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高田馬場住宅のキャッチボール2012年09月24日

新目白通りが山手線の下を通る所は「高田ガード」と呼ばれています。ガード壁面に標識が貼られており、その右横には「高田架道橋」と書かれてていた痕跡があります。こちらは多分昔の名称で、西武池袋線に同名の架道橋があるので混同を避けたものと思われます。
高田ガード標識
ガード名と一緒に「自動車等が衝突したのを見た方は、至急御連絡下さい」なるお願いが書かれています。こんな注意喚起文が必要なほど、ここは危険な所なのですね。現在の状況を撮影してみました。正面が高田ガードです。通りは片側三車線の広い道路で交通量も多いです。
現在の新目白通り
38年前の同じ場所で撮影した写真を下に載せます。東向きに撮っています。この手前(西側)が拡幅工事中のため、分離帯の右側は仕上がっているけれども車の通行には使用していません。二車線の対面通行とされていました。
74年の新目白通り
それにしても、キャッチボールで逸れた球を命懸けで拾ってきたお父さん、頑張ってますね。野球がスポーツの花形だった頃はこんな光景もよく見ました。

この勇敢なお父さんの左側は東京都住宅供給公社の「高田馬場住宅」です。13階建てです。当時としては多分最先端の住宅だったと思います。まだ街のスカイラインが今よりずっと低かった頃、この高層のマンションはかなりまぶしい存在でした。
新目白通り沿いのマンション玄関前で、野球のバットやグラブを持った子供たちを二枚撮りました。
74年玄関前1

74年玄関前の少年たち2
今でこそ13階建てのマンションを見ても特に驚く事はありませんが、この二枚の写真に写った四人の子供たちの笑顔は結構まぶしいです。

この玄関前を先日撮影しました。
現在の玄関前
季節が違うので樹木の緑が豊かですが、建物は当時と全く変わっていませんでした。
しかし、子供の姿がないと「一体この写真はなーに?」という感じですね。