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「環状第5の1号線」続報2021年05月06日

前回)からの続きです。

この道路計画について、
次の事業範囲図の朱塗り部分、断面2から断面3に注目してみます。
事業範囲図

02
この②断面図で都電の下をトンネル状に走っている地下道路が、
次の③断面図のように地上に出てくる所です。
03

8年前の2013年は、次のようにまだ手付かずでしたね
04
北方向のグリーン大通りに向かって左側、工事中の大きな建物は豊島区役所です。
そして8年後、2021年5月、区役所はもちろん完成していますが、
道路自体は次のように真っ平らなまま。
05

ところが逆方向は、ついにトンネルの出口が見えてきました。
06
風景が大きく変わるな〜、と実感。

PEN-FTで新生雑司が谷公園2020年04月23日

前回)からの続きです。

標準レンズの清掃が済んだPEN-FT、フードも買ってあげました。
 オリンパスPEN-FT
どこで試写しようかな〜、と思案したのち、
旧高田小学校跡地に暫定オープンした公園へ行くことにしました。
次の小学校ですね。
旧高田小学校
これは2013年12月15日に、学校の正面玄関を撮影したものです。
すでに閉校となった後の写真ですが、正門右側に学校名が見えます。
03
一部分は貼り付け文字ですが、「旧高田小学校」と書いてあるでしょう?
一方、その奥、玄関庇の先端に、ほとんど消えかかった文字も見えます。
これは、どうも「豊島区立南池袋小学校」と書いてありそうです。

ここでお勉強。
南池袋小学校のHPに「南池袋小学校のあゆみ」なる項目があります。
要約すると、
2001年4月01日 高田小・雑司谷小・日出小が統廃合され、
   豊島区立南池袋小学校となる。
<この後の三年間、旧高田小を仮校舎として使用>
2004年3月25日 旧千登世橋中学校跡地に新校舎竣工
となります。
たまたま手元にあった2001年版の地図をみると、
今回取り上げている場所には、確かに「南池袋小学校」の文字があります。
04昔の地図
すなわち、長年「高田小学校」として使われていたこの校舎は、
統廃合後された後の三年間、南池袋小学校の仮校舎として使われていたが、
本校舎ができた後は、特に使い道もなく打ち捨てられていた、ということですね。
もっとも、校舎は閉鎖されていても、
校庭は子供たちの遊び場として次のように解放されていました。
05
南側の門を写したこの写真も2013年のものです。

お話もどって、PEN-FTにカラーフィルムを詰めて撮影、
家に戻って現像してみると、良く写っていそうでした。
06
撮影順に幾つか並べてみます。
まず宿坂通り(前掲の地図参照)を登りました。
宿坂通り

04
旧高田小の南側にある公園(現在の雑司ヶ谷公園)の緑が、
右手に見えてきたところ。
07
次は昔正門があったところ。
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正門前の変わらぬ民家。
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西陽を浴びる公園の風景。
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最後に、敷地北側の斜面下でスケボーなどを楽しむ少年たち。
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関連記事:
ここでも「雑司が谷公園」と「旧高田小学校跡地」について書きました。

(2020.04.27 追記)
デジカメで撮影した全景を載せます。
新雑司が谷公園全景

(終り)

6年前の明治通りの風景2019年12月18日

前回)からの続きです。

「PentaxSV」+「EL-Nikkor 1:4 75mm」という、
普通ではあり得ない組み合わせで撮影した中の一コマに、
次の風景がありました。
明治通り千登世橋方面
明治通りを、学習院下付近の歩道橋から撮影したものです。

同じ「PentaxSV」に標準レンズ「55mm 1:1.8」をつけて、
6年前に撮影した次のものと比較してみましょう。
2013年2月

それぞれ、12月と2月の写真なので、
イチョウの葉の様子が違うのは当然として、
それ以外の一番大きな違いは、正面の超高層ビルが、
サンシャイン60から豊島区役所(マンション併設)に変わったことです。
(サンシャイン60は消えたわけではなく、後ろに隠れています)
また、道路左側のイチョウが伐採され、
歩道が中学校の敷地側に拡幅されていることも目立ちます。

この道路の現状は「環状第5の1号線」事業による仮の姿で、
数年後には、ここの風景は大変貌を遂げるはずです。
(道路中央部の二車線が掘割形式になるそうです)
に記しました。
そうなることが決まっているなら、
その姿を早くみてみたいですね。
そして、その新しい風景を、今度はどんなカメラで撮影することになるのか、
今からちょっと楽しみです。

ちなみに、完成イメージが東京都建設局のHPに載っていました。
完成イメージ
区役所の裏に隠れたはずのサンシャイン60が、
再度立派な姿を見せています。
本当にこの通りの風景にするなら、
豊島区役所の超高層ビルを、解体撤去しなければなりません。
笑える。

