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40年前のサグラダ・ファミリア2026年06月13日


サグラダ・ファミリア生誕のファサード
この写真は今から約40年前の1989年、バルセロナの世界遺産「サグラダ・ファミリア教会」を訪れた時に撮影したものです。夏も終わりに近づいた9月2日のことでした。
数日前の新聞に「サグラダ・ファミリア教会」の事が取り上げられていたので昔を思い出してアルバムから見つけてきたのです。
記事によると、この教会の主塔「イエス・キリストの塔」が完成し記念ミサが行われたそうです。100年以上も工事を継続し、次のような姿になったわけです。
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この外観図と最初の写真を比較すると、私は「生誕のファサード」を正面から見上げるようにして撮影したのですね。
40年経ってようやく自分の写真の撮影位置を確定できました。
1989年はまだまだ工事も道半ばで、その全体像も分からないまま撮影してました。そんな写真がほかにも何カットかあるので、この際まとめて解読することにしました。

まず、訪問時に購入したバルセロナ観光ガイド地図を探し出して改めて眺めてみました。
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サグラダ・ファミリア教会を特徴づけるのは先の尖った「塔」です。
その本数は今年「イエス・キリストの塔」が完成したことにより14本になり、最終的には10年後くらいに18本になるそうです。
しかし、この1989年版観光ガイドの表紙ではまだ8本しか写っていませんね。いずれにせよ気の長い話です。

次に、全体像を理解するための材料として、概略平面図を入手してそれをGoogle地図(空撮)に落とし込んでみました。
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この平面図と新聞添付の外観図を手がかりに、私が撮影した写真を順番に吟味していきます。

昔も今と同じように、観光客の入り口は「生誕のファサード」側だったようです。
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その入り口左側上部に配置された石造りの人物像三体を撮っていました。これは聖書に書かれた三賢者でしょうか?イエスの生誕の物語に付合しますね。
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これは多分「塔2」に設置されたエレベーターで塔を登り、そこから螺旋階段を降りつつ教会内部を観光しているところです。
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途中に塔と塔を結ぶ渡り廊下がありました。この写真は多分「塔2」と「塔3」の間から空を見上げて撮影したのでしょう。
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塔内の階段を降りながら撮影した3枚を合成したものです。反対側(西側)の「受難のファサード」の「塔5〜8」ですね。中央に工事用タワークレーンが設置されているので「生誕のファサード」の「塔1〜4」と区別できます。
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「受難のファサード」の塔4本の脚元を見下ろす。
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これは教会敷地東側のマリナ通りを挟んだ隣地を見下ろしたところ。Google地図にも池があるので分かりやすいです。

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この空間は将来的には教会の内部の「主祭壇」となるべきところです。中央に天蓋がかけられています。この上部屋根面に「マリアの塔」が位置することになります。主祭壇の周囲に放射状に祭室が設けられています。これも平面図と付合しますね。
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地上に降りてきて先ほどの空間をアイレベルで撮影。
主祭壇と放射状祭室。
これは上下2枚の写真を合成したので少し歪んでいます。
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主祭壇前で記念撮影の私。
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地上で歩き回ったエリアは、基本的には建物の壁が立ち上がっているだけの空間で、ほとんど吹きさらしです。
でも、一部にはステンドグラスが入っており、将来の壮麗な空間を期待させます。

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これは「受難のファサード」の外観(西側立面)です。
工事用の足場がすごいというか怖い。
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この3スパンの壁は「受難のファサード」から南側に連なる外壁です。いずれ身廊の西側の壁となるはずですが、この状態ではほとんどペラペラに見えます。
壁の奥に写っている4本の塔は「生誕のファサード」の「塔1〜4」ということになります。

さて、サグラダ・ファミリアの設計者アントニオ・ガウディの作品としては「カサ・ミラ」も有名ですね。これもバルセロナにあります。下の地図に示すようにこの教会から1.4kmほど西にあります。
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実は教会を見学した前日の9月1日にカサミラを見学していました。
次の写真がカサミラです。
外壁の清掃が済んで白さが戻った直後だったと記憶しています。
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そして屋上でこの記念写真を撮ったのですが、その私の後方にモヤに霞むようにサグラダ・ファミリアが写っているでしょう?
ここから愛機の「ミノルタ Minolta α-7700i」のレンズを望遠にして撮影したのが次の一枚です。
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「よし、明日はあのサグラダ・ファミリアを見学するぞ!」という気持ちだったのでしょうね。
そしてこの写真で塔の本数を数えてみると、やっぱりまだ8本しかないですね。
以上、バルセロナの空に突き刺さるように聳える8本のトウモロコシの思い出です。


