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年越しそばを売る少年2017年01月01日

「今年」は買いましたよ。
ついさっき、もう「去年」になってしまったけど。
年越しそば
年越しそばです。
この少年達から買いました。
少年達
毎年、大晦日にはこの街角を通り過ぎて、
「遊び盛りの子がお手伝いしているな」
と感心して、スナップ撮影するだけだったのです。

例年のように、少年達にカメラを向けたら、
「年越しそばはいかがですか?だし巻き卵もありますよ!」
と声をかけられました。
勢ぞろい
フィルムカメラでの Walk & Shoot の途中だったので、
「帰りに寄るからね」と返事しておきました。
そしたら「ホントですか!」と期待にはずむ声。
帰りに寄らないわけにはいかないですよね。

そして、30分ほどして、また通りかかると、
女性のお客さんが買い求めているところ。
売れてる!
他人事ながら、売れていると嬉しいですね。

我が家では、女房がすでに別口で必要数を買っているはずなので、
私も一つだけ「ゆでパック」を買い求めることにしました。
お店で茹でてパックに詰めるまでの10分間ほど、
私はこの街角にしばらく佇むことになりました。
そしたら少年が、お店から熱いお茶を持ってきてくれました。
少額購入の客にしては思わぬサービス、びっくりです。

その間に少年達のお母さんが自転車で帰還。
茶髪のイキな雰囲気の女性でしたが、
ママではなく、母ちゃんでもなく「母さん」と呼ばれていました。
何となく育ちが良さそうな呼び方ですね。
(ちなみに我が家では「お母ちゃま」と言わせていました)
商品を受け取って、最後に記念撮影。
記念写真
彼らの「母さん」からは
「良いお年をお迎えください」との丁寧なご挨拶をいただきましたよ。
来年も買うことになりそうです。

これらモノクロ写真の撮影に使用したカメラは、
"フジカ FUJICA GS645"(マニュアルフォーカス)

ちなみに一年前の大晦日の写真は次。
"カメラはフジ FUJI GA645Zi"(オートフォーカス)
去年

二年前の大晦日は次の写真でした。
カメラは"ハッセルブラッド Hasselblad 500C"
一昨年

大晦日の池袋walk_&_shoot2017年01月03日

大晦日恒例の池袋街角スナップ。
前回の「年越しそばを売る少年」の撮影が主目的なのですが、
それ以外に撮ったのは次のような写真。
・鬼子母神参道で飛び跳ねる少年
鬼子母神参道で飛び跳ねる少年

・大晦日の鬼子母神
大晦日の鬼子母神

・東池袋の交差点
池袋の交差点

これで手持ちのブローニーフィルムは終了。
次に買えるのは競馬で儲けた時です。

吉祥寺パルコ前の昭和の少女達2017年01月05日

1989年3月25日の写真が何枚かありました。
青山こどもの城の少女達
1989年と言えば、この年1月に昭和天皇が崩御され、
元号が昭和から平成へ改められた年ですね。
「そんなこと私達には関係ない」とばかりに、
ピースサインで写真に収まっているこの少女達は、
我家の長女とその仲間、全員昭和生まれの10歳です。
仲良し同士でどこかへ遊びに出かけた時の写真と推測されます。
「撮影場所はどこかな?」との疑問を解決するために、
彼女達の後ろの看板を拡大して眺めてみると、
斜め上向き矢印の右側の文字が「青山劇場」とかろうじて読めるので、
ここは青山の「こどもの城」であることが分かりました。

こういう写真は、
撮った直後こそ焼き増しされ配られて、
楽しい記憶を仲間内で共有するものですが、
その後は打ち捨てられ、
大人になる頃には、引き出しの奥深く埋没するのが常です。
それでも、たまたま私のような物好きが手にすれば、
それを眺めて、あれこれ楽しく考察するのですから、
写真はとっておくものですね。
また、今回は写真とフィルムが一緒になっていたので、
撮影カメラの所有者は我家の長女と考えられます。
ということは、そのカメラは、
この写真の3ヶ月前に新宿のさくらやで買い求めた
保証書
"ニコン ピカイチ ルポ2 Nikon RD2"
ニコンピカイチ使用説明書
のはずです。

