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日立目白クラブの竹やぶ2024年04月30日

ずいぶん前から私のお散歩コースにあった「竹やぶ」。
おとめ山公園の東側の坂道を少し北に登ると、
その右側の高台にありました。
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これはMinoxミノックスで撮影したもの。
次もそうです。
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こちらはおとめ山公園の中から坂道越しの撮影です。
何でも、おとめ山公園にはたぬきが住んでいて、
山手線東側の学習院大学にも出没したそうですから、
この竹やぶは、そのたぬきの通り道や遊び場所、
あるいは寝床だったかもしれません。

12年ほど前、
おとめ山公園の拡張予定地にあった公務員宿舎が2棟とも解体され、
でも公園は整備前のいわゆる「原っぱ」状態で仮開放されていた時、
ここは犬の散歩などをさせるのに絶好の場所でした。
次の写真の女性も、きっと近所から犬を連れてやってきたのだと思います。
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その彼女が見上げる視線の先にあるのは例の「竹やぶ」
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立派でしょう?
たぬきが隠れていても不思議ではないですね。
私も思わず二眼レフのシャッターを切りました。

この坂道は今も私のお気に入りの散歩コースですが、
例の竹やぶは既になく、代わりにおしゃれなマンションが建ちました。
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次は公園の中から見たマンション西面。
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公園の同じ場所から2013年に見えた景色は、次のような夕日の竹やぶ。
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よく見ると、この竹やぶで西日を避けようとしているかのように、
やぶの向こう側に低層の共同住宅が二つあるのが分かりますか?

これが何かは昔の住宅地図をみると分かります。
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「日立目白ハウス」と書いてありますから、
この共同住宅は「日立目白クラブ」の敷地内にあった日立の社員寮ですね。
元々は、クラブ本館とは別に学習院の旧学生寮が4棟あり、
日立が社員寮として使っていたが、それだけでは足りなくて、
板状のマンションタイプの社員寮を西側と南側に建てたのですね。

住宅地図の竹やぶの左に「下落合住宅」の文字がありますね。
下落合のこの地域には公務員住宅がたくさんありました。
それらが全部なくなって、一部はマンション、
他の大部分はおとめ山公園の拡張エリアとなったように、
日立の社員寮もすべてなくなって、
その敷地はおしゃれなマンションに変貌したわけです。

でも「日立目白クラブ」の本館は健在です。
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東京の名建築に数えられるデザインです。
その南側に本館と同じテイストで建てられた次の(旧)学習院学生寮
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これも残っていると良かったのですが、Google地図を見ると
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本館と別館以外はすべて消えているようです。

日立目白クラブの正面玄関から、
クラブの建物を回り込むように西側に歩くとおとめ山公園に出ます。
その道は次のように、いわゆる「裏道」でした。
(十数年前、大枚叩いて買った" Leica ⅢG "での初めての撮影です。何もこんな裏道をバルナックライカでわざわざ撮影しなくても良いのに、と今は思いますね)
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010a120424a
ところが、この裏道も今や例の高級マンションの表玄関です。
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右手住宅のブロック塀と電柱だけが昔のままです。