ミラノ大聖堂の屋根の上で2019年01月16日

ミラノ大聖堂の屋根の上で
映像が記憶を喚起する力は本当にすごいと思います。
この写真は28年前にミラノ大聖堂を訪れた時の一枚ですが、
この旅行の一連の写真を改めて眺めてみると、
様々な出来事が、そのディテールまで含めて、
芋づる式によみがえって来ます。

きっかけは一つのTV番組でした。
TV東京が土曜の夜に放送するシリーズ『美の巨人たち』で、
「ミラノ大聖堂」を取り上げることを知りました。
約30年ほど前にミラノを訪れたことのある私は、
「確か大聖堂にも行ったはずだ。どんな教会だったかな?」
と思い出そうとしましたが、いまいちピントを結びませんでした。
(今思えば汗顔の至り)
それで、あの旅行は1990年頃だったはず、と推定し、
その前後のアルバムをめくって見たところ(実際はiMac上でブラウズ)、
ミラノなど北イタリアで撮影した写真がたくさんあったのです。

そして問題の大聖堂については、行っただけでなく、
屋根の上で写真を撮りまくっていたのです。
その一部を紹介します。
次は、教会の壁を支える「フライングバットレス」
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街を見下ろし。右手にガレリアのガラス屋根。
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バットレスとガレリア。
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尖塔上の聖人像。
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そして先ほど紹介したTV番組では次のような鳥瞰映像を流しました。
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これらの映像を観ることによって、私の記憶の中で、
ミラノ大聖堂のイメージと、その屋根の上を歩き回った私自身の姿は、
完全に再現像され、定着しました。

ちなみに、もちろんガレリアにも行き、
お昼を食べたり、ショッピングしたことも思い出しました。
07ミラノのガレリア
中央部の床にある「ロムルスとレムス」等のモザイク画も見ましたよ。
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番組では、レオナルド・ダ・ヴィンチも関係者として取り上げていました。
(内陣の構造方式を決めるコンペに応募したそうです。ただし、落選!)
彼はミラノ滞在中の3年間で、例の「最後の晩餐」を、
「サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会」の食堂の壁に描いたのですね。
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これはTVが放送した現在の絵の状態です。
私が見学した時は、残念ながら、修復の真っ最中。
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もっとも、修復途上の絵を見るのも、得難い体験でした。
また、絵を見る直前に、この教会の中庭の写真も撮っていたようです。
サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の中庭と回廊
この中庭と回廊の雰囲気が気に入ったらしく、写真が何枚もありました。
でも、この中庭についての私の記憶はほとんどゼロですので、
写真から記憶を再生することになります。(それもありか)

さて、大聖堂の建設に使われた大理石は、
ミラノ北方100kmにある「カンドリア」の石切場から運ばれて来て、
ミラノ郊外の工房で加工されたそうです。
現代でもそこで修復作業が行われており、その様子が紹介されていました。
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その映像を見た私は、28年前の似た光景を思い出しました。
場所はミラノ東方200kmのヴィチェンツァ近くの工場でした。
大理石を切削加工して工芸品を製造している青年を見たのです。
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その仕事ぶりから感じたのは、
この青年たちは「石工」とか「職人」というより、「芸術家」なんだ、
ということでした。
それにしても、ハンサムな青年たちでしたね。
そのハンサムぶり、とても敵いません!(笑)

さて、TVではカンドリアの石切場も紹介していました。
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この小高い丘から平地を見下ろす景色に、
私もヴィチェンツァ近くの丘にあるレストランを思い出しました。
大理石加工工場の関係者に連れられて訪れたレストランです。
次の写真がレストラン近くでの車窓風景ですが、
同じ北イタリアの雰囲気があるでしょう?
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次の二枚の写真がレストランと、その庭園です。
辺鄙な立地に、看板も何もない素朴な佇まいが好ましいです。
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多分、地元の方と一緒でなければ絶対に訪れないような店です。
ここで食べたパンが美味しかった!
少し酸味のあるオリーブクリームをパンに塗って食べたのでした。
それから、直径が10cm以上もあるキノコのソテーも!