さて、フィルムと写真を見比べれば、撮影された順番が分かります。
次の写真は、最後から4枚目の写真でした。
28年前の吉祥寺パルコ前で
大写しになった4人がピースサインをしています。
普通であれば、これも青山の「こどもの城」かその近くで撮った写真、
と思うのでしょうが、私にはちょっと閃くものがありました。
それは、彼女達の後ろに写っている店舗と、
そこで用いられている曲面ガラスです。
見覚えがあるのです。
そう、"吉祥寺 パルコ PARCO"の1階のコーナーですね。
ここの交差点は、ほとんど毎日、何年間も通っていたので、
昔のこととはいえ何となく記憶に残っていたのです。
ちなみに現在の様子も次の通り、変化なしです。
パルコのガラス
間違いないでしょう?

ということは、
この日の彼女達の行動を読み解くと次のようになります。
武蔵野市立第一小学校の同級生の女の子達、
盛り場といっても吉祥寺しか知らない「多摩っ子」です。
その子達が、春休みにプチ遠出を企画しました。
行き先は、以前、父に連れて行ってもらった「こどもの城」です。
そこは、トンネルくぐり、など楽しい遊び場がたくさんあります。
こどもの城のトンネル
そして1日遊んでから地元の吉祥寺へ戻って来て、
パルコの前で、またピースサインで記念撮影をしたのでしょう。
それが先ほどの写真です。
そして、撮影順からいうと、その次に撮られたのはこれでした。
28年前の吉祥寺ナイン
これも同じ交差点で撮影されたもののようです。
つないでパノラマ写真にしてみましたよ。
平和通り交差点
28年前の風景がよみがえりました。
でも、この風景って、実はほとんど変わっていませんでした。
現在の様子は次の通りです。
現在のパルコと平和通り
違いといえば、アコムの屋上看板がエリアクエストになったくらい。
日々更新される吉祥寺の風景、と思いがちですが、
案外そうではないのですね。
でもこの時の少女達はすっかり大人になって、
お母さんになっている子も多いのではないかな。

ここで使われたカメラ「ニコン ピカイチ」、
もう私の手元にはありません。それなのに、
使用説明書と保証書がなぜか残っているのも、いつものパターン。
せめてと思い、昔の写真の中にピカイチの面影を探したところ、
次の写真がありました。
正月の撮影
拡大してみるとこうなりました。
ピカイチ拡大
確かにピカイチです。
すると、ではこのピカイチを撮ったカメラは何?
というふうに、写真遊びはきりがないです。

続く

吉祥寺の弁天湯2017年01月08日

前回)からの続きです。

今から28年前の3月に、
青山「こどもの城」と吉祥寺パルコ前で友人達との写真を撮った長女が、
その日の最後に撮影したものは、次の二枚の風景でした。
吉祥寺の自宅マンションと桜

吉祥寺の弁天湯の昔の姿
家の近くの五分咲きの桜と、吉祥寺「弁天湯」の煙突です。
何を考えてこんなものを撮ったのかは分かりません。
敢えて言えば、
自分専用のカメラを買ってもらったばかりの小学生にとっては、
カメラで写真を撮る行為自体が楽しいのであって、
その結果として写るものは何でも良かったのではないでしょうか?
必然的に、自分の周囲の風景や人物を撮ることになりますね。
そんな素人カメラマンの気分については、
映画『横道世之介』、フィルム好きは必見!
でも触れたことがあります。

それはともかく、私はこの「弁天湯」に興味を持ちました。
この古びた煙突の時代から更に約30年が経過して、
現在どんな風に変貌しているのか、確かめてみたくなったのです。
まず思いつくのは、目白の多くの銭湯がそうであったように、
1階にコインランドリーを併設したマンションでしょうか。

