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プリモジュニア分解_クランク側2017年07月15日

前回)からの続きです。

メカニック観察と分解練習のためにバラバラにしているプリモジュニア、
今回はクランク側について分解手順をメモします。
外す部品は次の写真の赤枠内のものです。
プリモジュニア分解

まず、レンズボード等を取り外す前の状態から始めて、
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クランク取付部のピンを抜き取りクランクを外すと、
取付部の両側に二つのダボ穴があり、
次のようにダボが頭を覗かせます。
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ダボの下にはコイルばねが潜んでいますので注意。
写真左下の金具(吊り紐とおし)も普通に外します。
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ここに見えているネジと、
「撮影回数表示盤(フィルムカウンター)戻しボダン」を回転させて外し、
次のように化粧蓋も外します。
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この状態で側板が外れます。
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内部機構が見える状態になったところで、巻き上げクランクを仮止めすれば、
通常の撮影時のとおり、クランクを回して、
フィルム巻き上げとシャッターチャージのメカニズムの確認ができます。
まず、シャッターチャージを行ったところ。
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鳥型レバーの先端の位置に着目。
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鳥型の嘴の部分が、クランク下のギアの更に下のギアと噛み合って、
シャッターをリリースしなければ巻き上げられないようになっています。

再度クランクを外して、
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この大型カム、
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このリングばねを外したところが次の写真です。
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二つの同心状の細穴を持つドーナツ型の円盤が見えます。
これを外すと、フィルム巻き上げ逆転防止のラチェット機構があります。
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2セットあります。
ねじりばねが三日月型金物の細溝にはまっている状態を確認します。
これをバラすとこうです。
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次にフィルム巻き上げ用の二つのギアを外します。
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更に進んで、「巻き上げ機構プレート」を外すには、
次の写真のビス(白矢印)3本を外した上で、
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赤矢印の穴の中を覗きながら、外れる位置をを探します。
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奥にべっとりと劣化したグリースが見えますね。
これも悪臭の元だと思うので、早く拭き取りたくなります。
外したプレートを裏側から見たところが次の写真。
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この丸型の連動ピンが、長円形溝の穴の大きい位置に来れば、
プレートが本体から外れるのですね。

このプレート裏側には欠き込み(切れ込み)のある円盤と、
シャッターリリースボタンと連動しているカムがあり、
その動きを観察しました。
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シャッターボタンを押すと次の状態になります。
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撮影マニュアルには、
フィルムを巻き上げたらクランクを半周戻すよう指示があります。
半周戻すことによって、円盤がこの写真の状態になるなのですが、
円盤の欠き込み部がこの所定の位置にないと、
カムが欠き込みにはまることができない、
すなわちシャッターが切れないようになっていることが分かります。

(続く)

プリモジュニアレンズ清掃編2017年07月08日

前回)からの続きです。

古いカメラを分解し、レンズを前後から眺めてみると、
たいていの場合、傷やクモリやカビが発見されます。
今回分解したプリモジュニアも次のように難ありでしたので、
プリモジュニアレンズ清掃
以下の手順にてレンズの清掃を行いました。

左ビューレンズ、右テイクレンズの乗ったレンズボードを外します。
02

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テイクレンズの前玉表面にアバタのような傷(多分カビ跡)が見えます。

ビューレンズについては前玉の押さえリングを外してから、
レンズサッカーでレンズを一つずつ取り出していきます。
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取り外した順に並べて置きます。表・裏を間違えないように。
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適宜清掃します。

テイクレンズは後玉の表面にクモリありでした。
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ただししつこいものではなくアルコール清掃で綺麗になりました。
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問題は次の前玉群。
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押さえリングが外れず、あれこれひねっていたら次のように、
紙製の茶色のスペーサーが破れてしまいました。
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これは接着剤で元に位置に貼り付ければ問題なしと思いますが、
一応、組み上がり後にピントチェックをしました。
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前玉の押さえリングは結局は次の写真のように、
吸盤オープナーをうまく使うことによって外れました。
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次の写真が、二枚構成の前玉群をバラしたところ。
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この後、前玉表面の研磨を20分ほど行ったら、
次のように綺麗な透明になりました。
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再組み立てした状態の顔はこうなりました。
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レンズが凄くクリアーになったおかげで、
見かけだけは高級品のようになりました。

なお、今回の行き過ぎた清掃(20分間の研磨)によって、
このプリモジュニアは「軟焦点カメラ」になってしまったのですが、
そのレンズ研磨の前後で、画質がどのように変化したかについては、
前々回の「プリモジュニアの分解清掃」にまとめた通りです。