食事が済んでレストランの外に出て、
「このお店を再訪するチャンスは今後巡って来ないだろうな」
と思うと名残惜しく、そんな気分で先ほどの写真を撮ったのでした。

ちなみに、これらの写真は全て「1円のレンズ」で撮りました。

昔の写真の撮影場所発見法(ビオット旧市街地俯瞰)2016年08月29日

鷲の巣村のビオット」の補足です。

昔の風景写真の撮影場所を確認するには、
Googleのストリートビューは便利なツールです。
でも、これは全ての通りを網羅している訳では無いので、
代わりに"Google Earth"を使うのもありです。

例えば、次の写真ではこんな風に使ってみました。
ビオットから地中海を望む
これは"ビオット Biot"の旧市街地のどこかから、
地中海が見えたので撮影してみた写真(のはず)です。
この風景の特徴は、
・前方の土地が低くなっている
・光のさす方向から判断すると、東向きの風景
・写真の右半分を大きな壁が占めている
であるといえます。

ビオットの街の特徴は、次の二枚の写真でわかるように、
小高い馬の背のようなところに築造された街であること、
また、東方3km弱のところに地中海があることです。
ビオット絵葉書

広域図

そんな条件を念頭に、
ビオットの上空から東方の海を眺めてみたのが次です。
鳥瞰写真
すると市街地の北東のテニスコート側に、
建物の隙間がいくつかあって、その隙間から海が見えるような気がします。
その部分を拡大してみると次のようになりました。
鳥瞰拡大
先ほど列挙した風景の特徴に見事に合致する場所があるでしょう?
この地に立てば、白の矢印の方角に「地中海」が望めそうですね。
一件落着。

もう一枚、次の『プラタナスの公園』の写真を取り上げてみます。
プラタナス公園
この風景の特徴をまとめるとこうなります。
・プラタナス二本で覆われる広さの公園
・光のさす方向から判断すると、南向きの風景(逆光気味)
・土地は左に低くなっている
そして、この写真に対応する鳥瞰写真として次のものを見つけました。
公園俯瞰
公園に面する建物の壁面に、
「黒い飾り」と「板戸で閉ざされた窓」があることが決め手です。

この場所の見当をつける過程で役に立ったのが次の広域鳥瞰図です。
ビオット鳥瞰写真
フィルムの写真の並びから、
この日の私の足跡は次の通りであることが分かっていました。
サン・セバスチャン通り→ス・バリ通り→アルカド広場と教会→場所不明の『プラタナスの公園』→ゴール広場
そして、教会から場所不明の公園を経てゴール広場へ至る道筋については、
「既に歩いたサン・セバスチャン通り以外の道を選んだのではないか」、
と考えてみたところ、
それらしい道筋に、風景の特徴が合致しそうな公園(黒矢印)がありました。
そして方向を変えて俯瞰すると、
先ほどの「飾り」と「窓」という二つの決め手が見つかったのでした。

まあ、こんな風に、
遥か昔に撮影した、しかも外国の小さな街の写真について、
その撮影場所を特定してみました。
その作業を今ふりかえってみると、
一枚につき平均して約一時間、トータル20時間ほど費やしたことになります。
ご苦労様でした。(自らねぎらう)

ニース〜ビオット〜アンティーブ2016年08月25日

前回)からの続きです。

鷲の巣村Biotの写真一覧
この一覧表は、ニースを出発した後ビオットを経由して、
当日の宿泊地であるアンティーブのボテルに着くまでに撮影した写真です。
そして、白線で囲んだ部分がビオットの旧市街で撮影したものです。
これについては前回の調査で、すべての写真の撮影場所を確定させました。
とすれば、白線内以外の5枚についても撮影場所が分かれば、
27年前の夏の日のドライブ旅行を、完全に再体験したことになります。
そこで"Google Earth"と"ストリートビュー"を駆使して調査しました。

初めの2枚は、ニースからビオットへのルート上で撮られたはずです。
やや広域の空撮で当該エリアを見てみるとこうでした。
ビオット周辺広域図
この広域図の右上に、丸っこい影を持つ巨大建築物がありますね。
早速、最初の一枚目の場所を発見!
マリナリゾート
マリンリゾートマンションでした。上が昔の写真、下が今です。
01a

