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原っぱになった下落合公務員住宅2014年11月06日

前回)からの続きです。

おとめ山公園の拡張部分の大半は、元々「下落合公務員住宅」があったところです。
その敷地を新宿区が買い取って、公園として整備したんですね。
そして、昨年4月と今年の10月の二回に分けて開園しました。
おとめ山公園配置図
「みんなの原っぱ」「谷戸のもり」「水辺のもり」と名付けられた部分に、
以前は三階建ての共同住宅が合計8棟建っていました。
それぞれ、RA棟〜RH棟とアルファベットの番号が付いていました。
(中央の「ふれあい広場」は個人の住宅でした)

その共同住宅があった頃の様子を航空写真で見てみます。
比較し易いように、上の現況図に合わせて、拡張エリアを赤ラインと青ラインで囲いました。
2009年4月撮影(以下、空撮写真は国土地理院の空中写真閲覧サービスによるものです)
下落合公務員住宅配置図
入居者がいなくなって空き家となった状態の写真を、
ブログ「下落合公務員住宅」に載せたことがありました。
その中の一枚がこれです。2012年5月撮影。
下落合公務員住宅RA棟
ここに写っているのは左がRA棟、右がRB棟です。

ここが、2013年2月には更地となり、
更地になった
今年の10月26日には、次の写真のように「みんなの原っぱ」として開園しました。
みんなの原っぱ
先日の夕方遅く訪れると、日が暮れた後にもかかわらず、子どもたちは遊んでいました。
幼き頃を思い出させるような景色です。

さて、この「みんなの原っぱ」の南側は昔も今も「森」です。2012年4月撮影。
おとめ山公園の水飲み場
この写真では、園路の途中の水飲み場が写っています。
そして、その奥の樹々の隙間から、住宅RB棟がごく僅かに顔をのぞかせています。
(というよりも、写っているはずだと信じて見ればそう見えるレベルですが)

この水飲み場の開園前日の様子はこうでした。
水飲み場の仮柵
「森」と住宅RB棟を隔てていた樹々は伐採され、
敷地境界の傾斜地には芝生が貼られれました。
開園後、逆方向からの写真を撮ってみました。
水飲み場と芝生斜面
既存の森と今回整備エリアを、うまい具合につなげたものですね。
芝生斜面は、早速子どもたちの絶好の遊び場になっていました。
斜面で遊ぶ子たち

先日開園したもうひとつのエリア「谷戸のもり」にも
以前はこんな住宅が建っていました。2012年8月撮影。
下落合公務員住宅
こちらも2013年の2月には、次の写真のように更地になりました。
更地になったが擁壁あり
南北で大きなレベル差があったのですね。立派な擁壁が写っています。
その1年後の2014年2月には擁壁も消えました。
擁壁も撤去
全体がなだらかな傾斜地になりました。
そして芝生が貼られ、「谷戸のもり」として先月末に開園!
谷戸のもり完成
でも、この健康的な傾斜面も、次のように逆から見ると、
奥に写っている弁天池の「森」が鬱蒼としてちょっと恐いです。
斜面下には弁天池の森

さて、もののついでに公務員住宅の敷地の以前の姿も調べてみました。
この地に共同住宅の建設計画が立てられたのが1960年代だそうです。
次の写真は1963年6月のものです。
1963年のおとめ山公園以前
住宅建設に向けた整地作業が進んでいるように見えますね。
また、「谷戸のもり」部分、この時代には擁壁は無かったようです。
ということは、元々がなだらかな傾斜地だったものを、
共同住宅のために、二段の平地に仕立てたものだと分かります。
今回の整備工事で擁壁を撤去したのは、大昔に戻したわけですね。

そして更に遡った1948年1月の「空から下落合を見てみよう!」
1948年のおとめ山公園以前
おとめ山公園も公務員住宅も、な〜んにもありません。
ただ、「原っぱ」と「森」があるだけ。
そういえば、大昔は「公園」なんて呼ばずに、みんな「原っぱ」で遊んだんですよね。
結局、下落合公務員住宅が「原っぱ」になったのか、
「原っぱ」が、昭和から平成の一時期に公務員住宅の夢を見たのか、
私は、荘子の「胡蝶の夢」を思い浮かべました。

(終り)

美貌の叔母の『記憶』に着色2014年11月12日

母の遺したアルバムには、当然ながら、先に亡くなった父の写真も含まれていました。
そして、その中には父の幼い頃の写真もありました。
100年前の家族写真
これは、父とその妹たち4人+その他の方数名による記念写真のようです。
撮影されたのは、今から約98年前の1916年(大正5年)頃と思います。

