▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます
▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
奥能登の窓岩:50年前の姿 ― 2024年01月05日
補われた18年前の記憶 ― 2021年04月30日
2003年の夏休みに、日光の中禅寺湖へ遊びに出掛けたことがあります。
その時の記録写真が次。
この旅行に携行したカメラは「カシオ CASIO EXILIM EX-S1」。
カードサイズのデジカメ、今で言えばおもちゃみたいなカメラですから、
撮影枚数が17枚と少ないのも「あまり気合が入ってなかったのかな」と合点していました。
ところが、先日、未スキャンのフィルムとプリントが数本分見つかり、
その中に、この日光旅行のものとおぼしき一本もありました。
年代的には「ミノルタ Minolta α-7700i」が使用機材のはず。
早速スキャニング。
そして現像。
色味調整をやっているうちに、当時の記憶も甦ってきます。
簡易な旅程を手帳にメモしていましたので、
フィルムに残されていた日付と照らし合わせれば、
全部の写真について、ほぼ適正な撮影時間が推定できます。
そして、元々あったデジタル写真と、次のように合体。
こうして、37枚の写真を補填して、完璧な記録となりました。
めでたしめでたし。
46年前の金沢市庁舎 ― 2020年12月19日
(前回)からの続きです。
46年前の金沢市内観光の写真のうち、
最後まで撮影場所が特定できずにいたのは次の4枚目でした。
金沢市役所、とあります。
明らかに私の写真と同一建物です。
では、この建物はどこに建っていたのか?
そこで、現在の金沢市役所の場所の1975年の航空写真を当たってみました。
画面中心部に、それっぽい屋根が写っているでしょう?
間違いないですね。
現在の地図に落とし込んで見ると、次の通りです。
前回の石川四高との位置関係も納得です。
その石川四高の東側から、昔の市庁舎を撮影したことになります。
撮影場所の現在は、カエデの紅葉の真っ最中。
ここから、正確に昔と同じ撮影方向でパチリ。
写真左側に写っているカエデの木、
1974年当時は細々とした木だったのが、今は立派な大木になりました。
そして、当時の市庁舎は完全に跡形もなく、広場になっていました。
「金沢市庁舎前広場」と呼ばれ、
市民が描く白いキャンバス、との位置付けだそうですが、
私としては、広場よりも、昔の建物が残っていて欲しかったな。
ちなみに、この名建築の取り壊しについては、次の
「金沢市役所の建設年と場所」に詳述されていたので、
以下にその一部を引用します。
○取り壊しの年・場所について
『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.58「金沢市役所」によると、大正11(1922)年に完成した庁舎は昭和54(1979)年に取り壊された。
(途中省略)
北國新聞(朝刊)昭和54(1979)年8月21日16面記事「懐かしの市役所旧庁舎百分の一の模型完成」によると、旧庁舎は大正12(1923)年2月の建設で(大正11年の誤りか)、木骨コンクリート一部三階建て延べ1,695平方メートル。屋上のサイレン塔とこれをはさんだドームが特徴で、近世ルネサンス様式を採り入れた、当時では最先端をゆく建物だった。その後の増築で一時、延べ面積3,728平方メートルになったが、昭和46(1971)年7月に一部解体され、ことし6月18日から7月15日にかけ解体撤去されたさいは述べ2,335平方メートルだった。
金沢旅行(終り)
46年前の石川四高 ― 2020年12月11日
このうち撮影場所が既に特定できた分は、
1・2枚目:長町武家屋敷跡
5・6枚目:成巽閣
7枚目:石川橋
です。
残りの3・4枚目について、
1・2枚目:長町武家屋敷跡
5・6枚目:成巽閣
7枚目:石川橋
です。
残りの3・4枚目について、
今回の旅行の前後に調査・確認した内容を以下に纏めてみました。
3枚目のレンガの建物の前に佇む46年前の私。
3枚目のレンガの建物の前に佇む46年前の私。
当然、由緒ある建物であろうと、ガイドブック等を調べてみると、
金沢市内に残るレンガ造りの建物のうち、
「石川四高」の可能性が高そうでした。
地図で確認すると次の場所です。
金沢市内に残るレンガ造りの建物のうち、
「石川四高」の可能性が高そうでした。
地図で確認すると次の場所です。
市内観光2日目の午前中、香林坊までバスで行き、
そこから徒歩で向かうと、前方に見えてきました。
そこから徒歩で向かうと、前方に見えてきました。
それっぽいですね。
この建物、Wikiによれば、
1887年(明治20年)石川県専門学校を前身として第四高等中学校が設立
1894年(明治27年)第四高等学校に改称
されたものだそうです。
46年前と同じ方向から写真を撮ってみました。
この建物、Wikiによれば、
1887年(明治20年)石川県専門学校を前身として第四高等中学校が設立
1894年(明治27年)第四高等学校に改称
されたものだそうです。
46年前と同じ方向から写真を撮ってみました。
二階のアーチ窓の楣部分の意匠が同じツートンですね。
また、良くみると、
私の左側のヒマラヤスギ、何となく雰囲気が昔と同じです。
ということで、一件落着。
なお、事後調査の過程で、金沢の昔の絵葉書を集めたサイトを見つけました。
「金沢絵葉書」です。
そこに、更に古い時代の石川四高の姿がありました。
また、良くみると、
私の左側のヒマラヤスギ、何となく雰囲気が昔と同じです。
ということで、一件落着。
なお、事後調査の過程で、金沢の昔の絵葉書を集めたサイトを見つけました。
「金沢絵葉書」です。
そこに、更に古い時代の石川四高の姿がありました。
46年前の長町武家屋敷 ― 2020年12月07日
(前回)からの続きです。
昔の金沢市内観光の写真に次のようなものがありました。
これがどの辺の写真なのかは、すぐ推測できますね。
観光スポットとして有名な「長町武家屋敷跡」に違いありません。
金沢城公園から500mほど西に行ったところがそのエリアです。
そして見つけたのが次の場所です。
観光スポットとして有名な「長町武家屋敷跡」に違いありません。
金沢城公園から500mほど西に行ったところがそのエリアです。
そして見つけたのが次の場所です。
道の曲がり具合とか雰囲気とか塀の意匠とか46年前と同じです。
この撮影地点は次の地図の[1]番です。
この撮影地点は次の地図の[1]番です。
やはりこの近くの[2]番で撮った写真もありました。
この門もすぐ分かりましたよ。そして撮影。
最近のコメント