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北町保育園への道2:自転車の令嬢2016年10月12日

前回)からの続きです。

武蔵野市立「北町保育園」に到着する直前の女房と長女です。

1981年の7月26日、8mmフィルムで撮影したものです。
当時の記憶を再現するために、先日、保育園へ向かって歩いていると、
すぐ手前の角に「北町コミュニティセンター」がありました。
北町コミセン
「そうだ!これがあったんだ」と昔の記憶が一部よみがえりました。
35年前と同じ姿で、この北町コミセンは残っていたんですね。
そして、この建物の右隣が、動画にも写っている保育園の入口でした。
だから、お弁当を抱えた長女がピョコピョコ歩いていた道は、
この写真右手の道路のはずです。

コミセン角から撮影すると、現在は次のような様子です。
保育園前の道
ところが、ピョコピョコ部分を動画から切り出して、
動画切り出し
この画像と、さっきの現在の写真とを比較すると、明らかに違う道でした。
それで、もう少し慎重に昔の画像を観察しました。
更に、自宅アパートと保育園を結ぶ通園ルートを想定し、再検討の結果、
コミセンに至る前の「JRアパート」西側の道が正解であろうとの結論を得ました。
現在のJRアパート西側の道
後日、再度現地を訪れて撮影したのがこの写真です。
左側に見えているのがJRアパート群です。
今度は間違いありません。
道幅、影の落ちる方向、道路脇の広めの排水溝、柵の内側の緑地帯、
また、突き当りがT字路である事など、
昔の風景に特徴的だったものが、今もしっかり残っていますね。

この時に想定した通園ルートを、せっかくですので、
国土地理院の空撮に白点線で落とし込んでみました。
北町保育園通園ルート
ほぼ碁盤目状の街区のため、ルートの想定は何通りか可能です。
でも、実際に歩いてみると、道幅や車の交通量、道の雰囲気などから、
「この道が、歩いたり、自転車で通るのに気持ちよい!」
という記憶(感覚)がよみがえり、通園ルートは一義的に決まりました。

さて、今回は空振りに終わったコミセンと保育園の北側の道の写真、
保育園前の道2
実は別の昔の写真の撮影場所を教えてくれました。
それは、次の写真、女房が自転車に乗っている写真です。
自転車に乗る女房
道路右手の植栽(これもJRアパート)の様子が随分と様変わりしていますが、
コンクリート擁壁とその上の斜面緑地、という構成は完全に残っていますね。
「この撮影場所はどこだったかな?」としばらく前から思案していたのです。
ちなみに、これは1977年8月の写真です。
という事は私が目白から吉祥寺に引っ越した翌年です。
目白では必要性がなく、かつ置き場所もなかったので持てなかった自転車、
吉祥寺では役に立ちそうかなと思って買ったのでした。
井の頭公園入口近くの自転車屋さんで4万円程度だったと記憶しています。
外部10段変速機つきの、ブリジストンの高級自転車でしたよ。

ところが、実は女房は自転車が苦手でした。
彼女に言わせると「東京育ちのお嬢様は練習する機会がない」のだそうです。
女房のお母さんも、危ないからと父親(女房の祖父)に禁止されていたらしい。
それでも、自転車を手に入れて、吉祥寺の裏道を風を切って走ってみたら爽快!
そんな表情をしていますね。
でもこの時は、翌年に長女が生まれ、この道の左側にある「北町保育園」に、
ゼロ歳児として預ける事になろうとは(私は)考えもしなかったです。
そう思うと、この道は私の家族とは深い縁のある道だったんですね。
自転車にしてみれば、
この数年後にはサドルに女房、その前後には複数の子供を乗せ、
立派な「ママチャリ」として吉祥寺の街を走り回る事になるとは、
多分まったく想像していなかったでしょう。

さて、他にも自転車の令嬢の写真がありました。
撮影場所不明の自転車の令嬢
これも同じ日の撮影ですから、吉祥寺北町一丁目付近のはずです。
(まだ、それほど遠くまでいけない頃)
ところが、こちらの写真については、
該当しそうな現在の風景を探しても、「全く」手がかりがありませんでした。
写真に写っているように、
進入禁止の標識のある遠方の狭い道と、そこに突き当たる手前の道との接続部、
また、周辺の鬱蒼とした緑地など、
かなり特徴的な風景なのですが、見つかりませんでした。
確かに、特徴的な風景って、その特徴が失われたら逆に探せませんね。
この場所も、39年の間には、いかにも一変しそうな風景ではあります。

(この項、一旦終了)