。
小金井公園で凧揚げ
この時は、私たち家族四人、車で公園に遊びに来ていました。
写真は、この頃に流行った「ゲイラカイト」で凧揚げをしているところですね。
凧糸を持って走るだけで上昇してくれる優れもののタコでしたが、
長女の脚ではさすがにスピードが足りず、
凧糸を持った長女を私が抱きかかえて走っているところです。

この撮影場所を35年ぶりに特定するために、公園中を歩き回った軌跡が次です。
01
トラックログを記録していたので、歩行経路が一目瞭然です。
そして見つけましたよ。
ヒントは次の写真の「松」です。
偏平松
これと同じ形の松が、昔の写真の左端にもあるでしょう?
というわけで、判明した広場を、昔とほぼ同じ位置から撮影するとこうなります。
03

さて、いつもながら今回も、写真の記録性には感心しました。
先ほどの松の形態の他にも、
例えば次の木製遊具、この名称も分かってしまうんです。
これは「ぼくらのピラミッド」という名称でした。
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それは右奥の説明板を拡大してみて分かりました。
04a
更に次の写真を見て、
ここに写っている遊具がスウェーデン製であることも分かりました。
05
それは、やはり次のように拡大してみたからです。
05a
右に私と長女、左に説明板が写っています。
その説明文にこうあります。
「ここの広場のわたし達(遊具)は、遠いスウェーデンの森から皆さんと遊ぶためにやってきました。わたし達の国では、ルールを守って楽しく遊んでもらっています...」

小金井公園のこども達はルールを守って遊んだと思いますが、
いかんせん木製の遊具は風雨にさらされて、
いつかは朽ち果てるのも自然界のルール。
先日訪れた時、これらの遊具は、実は一つも残っていませんでした。
だから、かつて木製の遊具が置いてあった場所は推測するしかありません。
わたしの推測した場所は次の写真のところです。
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階段や滑り台があり、何となく昔を引き継いだ感じがあります。
かつての「ピラミッド」が「わんぱく山」に化けたんでしょうね。
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わんぱく山の説明板に近づいてみると、次のように中央部のシートが剥がれて、
昔の遊具の配置図が顔を覗かせていました。
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これは、遊具が世代交代するたびに、
新しい配置図のシートを上貼りしてきたことを示しています。
ということは、あと二、三枚剥がすと、35年前の地図が出てくるのかな。

さて、ここまでの写真に登場した私の家族はまだ三人です。
もう一人の次女はといえば、次のような状態でした。
09コウノトリのベビーバスケット
二ヶ月前の10月に、
籠(ベビーバスケット)に入ってコウノトリに運ばれてきた状態のままです。
よほど居心地が良いのか、籠の中でおとなしくしていました。

そういえば、この小金井公園に来る途中でファミレスに寄ったのですが、
そこでも籠の中でじっとしていましたよ。
すかいらーくで
次の写真は、ファミレスでのお昼を食べ終わって、
これから小金井公園に向かうところです。
すかいらーく小金井公園店?
この当時、私は吉祥寺北町の五日市街道に面したマンションに住んでいました。
だから、小金井公園に来るには五日市街道一本を走るだけでした。

先日の探索時、
ついでだから35年ぶりにこのファミレスに寄ってみようと思いました。
私の記憶では、
昔住んでいたマンションと小金井公園を結ぶ一本道の途中にあるはずでした。
それと、ファミレスの駐車場の写真の光と影の方向から分かるように、
街道の北側に位置するお店のはずです。
ところが、先日、五日市街道を走りながら探索すると、その条件に該当するのは、
公園入口から1kmほど東の「ロイヤルホスト桜堤店」しかありませんでした。
「おかしいな〜、ロイヤルホストではなく『すかいらーく』のはずなんだけどな」
というよりもお店の名前は、明らかに「すかいらーく」だったんです。
それは、次の写真で長女が着けている紙エプロンでも明らかです。
すかいらーくの紙エプロン
この鳥さんは「すかいらーく」ですよね。
「閉店して、跡地はマンションにでもなっちゃったのかな」
と自分を納得させようとしても、
どうもモヤモヤ感が抜けず落ち着きませんでした。
こういうのは、日にちを置くと解決するもので、翌日になって閃きました。
「途中ではなく、どうせ車で行くのだからと、
 ちょっと先まで足を延ばしたのかもしれない」
そして(再度ドライブする暇はなかったので)Google地図で探すと、
公園入口を通り過ぎ、西へ1.5km行った所に「ガスト小平回田店」がありました。
ガスト小平回田店
「ガスト」は「すかいらーく」グループの一カテゴリーです。
昔のすかいらーくと比べると外装の色使いが変わっていますが、
敷地も含めた全体のつくりが同じだし、
軒先幕板の構成(三枚の金属板)などはそのままですね。

こうして、やっと見つけたガストですから、いずれ訪問しなければなりません。
今度行く時は、半年前に生まれた孫娘を籠に入れて、連れて行くかな。

(終り)