掘割部の断面図は次の通り
断面図

続く

ニコンS用レンズをα7に(続き)2019年11月13日

前回)からの続きです。

ニコンS(Nikon S)→ SONY-NEX
という珍しい変換アダプターを購入し、試写してみたのが前回。
アダプターとS用レンズは、
次の写真の「内爪」部分が噛み合って固定されました。
ニコンS用アダプター
この機会にニコンS型のマウントについて勉強してみると、
レンズ固定に使用される「爪」には、
標準レンズ用の「内爪」と、
広角・望遠レンズ用の「外爪」があるそうです。
この写真でもわかるように、
私の入手したアダプターには、どちらの爪も用意されていました。

ということは、この外爪を生かすレンズも欲しいですね。
それで買ってみましたよ。
" NIKKOR-P・C 1:2.5 f=10.5cm " です。
ニコンの10.5cm
105mmでなく、10.5cmと呼ばれているところが「時代」ですね。
なぜこのレンズを選んだかというと、そう、この焦点距離が好きなんです。
以前、「Nikonのガチャガチャ」なる記事で、
私が「ニコン Nikon F2」を使用していた40年前の愛用レンズ
「NIKKOR-P・C Auto 1:2.5 f=105mm」を、
再入手した話を書いたことがありました。
次の写真の右側のレンズです。
03
この時も、既に105mm(写真左のAi-Sタイプ)を持っているにも関わらず、
昔の外観が懐かしく、この梅鉢リングの105mmを入手したのです。
というわけで、結局、ニコンの10.5cm(105mm)が三本揃いました。
04
左がレンジファインダーのニコンSマウント用、
右の二本が一眼レフのニコンFマウント用です。
三本の推定年齢は、左からそれぞれ60歳・40歳・20歳です。

10.5cmのレンズを " SONY α7II " に着けて試写しました。
お散歩エリアは、新目白通りから目白台と前回と同じ。
6年ほど前にも、何度も歩いたエリアです。

フィットネスジムの外観
05
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豊島区の「富士見坂
豊島区の富士見坂

この10.5cm、本当にしっくりくる画角です。
またまた、話が逸れましたが、
次回こそアダプターの考察に戻ります。

続く

とんかつフジからタイ料理2019年06月03日

目白駅北側の山手線は、切通し(掘割)の底を走っています。
その切通しの西側土手の上のちょっとさえない道路は、いつの頃からか、
「フランク・ロイド・ライトの小径」と呼ばれているらしいです。
これはもちろん、
近くの「自由学園明日館」の設計者にちなんで名付けられた訳ですが、
道の実情を知る人間にしてみると、少しばかり恥ずかしいです。
私にとっては、この道は今でも、
「とんかつフジの道」と呼んだ方がピッタリくるのです。
(このお店の記憶は「とんかつ消えて隣にフレンチ」に書きました)

そんな道に面して「タイのラーメン」という、
何とも工夫の無い名前のタイ料理店があります。
タイのラーメン
ここは、昔「とんかつフジ」があった場所ですね。
お昼時、色彩鮮やかなメニューに惹かれて入ってみると、
02

03
これがバカにできない美味しさでした。
前回来た時は「タイスキヌードル」を食べたので、
今回は「ガパオ」にしてみました。
ガパオ
お値段もリーズナブルですよ。
ヌードルも好みの麺を選べるんですね。

ちなみに、私のお気に入りのタイ料理店というと、
大正村にあった「目白の伝説プリックタイ」、これはとっくに閉店となり、
これは健在です。

こんな風に、食べ物屋さんが開店したり消えたりするのは、
どうしてなのでしょうね?
もちろん、儲かるかどうかが第一の理由なのでしょうが、
では、繁盛するにはどうすれば良いのでしょうか?
(それが分かれば苦労はない!!)

もし、その場所に住みつく商売の神様のようなかたが居るとすれば、
何十年も営業していた「とんかつフジ」が消えた頃から、
ここの神様は遊びに行ってるようです。
なぜなら、2012〜3年に次の看板が出てから、
貸店舗看板
ここに入るテナントは、2年ごとに交代してるみたいなんです。

2013年〜 大正浪漫の鉄板焼き「目白大都会」
2015年〜 タイ料理屋「White JASMINE」
2017年〜 今回取り上げた「タイのラーメン」

そんな歴史を感じさせる場所にお店を構えた「タイのラーメン」、
今後も存続していけるように、神様が微笑んでくれるかな。

ところで、次の写真の店舗入口扉、
デザインがタイというよりも大正浪漫でしょう?
これは「目白大都会」時代のものなんです。
目白大都会時代の扉
だから、この扉には、鉄板焼きのお肉の香りが染み付いていますよ。
それどころか、お店の外に出て、遠くから、この建物の外壁を眺めると、
私には、まだとんかつのにおいが漂ってくるような気がします。