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10年前の大宮氷川神社とカシオエクシリム2015年12月20日

前回)からの続きです。

何故か氷川神社に縁のある私、
10年ほど前は大宮の氷川神社の近くで仕事をしていました。
その2005年のお正月、
「神社の近くにいるとなれば、仕事始めの後には初詣に行かなければ不信心」、
そう考えてお参りに行ったよな、とふと思い出して、
その時の写真を探しました。
出て来たのは次の写真、デジカメで撮ったので撮影日時が正確にわかります。
その時間軸で並べてみると、自分の行動が再現されるのが面白いですね。

こんな感じです。
まず、2005年01月04日 13時41分02秒、昼食後の私は参道の入口にいました。
大宮氷川神社参道入口
そして6分後、まだ参道を歩いています。
02
更に10分経過しても、まだ参道です。
03
確かにここの参道は距離があるのですが、それにしてもゆっくり歩いていたようです。

先ほどの参道から18分経過して、やっと三の鳥居の内側にきました。
04
長い行列に驚いています。この初詣の人の多さは、
さすが「武蔵一宮 氷川神社」と呼ばれるだけの事がありますね。
遠方に樹木の隙間から「楼門」がかすかに見えています。
これでは、楼門の内側の拝殿まで辿り着くのには一時間以上掛かりそうです。

ところが、参拝行列の最後尾から13分後に、私は拝殿前にいました。
05
という事は、行列をスルーして、脇からお参りすれば良いと日和った訳ですね。

そして、拝殿でお参りしてから僅か4分後には、境内の屋台など眺めながら、
06
大宮の繁華街を目指して帰途についたのでした。

神社のHPの境内案内図はこちらです。
氷川神社境内案内図

ところで、当日の行動パターンを見事に再現してくれたデジカメの機種名、忘れました。
何しろ携帯電話のカメラ機能も含めると、デジカメも色々使って来ましたからね。
でも、先ほどの写真の"Exif"情報を見ると、ちゃんと記録されていました。
"カシオ CASIO EX-S1"だそうです。
カシオEX-S1
(カシオのHPから借用)
そういえば、そんなカメラも持っていたな、
カードサイズでしかも超薄だったので、いつも鞄に入れてたんです。
今はスマホがあるから、こういうカメラの需要はありませんね。

ところで、参拝行列の写真や、拝殿前の写真を見ると、
スマホを眺めたりかざしている人間がいません。
今では、逆に、これが何か不思議な光景。

追記(2018/05/10)
そして遂に昨日、カシオは2018年3月期の決算説明会にて、
「コンパクトデジタルカメラ市場からの撤退」
を表明しました。

(終り)

東久留米の氷川神社2015年12月18日

関東地方には「氷川神社」が多いですね。
私のこれまでの東京人生で、住む所や仕事する所が変わっても、
必ず氷川神社が近くにあったような気がします。
目白にも下落合と高田にあり、良く散歩がてら訪れています。

そんな中、
境内のたたずまいと周辺の環境がすばらしい、
と東京新聞紙上で原武史さんが高く評価していたのが、
「東久留米氷川神社」でした。
池袋から西武線一本で行ける気安さもあり、好天の先日、
デジイチのD600を抱えて、遠足のつもりで行ってきました。

駅前から南西方向へ少し歩くと、
曾ての武蔵野の風景が、落合川周辺の住宅地の中に垣間見えてきます。
東久留米の落合川

神社手前の宮下橋近くで、マンション建設が進むかたわら、
全く用途不明の空き地が何か良い雰囲気。
01
そこに面して建っている民家(ほとんど廃屋?)も私好みです。
02

神社は、鳥居から眺めると小高い丘の上にありました。
03

04
逆に、境内から鳥居を見下ろすと、こんな感じです。
05
親しみの持てるスケール感ですね。
次の写真は、訪れたついでに?来年に向けて「何事か」お祈りする私。
06

次は帰り道に立ち寄った「落合川いこいの水辺」の風景。
07
近くでは、釣り糸を垂れる少年達。
08

と、川沿いに白いものが飛んで来たので、
反射的にシャッターを押しました。
09
で、簡単に被写体を捕えてしまう所はさすがデジイチですね。
シラサギ(ダイサギ)でした。
そして、水辺に降りて餌を探すシラサギ。
10
次は、沈思黙考する哲学者サギの後ろ姿。
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また、落合川にはコガモもあちこちにいましたよ。
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やはり餌を探しているのでしょうかね?
別の場所にはツガイのコガモ達もいました。
13
何か心安らぐ一日の""walk & shoot"でした。