そして先日、この場所に行って同じ角度から写真を撮りました。
現在の弁天湯
な、何と!
煙突はそっくりそのまま残っていました。
そして、昔の写真で煙突の右に写っていた藤村水泳教室も残っていました。
(昔の写真を次のように補正すると良く分かる斜め壁の建物です)
露出補正
手前に次の写真の新しい校舎が建ったので隠れていますが、
藤村女子
後ろへまわると、こんな風に健在です。
藤村水泳教室
そして、この水泳教室の建物と向かい合うように、
弁天湯の「覗き防止の波板」も、次のように健在でした。
弁天湯の覗き防止
昔の写真にも、これと同じ姿の波板が写っているでしょう。

「これって、何も変わり無いっていう事?」
古い銭湯はマンション化する、という固定観念に取り憑かれた私には
この事態は理解不能でした。
「閉鎖したまま取り壊しの時期を待っているだけでは?」と、
しつこく疑ってみましたが、
入口はシャッターが閉まっているものの、その横には、
正月休み明けの営業案内のお知らせも貼られていました。
弁天湯の入口
これでは、弁天湯がめでたく健在であることを認めざるをえません。
安易にマンションなどに建て替えずに、
風呂屋の営業を継続している弁天湯さんを、
褒め称えなければいけませんね。
そして、こんな点にも着目させられました。
入口から右側に視線を移して撮った次の写真で、
壁の右下に「山本太郎となかまたち」のポスターが貼ってあるでしょう?
政治家ポスター
「へえ〜、この風呂屋って市民派なんだ」と思い、
それ以外のポスターも確認しました。
そしたら、自民党・民進党・共産党もありましたよ。
思想信条に関わりなく、裸の人は誰でも迎えてくれる銭湯なんですね。

更に視線を右に移すと、コインランドリー「べんてん」です。
コインランドリーべんてん
「ああ、やっぱり時代に合わせてコインランドリーは併設したんだな」と合点。
ところが、ランドリーのガラス扉の中を覗き込んだ私に、
突然、約40年前の記憶がよみがえって来ました。
「このコインランドリーは、私が何度も通った場所だ!」
ここから約400mほど北上した五日市街道沿いに、
私の暮らしていたアパート「富士ハイム」がありました。
その住まいから、この「べんてん」まで、
子供関係の洗濯物を乾燥させるために通っていた事を、
急に思い出しました。
毎週末の洗濯日に、そして梅雨時などは夜中にも、
大きなビニール袋に洗い上がった洗濯物を詰め込み、
その丸い袋を背中に背負って、ここまで来ていたのです。
よく言えばサンタクロース、悪く言えば盗人の風情でした。
「あれって、いつ頃のことだろうか?」と考えてみました。
・こどもが生まれて洗濯物の量が増えたころ。
・吉祥寺北町から吉祥寺本町へ引っ越す1983年より前。
・我が家が乾燥機を購入する前。
これらの条件から計算してみると、
私がコインランドリーに通っていたのは、1980年代の始め、となります。

「ということは、最初の写真が撮られた1989年には、
コインランドリー「べんてん」は既に存在していたはずだ」、
と思い、それを確認するために、
昔の写真の暗く潰れた部分を拡大して露出補正を掛けてみました。
そして、現在の写真の該当部分と並べてみたのが次の写真です。
昔のべんてん
右側の現在の写真では、カーブミラーと白い自販機の間に、
「べんてん」の緑色のテントと白いフレームが写っています。
左の昔の写真でも、それと同じ位置にテントとフレームっぽいのが見えます。
自販機も現在の「meiji」ではなく赤地に白で「MEIJI」ですが、
位置関係は同じでしょう?

