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Googleアプリでローマ旅行記作成2020年04月05日

前回)からの続きです。

今回はGoogleアプリを使って、
スマートな「旅行写真の記録」を作る試みです。

[1].Googleフォトに写真をアップロード
まず、ネットを使用した作業がサクサク進むよう、
データサイズを落とした縮小版の写真を用意しました。
日付ごとに分けて4日分です。
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Googleフォトにログインし、
「2012年06月ローマ観光」という名前のアルバムを作って、
442枚の写真をアップロードしました。
06

[2].Googleマップで地図を作成
今度はGoogleマップを開き、
「メニュー」>「マイプレイス」>「マイマップ」>「地図を作成」
>「レイヤを追加」
の手順で「1206ローマ観光」というレイヤを作りました。
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最後の写真に青字で表示されている「インポート」をクリックし、
先ほど作っておいたフォトアルバムの中の写真を全部、
すなわち442枚の写真を選択してインポートしました。
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そして完了。
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ここで面白いのは、
私が勝手にインポートした写真の位置情報と画像情報から、
場所や建物名を自動的に推定してくれる機能があるようです。
次の写真で左側に自動判定してくれた施設名が並び、
そのうちの一つをクリックすると、
それに該当する写真が右側に拡大表示されました。
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これは " 四大河の噴水 "、次は " Piazza di Treviトレビの泉 "
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そして、宿泊したホテル名も自動で判別してくれました。
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忘れていたけれども、確かにこの「ホテル デッレ ナツィオーニ」でした。
旅行記を後付けで作るとすれば、この機能はとても便利です。
昔の写真を見て、
「これは何ていう所かな?」って思い出せないことがありますよね。

ところが、ちょっと問題があることに気づきました。
フォトアルバムから442枚インポートしたつもりでしたが、
全部はインポートされていませんでした。
確かに訪れたはずの観光地で、無視されたところがあったのです。
次の写真の「ポポロ広場」「スペイン広場」「フォロロマーノ」です。
19a
なぜか、ここで撮影した写真がインポートされていません。
「ええ!、どうして?」理由は分かりませんでした。

[3].Googleマップで地図を作成(別案)
そこで、[2]で作成したマップは勿体ないけど削除し、
次のような別案を試してみました。
マップのメニューから「自分の投稿」→「マップに写真を追加」と辿り、
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Googleフォトに作成済みのアルバム「2012年06月ローマ観光」から、
全ての写真を選択して「投稿」しようとしました。
ところが、ここでも、全442枚のうち、258枚分しか表示されていません。
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どうも、施設名等が判別できない写真は投稿する候補にならないようです。
確かに、「写真を追加する」ページの注意書きに、
次のように記されていました。
「注: 写真を追加できるのは、お店や公園などの場所のみです。
ただの住所や座標に追加することはできません。」
これを私なりに解釈すると、
「Googleマップ」とは、
施設・場所名と画像データを関連づける一大データベースを構築する運動で、
我々はその手伝いをさせられてるわけです。
だから、個人撮影のなんでもない写真は扱わない、という訳なのですね。

まあ、それはしょうがないので、
とりあえず258枚をアップロードしましたが、
地図に取り込まれたのは、82枚と更に絞り込まれてしまいました。
でも、今度は「フォロロマーノ」の写真は取り込まれているので、一歩前進。
その後、抜け落ちた「スペイン広場」と「ポポロ広場」の写真については、
追加レイヤを作成し、
フォトアルバムから手動で一枚ずつ選択しアップロードしました。
次の図は、「スペイン広場」は完了し、
これから「ポポロ広場」について作業するところです。
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最終的に次のような「フォトマップ」ができあがりました。
25
結局、119枚しか取り込まれませんでしたが、
有名な場所を撮影した写真は一通り網羅されていそうなので、
今後、何かの使い道はありそうです。

続く

遺品のOLYMPUS PEN-FT2020年04月12日

以前、親類の男性の遺品である「キャノン Canon_P型」カメラを
修理したことがありました。
今度は、その「オリンパス Olympus PEN+FT」版です。

もう数ヶ月前のこと、お世話になった知人の御宅に伺いました。
用件は、その半月ほど前に亡くなられた知人の遺品整理を、
関係者数名で手伝うことでした。
故人の奥様と「これは、もう使えないかな〜」などと言いながら、
様々なものを選り分けて行きました。
そんな作業がほぼ終了しかかった頃、
「そう、古いカメラが二、三台あったのよ」と言って、
家の奥に向かわれた奥様。
ここまでは、多くの家で繰り返される光景と思います。

フィルムカメラが普及し始めた数十年前は、
家族の記録を残すためのカメラが、どこの家にもありました。
でも、デジタルカメラの性能が上がり、かつ低価格になるにつれ、
昔のフィルムカメラが使われることはなくなりました。
とはいえ、ゴミ箱にポイ!と捨てるほどの安物ではなく、
いつの間にか、引き出しの奥に死蔵されることになるのですね。
そんな風にして、久しぶりに陽の当たる場所に出てくるカメラは、
キャノネット・ハイマチック・ピッカリコニカ・オートボーイなど、
安くて使いやすい普及機のことが多いです。
「たくさん売れたんだねー」と実感させられます。
そして残念なことに、昔に良く売れたカメラは稀少性がなく、
今では無価値になってしまうのです。