東久留米で氷川神社へ

続く

お墓参りで大事なこと2015年05月27日

元WBC世界ライト級チャンピオンのガッツ石松さんが、
テレビか何かでインタビューを受けた時の話ですが、
「試合で一番気をつけるべきことは何でしょう?」という質問に対して、
「そうだな〜、試合会場を間違えないことだな」と答えたそうです。

かつて女房の実家のお墓参りに付いて行った時、
霊園のあまりの広さに、お墓を探してさまよった経験があります。
11年前の所沢聖地霊園
これではいけないと思い、当該区画の表示板を写真で記録しました。
11年前のこと、次の写真です。
02
それ以来、お墓参り当日は、この記録写真をスマホに入れて行きます。

だから、昨日霊園を訪れた時もスタスタ歩けて、
03
きちんと目的の場所に最短で行き着けましたよ。
04
お墓参りの時に、間違ってよそ様のお墓にお参りしてはいけませんよね。

さて、大事なことのもうひとつ。
霊園の近くに、美味しいお店を見つけておくこと。
そうすれば、お墓参りもピクニック気分で楽しく出掛けられます。
昨日はここです、いつも立ち寄るうどん屋さん。
ちとせ本店で手打ちうどん
しっかりした食感の手打ちうどんが絶品。しかも安い。
11年前もこの「ちとせ」でした。
11年前のちとせ本店

さて一方、私の実家の方のお墓、これが大変なんです。
次のような階段を二つ登ったところにあります。
1979年の慈光寺
この写真は36年前の1979年8月のものですが、
左に写っている私の母もこの頃は普通に昇り降りしていました。
その三年後、
1982年の慈光寺
母は、一生懸命のぼっている孫(私の娘)の後を何とか付いて行ってますね。
写真右奥には、さっさとのぼり終えた年長の姪が、
「おばあちゃーん、あさちゃーん」と余裕で手を振りながら二人に呼びかけています。
さらに翌年、背の伸びた娘は一人でお墓にお水をあげられるようになりました。
1983年のお墓参り
この区画周辺ともう一つ別の区画にある合計40個くらいのお墓が、
私のお参りすべき墓でした。覚えるのは大変でしたよ。
この写真にあるように、この森のような墓地では山の中腹から頂きにかけて、
あたり一体で総数何万?を越えるくらいのお墓があります。
そのうち40個を識別するわけですから、並の記憶力では覚束ないです。

しかも風雨にさらされて文字も読み取れなくなったお墓も多かったのです。
昔の墓地ですから区画の境界もあってないようなものです。
「これはよそ様のかな?」と判別付かなくなった時は、
「まあ、罰はあたらないだろう」とそちらにも榊をお供えしました。
(当家は神道なので、供えるのはお花ではなく榊です)

「そんないい加減なことはいやだ。ご先祖様かどうか確定したい」
と望む時はどうすれば良いでしょう。
実は方法はあります。
心の中に感じてみるのです、ご先祖様が発する「何か」を。
もう何十年も昔、私が今より少し純真だった頃、次のような体験をしました。

その年、お墓参りに同行した親類の人たちがこう言っていました。
「この前亡くなった○○ちゃんのお墓にお参りしたいけど、どこか分からないね」
○○ちゃんとは、私の末の叔母です。
故あって幼い頃に里子に出され、亡くなるまでずーっと音信不通でした。
同行者達は、
彼女が若くして亡くなってこの墓地に埋葬された、と風の便りに聞いたようです。
もちろん私も、その叔母には会ったこともありませんでした。
でも何故か、そのお墓の場所が分かるような気がしたのです。
そして、水の低きに流れるごとく、足の向くまま歩いて行ったら、
そこに○○叔母さまのお墓がありました。
何万個のお墓の中から、見たこともない一つを選び当てるなんて、
普通に言えば「超現象」なのでしょうが、その時の私は、
「不思議な体験をした」という実感も全くありませんでした。
「水が低いところに流れて行くのは当たり前じゃないか」の気分でした。

今でも時々そのことを思い出すのですが、
やはり当たり前の出来事だったような気がするんです。
だから、お墓参りの時に、区画番号を記録した写真をわざわざ用意しなくても、
きっと素直な心で感じれば、ご先祖様のお墓は呼びかけているんですね。
「こっちだよ〜。良く来たね〜」って。
それを感じ取るのが、お墓参りで一番大事なことかな。