結論が出ました。
この弁天湯さんは、長女の写真から更に遡っても今と同じ形態でした。
少なくとも約40年間はそのままのスタイルで営業しているのです。
ふ〜む、
世の中を固定観念で眺めてはいけませんね。
前回のブログで確認した「平和通り」の吉祥寺パルコPARCO、
そして今回の「昭和通り」の弁天湯、
これらを見ると、吉祥寺って案外変化しない街なのでした。

(終り)

秘境駅「稲梓」に無人の名刹(1)2017年01月21日

昨年末に、伊豆の今井浜温泉の周辺を遊んできました。
河津桜が有名なエリアですね。
年の暮れにゆっくり温泉につかるのは悪くないですが、
それは夜のこと、日中はどこか近くに出かけることにしました。

ガイドブックの地図を眺めると、
今井浜温泉駅と下田駅の間に「稲梓」なる駅がありました。
ガイドブックの稲梓駅
伊豆には何度も来ているし、だから伊豆急にも乗っているのに、
恥ずかしながらこの駅名は正確には読めませんでした。
「イナズサ」なんですね。
調べてみると、日本の「三大秘境駅」の一つらしいです。
近くに「米山薬師」というお寺もあるようです。
全く知らない土地の知らないお寺を訪ねてみるのも良いかなと思いました。

稲梓駅には、各停でもすぐに到着しちゃいます。
稲梓駅
地味な無人駅でした。これはこれで私好みです。
この日、この駅で降りた客は私たち以外には若い女性一人でした。
洒落たコートを羽織り、大きなスーツケースを引いていました。
改札を出たところに母親らしき女性が出迎えに来ていました。
あきらかに都会で働く娘さんが年末年始に里帰りした様子です。
そして親子で駅前の坂を下って行きました。
03
里帰りした人々のために「おかえりなさい」の杭標識が。
私たちが訪れる観光地などでは、
普通、駅前のこういうところで見慣れているのは、
「ようこそ!」とか「歓迎 Welcome!」ですよね。
この街では、観光客の来訪を全く期待していないことがわかります。
私にとっては、この「異邦人」感覚がちょっと新鮮で楽しい。
駅前の様子は次の通り、商店の一軒もありません。
04
何しろ、お客さんがいないのだから商店がないのは当然ですね。

とりあえず目的地に向かって歩き出すと、
目の前の小山の中腹が大きく切り開かれていました。
05
氏神様を祭っているのでしょうか。
手前の鳥居と拝殿に比べると、かなり新しい感じの本殿が奥に見えます。
再建されたばかりなのでしょう、白木の簡素な佇まいが好ましいです。
後日調べた所、「龍学 DRAGONOLOGY」という面白いサイトに、
高根神社」として紹介されていました。
その記事には、建替え前の本殿が次のように紹介されていました。
05あ
      (撮影者により無償で提供されているフリー画像)

駅前からしばらく歩いても、ひと気は全くなく、
案内板も地図も何もありません。
かろうじて幼児を遊ばせている女性を見つけたので、
「米山薬師」への道順を尋ねると、
「国道に出て右手に歩いて10分」と教えてくれましたが、
自分の街の名刹?をPRしようという雰囲気は全くなし。
多分、道案内をすることは、ありえないことなのでしょう。
この「おもてなし感」ゼロが、またまた新鮮で楽しい。

途中、伊豆急の鉄橋をくぐりました。
06
正直、橋脚が細い!
07
下田へ行く時などは、ここを次の写真のように通っていたのか、
と思うと、これまでの無事を感謝する気持ちになりますね。
08

この日の帰りは、下田から伊東方面への電車に乗り、
まさにこの鉄橋の上から写真を撮りました。次です。
09
そしてプラットホーム越しに、稲梓の風景を眺めました。
10
狭い日本も、知らない所ばっかりですね。

話を戻します。
さっきの鉄橋をくぐり、国道で右折して稲梓川沿いを歩き、
米山薬師をめざしました。
途中、時おり車が通る以外は無人。
目ぼしい建物は唯一クロネコヤマトの配送所でした。
稲梓のクロネコヤマト

続く