続く

50年前の鎌倉大仏2017年07月03日

前回)からの続きです。

前回紹介した「江ノ島稚児ケ淵」の50数年前の写真、
それが見つかったのは次のアルバムでした。
50年前のアルバム

50年前のアルバムの中身
私の小学校の卒業記念アルバムです。

実は私は子供の頃の写真は全部捨てたつもりでした。
多分、思い出写真なんかはどんどん捨てちゃう方がカッコいい、
というちょっと見当違いな考えを持っていたのだと思います。
だから実際に、私の幼少年期の写真はあまり残っていません。
ところが私の知らないところで、母が一部保存していたのでした。
保存していたというよりは、母の性格からすると、
適宜処分するのを、ずーっと怠っていたと言う方が正確かもしれません。
ともかく、そんな鷹揚な母の性格のおかげで、
こんなアルバムの類が何冊か残っていて、
母が亡くなった後、私が引き取ることになりました。
そして、私が先日の鎌倉旅行から帰ってきた後に、
「江ノ島鎌倉への昔の修学旅行の写真もあったかもしれないな」
と思って探してみたら「稚児ケ淵」の写真があった訳です。
当時、小学校の修学旅行としては「江ノ島鎌倉」は定番でした。

ちなみに、修学旅行時の写真はもう一枚ありました。
50年前の鎌倉大仏
高徳院のあまりにも有名な「鎌倉大仏」ですね。
当然、今回の旅行でも撮りましたよ。
現在の鎌倉大仏
昔と同じアングルからの写真になったのは偶然、というか、
撮影地点がここになるのは昔も今も必定ですね。
裏に回って次のような写真を撮る物好きは少数派です。
鎌倉大仏の背中

鎌倉大仏の与謝野晶子の歌碑
「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」(晶子)
フィルムの一コマ一コマが、
その後の焼付け&引延しも含めれば、とても高価で貴重だった時代には、
大仏の背中や歌碑の写真などを撮るのは、
浪費以外の何物でもありませんでした。

さて、ここで今回の旅行の本来の目的を思い出してみると、
それは「アジサイ巡り」でした。
北鎌倉から鎌倉まで紫陽花を求めてお寺巡りなどをしたのです。
例えば、駆込み寺(縁切寺)として有名な「東慶寺」で、
駆け込み寺の東慶寺の紫陽花
あるいは「亀ケ谷(カメガヤツ)切通し」でも
亀ケ谷坂
アジサイが丁度見頃でしたね。
そして、アジサイと共にあちらこちらで見かけたのは小学生のグループ。
亀ケ谷切通し
上の三枚の写真のいずれにも、
四、五名で行動している男の子・女の子が写っているでしょう?
この亀ケ谷切通しを歩いている時に、その内の賢そうな男の子が、
「『海蔵寺』に行くには、この道で良いのでしょうか?」
とよりによって女房に質問していました。
大人はみんな正しい道を歩くのだ、と信頼してくれているのですね。
埼玉県から修学旅行にやってきた小学生たちでした。

ところで、母の残した私の小学校の卒業記念アルバム、
これを眺めて、ふと疑問が湧きました。
卒業アルバムって、写真屋さんが製本して紐で綴じてあるのが普通でしょう?
それに対して、これは市販のアルバムに写真とタイトルを貼り付けたものです。
「変だな〜」と思い、なぜこうなったかを推測してみました。

1.たまたま写真屋さんがこういう作り方をした。
2.写真屋さんから写真の提供を受け、先生が作った。
3.同上、父兄が作った。

昔の記憶を呼び戻してみると、そういえば、
「このアルバムはあなたたちのお母様が作って下さったのですよ。
 大切にいただきましょうね」
というような話を聞きながら受け取ったような気も、少しします。
でも、「こんなことに、父母がそこまで労力を注ぐものかな?」
と思うのが普通でしょう。
[3.]の推測はちょっとありえないような気もします。

ところが、結論から言うと正解は[3.]でした。
私のかすかな記憶は、本当のことだったわけです。
それは、わざわざ推測するまでもなく、
アルバムを改めてめくってみれば、すぐ分かることでした。
次のような一文を記した紙が貼ってあったんです。
アルバムの中に製作者
万一、このアルバムを捨てちゃったりすると、罰があたりますね。

(終り)

50年前の江の島稚児ケ淵2017年07月02日

前回)からの続きです。

先日宿泊した鎌倉プリンスホテルの目の前は七里ヶ浜。
到着した日の夕方、堤防の上から浜越しに「江の島」が見えました。
七里ヶ浜から江の島
「五十年ぶりに江の島に行くのも良いかも」と急遽旅程を変更。
翌日江ノ電に乗って行きました。
02江ノ電七里ヶ浜

江ノ電江ノ島駅
次の弁天橋はすんなり渡りましたが、
弁天橋
島内の階段はそれなりに登りがいがありました。
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事前調査も何もしてなかったので、
屋外エスカレーターがあることを知ったのは、半分ほど登った後でした。

ともかく、途中は次のような絶景を楽しみながら
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辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)に奥津宮(おくつみや)などを巡り、
島の南西側の岩場まで上ったり降りたりしました。
最後に急勾配の階段を降りて、
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目の前が開けるところ。
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ここが「稚児ケ淵」と呼ばれる岩棚です。
パンフレットによれば、「稚児ケ淵の名は、
鎌倉相承院の稚児白菊がこの淵に投身したことに由来しています」
だそうです。