雑司ヶ谷霊園40年前のプレイバック2015年04月29日

前回)からの続きです。

ここ数年、雑司ヶ谷霊園を訪れるたびに心がけていたことがあります。
それは、次の写真の撮影場所を特定することです。
40年前の雑司ヶ谷霊園
丁度40年前の5月に撮影したこの写真が、
霊園のどこの風景を切り取ったものなのか、そして、
その場所が今はどのようになっているのか、ずーっと知りたいと思っていました。
でも、広い霊園の中は同じような景色ばかりですし、
この写真にも「これ!」という明確な目印が写っていないので、
なかなか見つからなかったのです。

ところが、問題が解決する時って、意外にあっさり片付くものですね。
先日、見つけてしまいました。ここでした。
現況
当時と同じ"old Nikkor レンズ"を装着したデジカメで撮影してみました。
発見の決めては、画面右手の墓石です。
先端が少し細くなった自然石の板状墓石の形状が同じでしょう?

発見に至る経緯は次のようなものでした。
私は、普段は一人で雑司ヶ谷霊園を"walk & shoot"しています。
そして、40年前はこの坂道を上り、
清立院前の坂道
次の写真の入口から霊園に入ったはずだ、
霊園南入口1

霊園南入口2
などと考えながら、私自身の気分で"walk & shoot"し、
そのついでに昔の撮影地点を探していました。

発見したこの日は、いつもと違って女房同伴でした、というよりも、
女房が足の向くまま歩き、私は女房の後に付いて行ったのです。
途中、新たに設えられた休憩所で足を止めました。
霊園休憩所
「こんな所に休憩所があるんだ。これは良いね」
すると、その脇に「竹久夢二の墓」の案内標識がありました。
そして標識に導かれ、脇道を少し進むと夢二の墓がありました。
竹久夢二の墓
この夢二の墓の前に佇んで、更に先を見やると、
ずっーと探していた景色がそこにあったのです。

多分、この日の散策は、40年前の完全な「プレイバック」だったのでしょう。
1975年の5月4日、やはり女房の足の向くまま夢二の墓を訪れ、
夢二の美人画にちなんで?その墓前に佇む女房を撮影したのだと思います。
40年後の今年は、"iPhone_6_Plus"で撮ってみましたよ。
竹久夢二の墓の前で

また、撮影場所を特定する決め手となった墓石も撮影しました。次の写真です。
この墓石のおかげで、長年の課題が解決した訳です。
前世の琴子さん
割肌の表面に、「馬淵琴子墓」と彫られています。
40年ぶりにこうして写真におさまって下さった琴子さん、
私達とは浅からぬ縁があるのだと思います。
今頃は生まれ変わって、私の近くにいらっしゃるかも知れませんね。

(終り)

お花にもお墓の雑司ヶ谷霊園2015年04月28日

雑司ヶ谷霊園には様々な形に加工された墓石があります。
先日見つけたのはこんな形。
不思議な墓石
まるで、カメラの透視ファインダーのようです。
昔の二眼レフに良くありました。
透視ファインダー二眼レフ
こうして覗いて見ると、平凡な風景も何か意味深く感じられます。
覗いてみると
最初の墓石は、きっとカメラ好きな方のものですね。
その他、次のように、丸く穿たれた石もありました。
丸い透視ファインダー
この霊園に眠る人は、カメラ好きが多いのでしょうか。

近くの霊園に自分の家のお墓があって、
天気の良い日に散歩がてらのお墓参りができたら良いな、といつも思います。
お天気の日にお墓参り
でも、都立の霊園の中でも、特にこの雑司ヶ谷霊園は「高嶺の花」。
だいたい、空き区画の募集そのものがほとんど無いようです。

そう思っていたら、のどから手が出そうな空地がありました。
区画に木杭
四角に区画杭が打たれているのは、これから工事をする目印でしょうか?
でも木の脚元は腐敗防止のために焼き杭になっています。
ということは、この木杭は長期間使われるはずです。
答えは、この空地の後ろではためいている幟にあります。
また、別の場所には、次のように完成形がありました。
下げ花置場
「下げ花置場」でした。
つまり、ここは墓前に供えられたお花の「お墓」なんですね。

そう思ったら、今度は「お墓のお墓」もありました。
お墓のお墓
これは、お墓の更新のために取り除かれた古い縁石の仮置場でした。

実際、今まさに製作中のお墓もありましたよ。
お墓施行中

そして、次のように完成間近のお墓を確認に来たお施主さんも。
お墓の完了間近
産院で、誕生したばかりの子や孫を見つめるかのような様子です。
お墓の完成
真新しい白御影が、隣の区画のベニカナメモチの紅色に映えていますね。

続く