この先を西へ行くと、おとめ山公園が見えてきます。
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この道の先は公園に向かって急な崖になっています。
道路としては行き止まりなので、郵便配達車は来ることができず、
Uターン可能なバイクで配達しているのですね。
今は次のように道路が拡幅されていますから、
バイクのUターンも楽々です。
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その階段の今昔写真。
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さて日立目白ハウスと言っても普通の社員寮ですから、
建物は普通の中流マンションです。
ただ立地は最高!眺望は一流でした(推測)。
南を通る新井薬師道からは見上げるような高さでした。
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フェンス際に柿の実が色づいていますね。
敷地内のテニスコート南にあった桜の大木も立派でした。
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日立目白クラブ本館は、先ほどの写真のように、
近衛町側の外観(北立面)にて紹介されることがほとんどです。
ところが南側の下落合にその威容を示した時がありました。
5年前にマンションの敷地造成が始まって、
次のように社員寮がすっかり解体され遮る物がなくなった時ですね。
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これもいっ時でした。次のように同じ場所から眺めても、
今はマンションの陰に隠れて見えなくなりました。
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マンション名は、この写真に写っている宣伝バナーに書いてあるように「ラ・トゥール目白御留山」。
私はこの宣伝バナーを見てバナー左上の黄色の「For Rent」に疑問を持ちました。
「購入してすぐに賃貸に出す人がいるのかな?」
と思ったら、何とこのマンション、92戸の全部が賃貸なんですって!
しかも軽く百万円越えの家賃(年間でなく月家賃)
きっと、むかし竹やぶに住んでいたたぬき達が、
枯れ葉をお札に変えて不動産屋を騙して住んでいるに違いありません。

「環状第5の1号線」続報2021年05月06日

前回)からの続きです。

この道路計画について、
次の事業範囲図の朱塗り部分、断面2から断面3に注目してみます。
事業範囲図

02
この②断面図で都電の下をトンネル状に走っている地下道路が、
次の③断面図のように地上に出てくる所です。
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8年前の2013年は、次のようにまだ手付かずでしたね
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北方向のグリーン大通りに向かって左側、工事中の大きな建物は豊島区役所です。
そして8年後、2021年5月、区役所はもちろん完成していますが、
道路自体は次のように真っ平らなまま。
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ところが逆方向は、ついにトンネルの出口が見えてきました。
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風景が大きく変わるな〜、と実感。

PEN-FTで新生雑司が谷公園2020年04月23日

前回)からの続きです。

標準レンズの清掃が済んだPEN-FT、フードも買ってあげました。
 オリンパスPEN-FT
どこで試写しようかな〜、と思案したのち、
旧高田小学校跡地に暫定オープンした公園へ行くことにしました。
次の小学校ですね。
旧高田小学校
これは2013年12月15日に、学校の正面玄関を撮影したものです。
すでに閉校となった後の写真ですが、正門右側に学校名が見えます。
03
一部分は貼り付け文字ですが、「旧高田小学校」と書いてあるでしょう?
一方、その奥、玄関庇の先端に、ほとんど消えかかった文字も見えます。
これは、どうも「豊島区立南池袋小学校」と書いてありそうです。

ここでお勉強。
南池袋小学校のHPに「南池袋小学校のあゆみ」なる項目があります。
要約すると、
2001年4月01日 高田小・雑司谷小・日出小が統廃合され、
   豊島区立南池袋小学校となる。
<この後の三年間、旧高田小を仮校舎として使用>
2004年3月25日 旧千登世橋中学校跡地に新校舎竣工
となります。
たまたま手元にあった2001年版の地図をみると、
今回取り上げている場所には、確かに「南池袋小学校」の文字があります。
04昔の地図
すなわち、長年「高田小学校」として使われていたこの校舎は、
統廃合後された後の三年間、南池袋小学校の仮校舎として使われていたが、
本校舎ができた後は、特に使い道もなく打ち捨てられていた、ということですね。
もっとも、校舎は閉鎖されていても、
校庭は子供たちの遊び場として次のように解放されていました。
05
南側の門を写したこの写真も2013年のものです。

お話もどって、PEN-FTにカラーフィルムを詰めて撮影、
家に戻って現像してみると、良く写っていそうでした。
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撮影順に幾つか並べてみます。
まず宿坂通り(前掲の地図参照)を登りました。
宿坂通り

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旧高田小の南側にある公園(現在の雑司ヶ谷公園)の緑が、
右手に見えてきたところ。
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次は昔正門があったところ。
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正門前の変わらぬ民家。
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西陽を浴びる公園の風景。
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最後に、敷地北側の斜面下でスケボーなどを楽しむ少年たち。
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関連記事:
ここでも「雑司が谷公園」と「旧高田小学校跡地」について書きました。