今回も、一台はミノルタのコンパクトAF機。即ゴミ箱行きでした。
もう一台は、ちょっと厚みのあるケースに入っていました。
遺品のオリンパスPEN-FT
レンズ部分が出っ張ったケースなので、
普通のコンパクトカメラではなさそうです。
ちょっと心が騒ぎました。
そして、ケースから出てきたのは、少しくすんだPEN-FT。
「そう、丸い筒もあったのよ」とおっしゃって、
奥様が追加で持ってこられたのは、当然ながら交換レンズ。
私は、遺品整理の手伝い人のつもりだったのに、
急にビンテージカメラの買取人になっちゃいました。
しかし、奥様は金銭の受け取りは固辞され、
と言っても、私も無償でいただくわけにも行かず、
結局、永遠にPEN-FTを保管する管理者と自認することにしました。
管理者の役目は、とりあえず清掃。
遺品のOLYMPUS PEN-FT
そして機能チェック。
光学系に汚れ・クモリが見られるものの、
シャッターは普通に変速しているし、ピントも合わせられるし、
致命的なダメージはなさそうです。
ということで、いずれ分解清掃することになるにしても、
この時点の写りを確認してみることにしました。
装着するレンズは、汚れが少なく比較的クリアな " ZUIKO.70mm f2 "
私好みの中望遠レンズです。

試写して現像後のフィルム。OKそう。
03

スキャンした中から数枚を載せます。
04

05

06

続く

PEN-FTのレンズ清掃2020年04月18日

前回)からの続きです。

遺品のOLYMPUS PEN-FT
前回はこの写真右側の中望遠レンズを使用して、
モノクロ写真を撮りました。
この70mmレンズは比較的クリアだったので、
そのまま使っても大丈夫と思えたからです。
左側のカメラ本体に装着されている標準レンズ38mmは、
少しクモリが見られました。
LEDで照らしてみると、次のように明らかですね。
38mm標準レンズ
それでも、目立つカビや傷は無さそうなので、
この際、レンズのクリーニングをして、
完璧な状態にしてから、試写することにしました。

まず、手始めに飾りリングをゴム環で外そうとしましたが、
しっかり固着していて回りませんでした。
それでアルコールを染み込ませてから回します。
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作業が進み、絞りリングを外したところが次。
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中央上部に見えているベアリングボール、
これを無くさないように注意しました。
この失敗は何回か経験しています。
ボールとその下のスプリングは紛失防止が大切です。
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前玉群はカメラオープナーで回し外し。
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ここまで済んだら、次は、向きを変えて後玉に取り掛かります。
07
やはりオープナーで押さえリングを外しました。
08
後玉は吸盤で持ち上げた後、側面からの記録写真を撮り、
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凹凸面の向きを間違わないようにします。
一応バラしたのが次の状態。
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前玉群、中玉群、後玉と、それぞれ清掃できる状態になりました。
クリーニングが済んだのが次の写真。
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それと念の為、ボディのモルトを張り替えておきます。
補修前は次のような状態です。
12
モルトが劣化してボロボロになっています。
でも、オリンパスPEN-FTは裏蓋の噛み合わせが厳重に作られているので、
モルトも赤で示した部分だけ交換すれば十分なようです。
何もしなくても、光線引きの可能性は低いと思います。
次の写真は作業完了時。相変わらずモルト更新は苦手です。
13

続く

PEN-FTで新生雑司が谷公園2020年04月23日

前回)からの続きです。

標準レンズの清掃が済んだPEN-FT、フードも買ってあげました。
 オリンパスPEN-FT
どこで試写しようかな〜、と思案したのち、
旧高田小学校跡地に暫定オープンした公園へ行くことにしました。
次の小学校ですね。
旧高田小学校
これは2013年12月15日に、学校の正面玄関を撮影したものです。
すでに閉校となった後の写真ですが、正門右側に学校名が見えます。
03
一部分は貼り付け文字ですが、「旧高田小学校」と書いてあるでしょう?
一方、その奥、玄関庇の先端に、ほとんど消えかかった文字も見えます。
これは、どうも「豊島区立南池袋小学校」と書いてありそうです。

ここでお勉強。
南池袋小学校のHPに「南池袋小学校のあゆみ」なる項目があります。
要約すると、
2001年4月01日 高田小・雑司谷小・日出小が統廃合され、
   豊島区立南池袋小学校となる。
<この後の三年間、旧高田小を仮校舎として使用>
2004年3月25日 旧千登世橋中学校跡地に新校舎竣工
となります。
たまたま手元にあった2001年版の地図をみると、
今回取り上げている場所には、確かに「南池袋小学校」の文字があります。
04昔の地図
すなわち、長年「高田小学校」として使われていたこの校舎は、
統廃合後された後の三年間、南池袋小学校の仮校舎として使われていたが、
本校舎ができた後は、特に使い道もなく打ち捨てられていた、ということですね。
もっとも、校舎は閉鎖されていても、
校庭は子供たちの遊び場として次のように解放されていました。
05
南側の門を写したこの写真も2013年のものです。

お話もどって、PEN-FTにカラーフィルムを詰めて撮影、
家に戻って現像してみると、良く写っていそうでした。
06
撮影順に幾つか並べてみます。
まず宿坂通り(前掲の地図参照)を登りました。
宿坂通り

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旧高田小の南側にある公園(現在の雑司ヶ谷公園)の緑が、
右手に見えてきたところ。
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次は昔正門があったところ。
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正門前の変わらぬ民家。
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西陽を浴びる公園の風景。
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最後に、敷地北側の斜面下でスケボーなどを楽しむ少年たち。
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関連記事:
ここでも「雑司が谷公園」と「旧高田小学校跡地」について書きました。

(2020.04.27 追記)
デジカメで撮影した全景を載せます。
新雑司が谷公園全景

(終り)