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ポンチョとカレー南蛮2012年10月03日

昔の写真でも撮影場所がすぐに特定できるものがあります。
下の写真がそれで、電柱に貼付けられた住所を見れば、この場所が「豊島区高田三丁目29番地」である事が分かります。あとは光の射す方向に注意すればOKです。
ミニスカートとポンチョ
38年後の今年の状況を撮影してみました。ファミレスの「ジョナサン」になっていました。
ジョナサン
完全に別風景です。住所が分からなければ多分「場所不詳」の写真になっていたと思います。

昔の写真を解説します。
ブロック塀の内側は、「富士急行高田馬場社員アパート」とガレージです。
その脇を、ポンチョとミニスカート姿の女性が通り過ぎて行きました。
撮影年は1974年です。前年の第一次オイルショックのために日本の高度成長期が終わりを告げ、十数年間の長期不況に突入した年です。
ミニの女王ツイッギーの来日で隆盛を迎えたミニスカートブームも、7年経ってそろそろ下火になって来ていました。ミニが流行るのは景気が良い時、と言われるゆえんです。
ポンチョはどうでしょう? 『安い、着やすい、体型が隠せる』として不景気に流行ると言われているファッションなので、この頃はポンチョブームの走りだったのかも知れません。
とすると、この女性は好景気と不況の狭間のファッションを身に纏っている事になります。

先日、カレー南蛮を食べにこのジョナサンに行きました。窓際の席に通されたので、注文した品が出てくるまで窓から外の景色を眺めました。
新目白通り越しに昔ながらの清酒アパートが見えます。9月26日のブログ「清酒アパートと駐車場は天命」で取り上げた建物です。
清酒アパート
38年前に富士急行の社員アパートに住んでいた方もこの建物を見ていたはずです。せっかくなので、当時の看板を合成して38年前の風景を再現してみたのが下の写真です。
清酒アパート幻影
社員アパートに住んでいた奥様は、掃除と洗濯が済み、晩ご飯の支度までにはまだ時間がある午後に、窓からこの景色を眺めながらこんな事をつぶやいたのではないでしょうか。
「亭主の晩酌用のダイヤ菊を買うのは止めて、私のポンチョを買おうかしら?」

そんな事を考えているうちにお目当ての「カレー南蛮うどん」がきました。
カレー南蛮うどん
これは、その筋でも評判になっているメニューです。ファミレスらしからぬ味、昔のソバやで食べたような懐かしい味です。しかも、ご飯とお新香のセットにしても千円札でお釣りがきます。
ポンチョが流行りそうな今年の秋冬、食べるなら『安く、美味しい』カレー南蛮ですね。

特徴のない風景だが(1)2012年10月09日

目白にも特徴のない道があります。
というよりも、日本の街で普通の人が暮らしている所のほとんどは、特に目立つものもなく言わば「特徴のない場所」なのかも知れません。
それが普通の人の日常生活の場ですから。
下の2枚の写真は、それぞれ1974年と2012年に同じ場所から同じ方向を向いて撮影されたものです。
目白風景1974年

目白風景2012年
これを見て、「同じ場所です」と言われたら、「そうは見えないけど、まあ、撮影した人間がそう言うのならそうなのだろう」と思うでしょう。
実は私も約40年前にカメラをぶら下げて、特に目的もなく適当にシャッターを切っていたので、どこで撮影したのかは定かではないのでした。昔の写真の大谷石の石塀でも残っていれば、候補地の付近を探しまわれば辿り着く可能性は高いのですが、ざっと調査した範囲では同じような石塀は見つかりませんでした。

でも何とかもう一度この場所に出会いたいと思い、昔の写真をルーペでしつこく見回しました。電柱や街灯や道路標識など、場所を特定するのにヒントになりそうな特徴を探しました。でも公共物では役に立ちそうなヒントはなさそうです。
何とか考えついたのが、昔の写真の右上に写っている屋根の上の3本の増築用柱です。この家の方が増築用の柱を利用して3階建てにでもしていれば、上に増築した事が明確な形の建物が建っているのではないかと考えたのです。
柱の部分を拡大してみたのが次の写真です。
3本の増築用柱
この予想は大当たりでした。何と!いくつかの候補地を探しまわったら、増築した建物ではなく、この柱がそのまま残っているお家があったのです。庭木越しにかすかに確認できました。(個人のお家なので写真は撮りませんでした)
それでこの撮影場所を特定できたという訳です。

でも面白いものですね。
石塀のように何十年でも存在を主張しそうな構築物が消え去る一方、増築用の柱という建物を変化させる(増築させる)ためにあらかじめ仕組まれた物が、結局使われる事なく全く変化せずに40年も存続しているなんて。
街の風景がどのように変化して行くかは予測不可能なようです。

目白銀座のタタミ屋さん2012年10月11日

上り屋敷からおとめ山まで撮影散歩に出かけた時の写真に、畳屋さんを撮ったものがありました。店の奥での作業風景に心惹かれるものがあったのでしょう、思わずカメラを構えた私もシルエットで写っています。
1974年のタタミ屋さん
どこで撮影したか思い出せず、また、そのたたずまいから住宅地の作業場と思い込んだため、昔の住宅地図を調べても撮影場所を特定できませんでした。そうなると、何とかこの場所の現在の姿を見てみたいという気持ちが更に募りました。