「ようです」と書いたのは、この写真について語れる人が誰もいないからです。
写真前列左端の幼女が私の叔母様Y子さん(多分)で、
この五人の兄妹の中では一番最後まで生きておられたのですが、
16年前の1998年に亡くなってしまいました。

美貌の叔母様だったのです。
その叔母様の写真はほかにも何枚か残っていましたが、魅力的ですよ。
叔母様1

叔母様2

叔母様3
三枚目のスナップはピンボケですがとても良い表情をしています。
この気高い美しさは晩年になってもそのままでした。

昔の家族の記念写真は貴重です。
一枚目の記念写真の存在を、私がもっと早くに知っていたなら、
これがいつ何処で、どういう状況で撮影されたものなのか、
叔母様に尋ねることができたはず、と思うと残念です。

今となっては、
誰が何色の着物を着ていたかとか(青が好きな子、赤が好きな子とかいますよね)
撮影の前後に彼女たちの間で交わされたであろう会話とか、
何にも分からないわけですね。

それで、この写真に少しでもリアリティーを与えるために、カラー化してみることにしました。
(先日のNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」に触発されたのかも)

かつて人着(人工着色)という技法があって、
白黒写真に色を塗った絵はがきなどが売られていたことがありますが、
それをパソコン上でやろうと思います。
いわば「デジタル人着」とも言えるかな?

全くの自己流ながら、その手順を以下に解説します。

まず、原画をスキャナで読み込んで、画像編集ソフトに取込みます。
私の場合は、スキャナにバンドルされていた(おまけの)Photoshop-Eを使います。
編集画面は次のようになります。
作業画面

編集画面左上の「パレット」は色味の参考にする写真を取込んだものです。
パレット
ここでは紺絣や帯の色味と、肌色を参照するための写真を三枚並べました。
必要に応じて、使用したい色彩の部分をスポイトツールで参照すれば、
塗色を自分で作り出す手間が省けます。

編集画面右上の「レイヤー」は作業性を良くするため適宜作成します。
レイヤー
ここでは「羽織・帯・紺絣・肌色」の4つのレイヤーを設けて、
それぞれ別個に色塗りと彩色設定ができるようにしました。

そして、元々の色味を想像しながら彩色すること約1時間、
幼女時代のY子叔母様の姿がカラーでよみがえりました。
着色終了

でも、この段階迄では、どうしてもベタ塗りの感じが拭えませんので更に工夫します。
レイヤーオプションの「不透明度」を、その効果を確認しながら調整します。
透明度設定
今回は、羽織と帯を80%に、肌色を65%にして、原画が少し透けるようにしました。

そして本当の完成。
デジタル人着完成
原画に比べると肌の色が明るく自然になっているでしょう?
昔のフィルムは「赤色」により多く感光する欠点が解消できていなかったので、
どうしても皮膚の色が暗くなりすぎていたのですね。

この後、残りの三人の叔母様たちの美貌も取り戻していくのです。

鬼子母神をiPhone6+で撮影2014年11月16日

iPhone_6_Plusに買い替えて約一ヶ月、画面が大きくて見易いです。
丁度ズボンのポケットに入る大きさなので、携帯するのに不便はありません。
Plusの発売前、大きさは一万円札と同じと言われていました。
それで、購入前に一万円札をポケットに入れて「OK、入る」と試していました。
iPhone_6_Plus
ちなみに、それまで使っていたiPhone_4は、やはり小さかったですね。
iPhone_4
iPhoneの成長は、私には嬉しいです。

新機種は、カメラの性能も向上しているそうです。
昨日、買物外出のついでに鬼子母神周辺の撮影に使ってみました。

鬼子母神の七五三
鬼子母神の七五三

袴姿も凛々しい坊や。中央部を切り出したのですが、十分見られます。
五歳の坊や

この子は何歳かな?数年後には袴姿に成長するのでしょう。
こちらは幼児

この仁王様は何歳?もう成長しないのですね。
仁王様は何歳?
仁王像は真っ黒。空に露出が合ってしまいました。

露出を変えてもう一枚。これでも暗いですが。
露出を変えて

参道のケヤキの紅葉も進んでいました。毎年毎年ご苦労さま。
参道のケヤキ

その後、都電の鬼子母神前駅に行ったら何かの工事が始まっていました。
工事開始
地下道路トンネル工事、とのこと。『環状第5の1号線』の関連工事ですね。
「平成28年8月31日まで
 時間帯 00:00〜24:00」
と書いてありました。