(2020.04.27 追記)
デジカメで撮影した全景を載せます。
新雑司が谷公園全景

(終り)

6年前の明治通りの風景2019年12月18日

前回)からの続きです。

「PentaxSV」+「EL-Nikkor 1:4 75mm」という、
普通ではあり得ない組み合わせで撮影した中の一コマに、
次の風景がありました。
明治通り千登世橋方面
明治通りを、学習院下付近の歩道橋から撮影したものです。

同じ「PentaxSV」に標準レンズ「55mm 1:1.8」をつけて、
6年前に撮影した次のものと比較してみましょう。
2013年2月

それぞれ、12月と2月の写真なので、
イチョウの葉の様子が違うのは当然として、
それ以外の一番大きな違いは、正面の超高層ビルが、
サンシャイン60から豊島区役所(マンション併設)に変わったことです。
(サンシャイン60は消えたわけではなく、後ろに隠れています)
また、道路左側のイチョウが伐採され、
歩道が中学校の敷地側に拡幅されていることも目立ちます。

この道路の現状は「環状第5の1号線」事業による仮の姿で、
数年後には、ここの風景は大変貌を遂げるはずです。
(道路中央部の二車線が掘割形式になるそうです)
に記しました。
そうなることが決まっているなら、
その姿を早くみてみたいですね。
そして、その新しい風景を、今度はどんなカメラで撮影することになるのか、
今からちょっと楽しみです。

ちなみに、完成イメージが東京都建設局のHPに載っていました。
完成イメージ
区役所の裏に隠れたはずのサンシャイン60が、
再度立派な姿を見せています。
本当にこの通りの風景にするなら、
豊島区役所の超高層ビルを、解体撤去しなければなりません。
笑える。

掘割部の断面図は次の通り
断面図

続く

ニコンS用レンズをα7に(続き)2019年11月13日

前回)からの続きです。

ニコンS(Nikon S)→ SONY-NEX
という珍しい変換アダプターを購入し、試写してみたのが前回。
アダプターとS用レンズは、
次の写真の「内爪」部分が噛み合って固定されました。
ニコンS用アダプター
この機会にニコンS型のマウントについて勉強してみると、
レンズ固定に使用される「爪」には、
標準レンズ用の「内爪」と、
広角・望遠レンズ用の「外爪」があるそうです。
この写真でもわかるように、
私の入手したアダプターには、どちらの爪も用意されていました。

ということは、この外爪を生かすレンズも欲しいですね。
それで買ってみましたよ。
" NIKKOR-P・C 1:2.5 f=10.5cm " です。
ニコンの10.5cm
105mmでなく、10.5cmと呼ばれているところが「時代」ですね。
なぜこのレンズを選んだかというと、そう、この焦点距離が好きなんです。
以前、「Nikonのガチャガチャ」なる記事で、
私が「ニコン Nikon F2」を使用していた40年前の愛用レンズ
「NIKKOR-P・C Auto 1:2.5 f=105mm」を、
再入手した話を書いたことがありました。
次の写真の右側のレンズです。
03
この時も、既に105mm(写真左のAi-Sタイプ)を持っているにも関わらず、
昔の外観が懐かしく、この梅鉢リングの105mmを入手したのです。
というわけで、結局、ニコンの10.5cm(105mm)が三本揃いました。
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左がレンジファインダーのニコンSマウント用、
右の二本が一眼レフのニコンFマウント用です。
三本の推定年齢は、左からそれぞれ60歳・40歳・20歳です。

10.5cmのレンズを " SONY α7II " に着けて試写しました。
お散歩エリアは、新目白通りから目白台と前回と同じ。
6年ほど前にも、何度も歩いたエリアです。

フィットネスジムの外観
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豊島区の「富士見坂
豊島区の富士見坂

この10.5cm、本当にしっくりくる画角です。
またまた、話が逸れましたが、
次回こそアダプターの考察に戻ります。

続く