次の二枚目では難儀しました。
Poterie Provencale
この建物の壁面に書かれた文字は"LA POTERIE PROVENÇALE"でしょう。
日本風に言えば「プロバンス陶芸工房」とでもなるのかな。
実際、ネット上で次のようなブログページに出会いました。
陶芸工房のブログ
このページの左下の外観写真は、私の撮ったものと同じですね。
また、外壁の工房名の下の行は"R. AUGÉ-LARIBÉ"なる人名でした。
1920年にこの工房を創始したパリジャンの陶芸家だそうです。

ところが、この工房名で地図検索をかけても、うまく行き着けません。
ビオットへ向かうルート上に、もっともらしくヒットするのですが、
その場所をGoogleで見ると、個人の別荘らしき建物が写し出されるのです。
「最近倒産して、土地を売却したか?」とか思いましたが、
一応、更にしつこく検索すると、
検索結果(フランス語なので苦労も百倍)の一つの記事内に、
"Atelier CARRELAGES"なる固有名詞がありました。
今度はこれで地図検索したところ(ほとんど無手勝!)、
ついに成功!!
Atelier Carrelages
きっと代替わりして名称変更でもしたのでしょうね。
でも同一建物であることは一目瞭然。
しかも、地中海とビオットを結ぶ道路 "Route de la Mer (海の道)" の
丁度中間地点にありました。
このおかげで、ニースからビオットへの当日のドライブルートは、
内陸側でなく海側の道だったことが分かりました。

次は、ビオットを出発してからの後半の3枚について調べます。
この作業は割合に簡単でした。
ビオットからアンティーブへ向かう道は一本道、
その名も「アンティーブ道路」です。
撮影場所は、そのルート沿いに見つかるはずです。

まず、車の中からビオットの市街地の丘を見返す写真が二枚あります。
一枚目について昔と今を載せるとこうです。
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11a
決め手は旧市街地を囲む城壁の一部の丸い塔と、その周囲の建物です。
旧新を拡大比較してみますと、このようになります。
11b

また、二枚目はこうなりました。
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コル通りへの分岐点
こちらの決め手は、何と「ヤシの木」です。
12b

そして最後はゴルフ場です。
アンティーブ道路沿いには、
ゴルフ場は"Golf Club de Biot"のひとつしかありません。
光の差す方角から、西側に向かってカメラを構えたことがわかります。
golf club de biot
現状は次のとおりです。(あまり厳密な位置ではありません)
13a
撮影場所の特定理由について、しいてこじつければ、
数本の樹木でセパレートされた「二つのホール」が、
同時に見えている場所はこの近辺ということでしょうか。
ところで27年前、このアンティーブ道路を南下しながら私は何を考えた?
「あ!ゴルフ場だ。ちょっと寄って行きたいな」程度かな。

さて、せっかく全ての写真の撮影場所を特定できたのですから、
その緯度経度のGPS情報をデータとして埋め込まないといけませんね。
(その方法は後日詳述します)
こうしておけば、あとから見返したときに、撮影場所がすぐ分かります。
また、副次的な効用として、Mac_OSXのアプリ「写真」に取り込むと、
当該写真のサムネイルを地図上に自動配置して表示できます。
(私が愛用中の旧バージョン"iPhoto"では赤ピンが立つだけです)
広域図で見てみると次のようになります。(緑色のドライブルートは手書きです)
14広域図写真配置
また、前回のビオット旧市街地についても、次のように自動配置できました。
ビオット写真配置地図
我ながら完璧です。

このようにして、1989年8月29日の午後の小旅行を復習してみました。
凡その旅程を記してみると、次のようになるはずです。
・ニース発  14:30
・ビオット着 15:30(ここで約1時間の観光)
・ビオット発 16:30
・アンティーブ着 17:00 

今回の写真検証作業を行う前は、
実はこの小旅行に関する記憶は完全に消えていました。
学校の勉強でも、頭に定着させるためには予習復習が必要でしょう?
旅行の記憶も、事後の復習(他人に話すとか)で強化されるようです。
私の場合、この小旅行については、事前も事後も何もなかったので、
27年間のうちに記憶が飛んで行ってしまったのですね。