岩棚の上に整備された歩廊を行くと、
稚児ケ淵の歩廊
「岩屋」の入口がありました。
江ノ島岩屋入口
次の写真で、入口の左側の切り立った崖の僅かな平場に、
モルタルで設えたような階段の名残が見えるでしょう?
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歩廊が整備される前は、
この恐ろしい階段を伝って、岩屋に辿り着いたのでしょうね。
身軽でないと江の島観光はできなかったですね。
岩屋の中に入ると、一人々々に「手燭」が配られました。
江ノ島岩屋の手燭
この一本の蝋燭の光を頼りに洞窟の中を巡りましたよ。
次の写真が「江島神社の発祥の場所」
江島神社発祥の地
「欽明天皇13年(552年)にこの地に鎮座されました」とあります。

さて、歩廊の途中でこんなものが見えました。
江ノ島稚児ケ淵の亀石
「亀石」です。
この亀にまたがると「竜宮城」へ連れて行ってくれるらしい。
行ってみたいものです。

この江の島の自然の中で最も印象的な稚児ケ淵ですが、
何と五十数年前に、ここで撮影した写真がありました。
50年前の江ノ島の稚児ケ淵
東京に戻ってきてから、「もしや?」と思って探してみたら、
むかし修学旅行で江の島を訪れた時の写真が一枚だけ残っていたんです。
しかも、写真中央で海を見つめる後ろ姿の少年、
これは私自身に違いありません。
多分、竜宮城へのお迎えの亀を待っているところでしょう。

そんなこんなで、江の島観光を終えました。
「また同じ道を戻るのも芸がないな」と思い、
帰りは船に乗ることにしました。
稚児ケ淵の一角に船着場があり、そこから弁天橋の中央部まで10分弱の船旅です。
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江ノ島べんてん丸
船の名前は「べんてん丸」。
要は乙姫様ではなく弁天様がお迎えに来てくれたってことなのかな。
船を降りれば竜宮城ならぬ現実の世界です。
丁度半日の観光を終え、お昼時になりましたので、
定番の「しらす丼」を食べました。
江ノ島でしらす丼

続く

昔の段葛と鎌倉近代美術館2017年07月01日


四十年前の鎌倉の段葛
この写真は1973年の鎌倉若宮大路の「段葛」です。
2015年に当ブログで取り上げたことがありますが、
その頃は、段葛が修理中で次のように閉ざされていたため、
段葛修復中

修復中を二の鳥居から
同じ場所の最新の様子を撮影することは出来ませんでした。
それで段葛の新旧比較は、段葛修復後の宿題となりました。

先日、鎌倉に行く機会があり、やっとその時の宿題を済ませました。
現在の二の鳥居
これは段葛が始まる二の鳥居の写真です。
両脇の道路から一段高くなった段葛が、修復され新しくなって、
正面の鶴岡八幡宮まで真っすぐに延びている様が見えるでしょう?
そして、今回目指す撮影場所はその中間あたり、
左手に「鶴ケ岡会館」の袖看板が見える次の地点です。
鶴ケ岡会館前
この同じ所で撮った1973年の写真を再掲します。
鶴ケ岡会館前の昔の姿
両側の桜並木が、昔の写真では老木です。今は真っすぐな若木。
そこが一番変わったところですが、
それ以外に「空気」も違っているような感じもしました。

さて、段葛とともに、今回もう一つ気になっていたことがありました。
鶴岡八幡宮の中にある「近代美術館 鎌倉館」のことです。
1973年はこの美術館に「キリコ展」を見に来ました。
2015年は「美術館そのものの回顧展」で来ました。
閉館間近だったのですね。
その当時、閉館後の運営方針も決まっていなかったようでした。
そんな2年前の姿は次のとおり。
閉館直前の鎌倉館
今は次のように、左側の本館のみ残し、右側の新館は解体撤去されていました。
現在は本館のみ
本館だけは県指定重要文化財になり、解体は免れたそうです。
それでも、現在は閉鎖され立ち入り不可ですし、
将来的にも美術館として再生することは難しいとのことです。
そうなると、昔みたいに展覧会の鑑賞の合間に、
雰囲気の良いテラスで写真を撮ったり、
40年前のテラス
平家池のハスを眺めたりは二度と出来ないのかもしれません。
二年前のテラス
ところで、テラスから平家池を撮ったこの二年前の写真で、
右手、ハスの向こう側に写っているのは「風の杜」というカフェです。
先日は、帰途、このカフェに寄ってコーヒーとケーキを注文しました。
現在のカフェから鎌倉館
窓際の席に座って、コーヒーを飲みながら平家池越しに本館の写真を撮ったら、
池の水面全体が蓮の葉に覆い尽くされ、
何かこの上を歩いて行けば、旧本館の中に立入れそうな感じでした。

続く