ということは、この職人さんたち、三交代制でしょうか? あと二年間、大変です。
二十四時間工事
奥に見える二本の超高層は、民間マンションと区役所マンション。

『環状第5の1号線』により、鬼子母神前駅の近くでは、
次の図のように、都電の線路の横だけでなく、下にも道路が通ります。
都電と道路の交差
これは「明治通りのイチョウ並木が消えた?(2):道路計画」に載せたものです。
この先、東京は正しく美しく成長していけるんでしょうか。

昭和のモノクロ井の頭公園12014年11月20日

昭和50年代に井の頭公園で撮影したモノクロ写真が数枚あります。
マミヤの二眼レフ"Mamiya C220 Professional"で撮影したものです。
その風景を、現在のものと比べてみたいと思います。
昭和の井の頭公園お茶の水橋
これは1976年5月の撮影です。
左下に湖面が見えているので、井の頭池のほとりで撮ったことは分かりますが、
その場所を正確に特定できるでしょうか?

先日、「井の頭池」の周囲をくまなく歩き回って、
この38年前の撮影場所を見つけました。
ポイントは写真の右下に少し写っている「橋」の端部です。
転落防止用に、少しゴツい立ち上がりが設けられているでしょう?
次の写真のように、現在もそのままの姿で残っていました。
現在の井の頭公園お茶の水橋
側面を見ると更に特徴的な眼鏡橋です。
お茶の水橋は眼鏡橋
頑強で立派な構築物なので、壊されずに済んだようです。

ここは「お茶の水橋」と呼ばれる場所でした。
この橋の西側に名水「お茶の水」が湧き出ているからなのですね。
井の頭公園の湧水お茶の水
説明の立て札がありました。
お茶の水の由来
何と約400年前の徳川家康の時代から続いた名称でした。

ここは井の頭池のほぼ西端です。
この橋から東側を見ると、池が遠方までずーっと伸びています。
お茶の水橋からの眺め
遠い昔に、徳川家康もこの光景を眺めたことでしょう。
というよりも、近くの御殿山遺跡には縄文時代の住居跡もあるそうですから、
更に歴史を遡れば、
縄文人も水汲みをしながらこの同じ風景を見てたかもしれないです。

今回の撮影場所は下の案内図の[1]です。
井の頭公園の案内図

通称「井の頭公園」は大きく三つに分かれます。
地元の人は(って私のことですが)それぞれ、
「公園」、「西園」、「動物園」と呼びます。
井の頭公園全体図
「公園」はカップルで散歩してボートを漕いだりする場所
「西園」はテニスをしたり、競技場で凧揚げをする場所
「動物園」は子連れで動物を眺め、遊園地の乗物に乗る場所
昭和の終りを吉祥寺で過ごした私にとって、どれもが思い出深い場所なんです。

続く

花園神社の酉の市をLUMIXで撮る2014年11月23日

昨晩、花園神社の酉の市に行って来ました。
熊手

夜間の撮影には、やはり軽くて明るい単焦点の標準レンズが良いです。
私の所有レンズの中では、マイクロフォーサーズ用の
”LUMIX G 20mm/F1.7”が該当します。
LUMIX標準レンズ

このレンズの実力が評価できるように、
無修正&ノートリミングの画像を以下に並べて見ます。
いわゆる「jpeg撮って出し」の画像ですね。

靖国通りからのアプローチ、すごい人出でした。
靖国通りから
境内中央には千灯の提灯が。壮観でした。
千灯の提灯
提灯の下では獅子舞も。
獅子舞

でも、何といっても酉の市の目玉は、この熊手です。
熊手屋さん
威勢の良い拍子木や手締めの音が、境内に響きます。
手締めで威勢良く
さすがに八億円の熊手はありませんでしたが。

屋台もいろいろ並んでいました。
私の好みの風景は、のしいかを売っていた渋いおじさん。
のしいか
そして、本日いちばん面白かったのは次の写真のお姐さんです。
お姐さん
髪飾りがお札でできていました。(この写真だけ拡大)
お札の髪飾り

レンズが明るいとフラッシュを使わずに撮影できるので、
夜店の雰囲気が良く伝わるような気がします。

さて、実は私の持っている標準レンズの一番手は、
次の”AF-S Nikkor 50mm/1.8G”です。
ニコンの標準レンズ
今回これを使えなかったのは、本日までカメラを整備に出していたからです。
それで二番手の"LUMIX"に登場してもらったのですが、
優秀な控えの選手がいると、いざと言う時に安心ですね。
あと数台、控えのデジカメとレンズが必要な気がします。