ところが、数日に及ぶ検証作業が済んだ今では、
1989年の夏の日の午後のビオット小旅行を、
まるで昨日の出来事のように思い出すことができるようになりました。

お金と暇があれば、いくらでも外国旅行をする事は可能ですが、
それでも「過去」に旅行することはできないので、
このように昔の写真で遊ぶのも結構面白くて有意義ですね。
(特に、お金がなくて、でも暇はたくさんある人にお勧めです)

27年前の実際の旅行では、この後はアンティーブの南端、
地中海へ突き出た半島のほぼ先端に位置する至高のホテルへ行きました。
そのホテルの記事は「こちら」です。

(この項、一応終了)

鷲の巣村のビオット2016年08月24日

前回)からの続きです。

27年前の夏の終わり、
ニースからこの日の宿泊地である"アンティーブ Antibes"へ向かう途中、
ちょっと道を逸れて、工芸村として知られる"ビオット Biot"に立ち寄りました。
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このミニ絵葉書にあるように、
小高い丘の上に孤立したビオットの「旧市街」の様子は、
数日前に訪れた"エズ Eze"を思い出させます。

街の外れに車を止めて、私は早速"walk & shoot"開始。
旧市街の各所に次のような陶板製の地図が掲げられていました。
ビオットの陶板製地図
陶芸の村でもありますからね。趣のある案内板です。

小一時間の散策とはいえ、
実はこの時に歩いた範囲はこの地図には収まらないので、
google地図と合成してみました。結構ぴったり合うものですね。
00b
さらに、散策時の撮影地点を、歩いた順に番号を付けて、
白抜き文字で地図に落とし込んで見ました。
撮影地点
と、ここまで書くとなんということもなさげですが、
実は撮影場所の特定には、丸四日くらい、
およそ20時間くらいの作業を必要としました。
これは、今後同種の作業を行うのに有益な体験でもあるので、
その作業の詳細を「撮影場所発見法」として別途まとめてみました。

さて、撮影場所の確定した写真を、以下、番号順に掲載してみます。
Googleのストリートビューが見られる場所については、それも併せて載せます。

01."サン・セバスチャン Saint Sébastien 通り"の東端から、
  東側の"ス・バリ Sous Barri 通り"入り口を眺める
01サン・セバスチャン通り

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02.ス・バリ通りの下り坂
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03.旧市街の建物の隙間から東方に地中海を眺める
03
街から地中海までは3km弱でした。

04.海を眺めた場所から、ス・バリ通りを見返す
ス・バリ通り

05."教会 L'eglise"と"市役所 Mairie"
ビオットの教会
教会入口の右手に"MAIRIE"と書いてあるのが市役所のはずです。
但し、この市役所は、今は"ヴァルボンヌValbonne通り"の方に移転したようです。
100年経っても変化しそうにない街並でしたが、
人が暮らしている街って、やはり少しずつ変わっていくのですね。

06."アルカド広場 Place des Arcades"
アルカド広場
07.アルカド広場の風景
07
この広場が、旧市街で一番人気のある場所と思います。

08.ミタン通り北側のポケットパーク
プラタナス公園
プラタナスの木が二本植わっているだけの小さな公園でした。
でも、特に写真に撮ったのは、光の具合とかが良い感じだったからかな。

09.サン・セバスチャン通りに面した"ゴール広場 Place de Gaulle"
ゴール広場
多分ここが旧市街の中心だと思います。
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10.前方に"ヴァルボンヌ Valbonne 通り"を眺める
ヴァルボンヌ通り入り口
人々がいるあたりが、通りの始点です。
望遠レンズで撮っているので遠近感が圧縮されていますが、
広角で眺めると次のようになります。
昔も今も写真右端の建物の特徴的な階段で場所が特定できます。
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この広角視点から更に前方(西方)に進むと次のような景色。
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正面の建物が昔と同じですね。
この写真で右側に"ECOLE"(学校)と書いてある手前が現市役所。

11."ヌフ通り Chemin Neuf" 沿いのパーキング
ヌフ通りのパーキング
この写真右下の路面に"(P)RKING"と書いてあるのが読めます。
11a
ところが、現在はこのようにパーキングエリアがなくなっています。
多分、道路エリアに取り込まれたのだと推測されます。
ちなみに、この写真がビオットの街で撮影した最後の写真でした。
ということは27年前、車の待機場所もこのパーキングだったのでしょう。
そして、最後の一枚を撮ったあと、慌ただしく車に乗り込み、
このヌフ通りを南下して次の目的地のアンティーブを目指したはずです。

続く