そして数ヶ月、ほとんど諦めていたのですが、先日「まてよ。昔は目白通り沿いにもこんな風情を残したお店が結構あったよな」と気がついて、当時の住宅地図の目白通り沿いの建物名をルーペで見ること約30分、ついに「小沼タタミ店」という米粒のような文字を見つけました。
でも、この段階ではまだ喜べません。別のお店かもしれないし、探している場所であっても、何せ約40年前のことですから、証拠となりそうな特徴が全て消えている可能性もあります。

そして翌日、写真を手に現地確認に行きました。まるで、残留孤児との面会に向かう肉親のような気分です。
結果、ありました。そのままの姿で。
建物の右手小壁に付いたテント開閉用のクランクハンドルが決め手になりました。
店の中に入り、声を掛けさせてもらうと、障子を開けて若奥様が出てらっしゃいました。
事情を話すと、写真をご覧になって、「初代の義祖父です。よくこんな写真がありましたね」と驚かれました。この写真が撮影された1974年にはまだ一才だった御主人が、今は三代目として店を継がれているそうです。この日は別の作業所で仕事をされているとの事でした。
2012年の店先
見つけた記念に写真を撮らせてもらいました。丁度、雲の隙間から陽が射して来たので、自分のシルエットも写し込んでみました。38年ぶりのセルフポートレートです。

店先には販促パンフレットなども沢山置いてあり商売順調とお見受けしました。
関東製畳有限会社小沼畳店というセンスの良いHPも開設されていて広範に活躍されている事がわかりました。

せっかくですので、この界隈(目白銀座というらしい)を観察しました。
街並が次第に変わりつつある事が分かります。
畳店を起点に西方向の住宅地図記載の文字を、現況と比較すると下のようになります。

・小沼タタミ店 → 小沼畳店(変わらず)
・工藤花店   → 一年ほど前に閉店
・目白とりはち → 鳥八(変わらず)
・佐々木小鳥 → かてい菜園 ささ木(業種変更かな?)
・レストラン安川    ー+
・スターライトコーヒー  +ー→ 三軒分まとめてビル開発中(下の写真)
・松ヤソバ        ー+

工事中のビル
この工事中の建物は、来年の1月末には10階建てのビルとして完成し、事務所とワンルームマンションになるそうです。
私としては、「目白銀座」と呼ばれる何となくアナクロで郷愁感漂う界隈の「スターライトコーヒー」なる喫茶店で「モカコーヒー」でも飲んでみたかったので、ちょっと残念です。

特徴のない風景だが(2)2012年10月14日

日本家屋の平均的な建替え年数は約30年だそうです。建物自体の耐用年数はもっと長いでしょうが、家族構成・生活様式の変化や転勤に伴う引っ越しとか相続問題などで、まだ住めるのに建替えられることもあるのだと思います。
とすれば、30年から更に10年も経つと住宅地の景色が一変してしまっても不思議ではありません。
下の2枚の写真はまさにその状況を現しています。1974年と2012年の目白の風景です。
場所は河合ニットデザイン専門学校(旧河合編物服飾学園)から西へ向かう道です。
1974年の景色

2012年の景色
昔の写真について、フィルムのコマの順番などの状況証拠から、恐らくこの道であろうと考えてはいたのですが、現在の景色とあまりに違うので、実はつい最近まで確証は持てませんでした。道の両側に並ぶ民家や塀・垣根など、昔の名残をとどめているような要素は全くありません。

それでも何か共通の要素がないかと、新旧写真をルーペで調べ尽くした結果、ついに見つけました。
道の突き当たりにある住宅の妻壁に注目したのです。
ややピントの甘い昔の写真の該当部分を拡大してみます。
ケラバ部分拡大
今度は、その住宅に近づいて撮影した現在の写真を載せます。
現在の妻壁
切妻屋根のケラバの意匠、妻壁から突き出た母屋の配置、軒樋の形などが同じです。
屋根材自体は瓦から金属板に葺き替えられているようです。外壁も最近塗り替えられたらしく見たところ大変きれいなお宅でした。
この住宅がなければ、昔の写真の撮影場所を特定することはできなかったはずです。
住宅をメンテナンスしながら何十年も住み続ける方は立派だなと思います。

私にとってこの道は、昔住んでいた上り屋敷のアパートから目白通りのピーコックまで買物に出かける時に良く通った思い出の?道のはずなのです。
さすがに40年近く経つとディテールは忘れてしまうものなのですね。
河合編物からピーコックへ」と共に、こうして記録に残せて良かったです。

アポランターで鬼子母神2012年10月17日

待ち望んでいたアポランター90mmが先月到着。
早速「試し撮り」に出かけました。
フードと共にライカⅢgに装着すると、こんな具合に天狗の鼻のようで、かなり格好いいです。
ライカとアポランター
これを首からぶら下げて歩いていると、若干自意識過剰になります。

いつもの見慣れた交差点の風景も、このレンズを通して見ると「切り取った」という感じになります。人物のたたずまいに意識が行きます。
交差点風景

試し撮りの時には必ず訪れる鬼子母神にも行きました。
ちなみに鬼子母神堂の屋根は面白い形状をしています。破風が二段になっています。
千鳥破風・軒唐破風と呼び、勾配の途中と軒先に二種類の破風が設えてあります。
これをアポランターで狙うと屋根全体ではなく破風の意匠に眼が行きます。
鬼子母神屋根の破風

境内から本堂を眺めていると、私と同年代と思われる女性が「シャッターボタンを押していただけますか?」とコンパクトデジカメを手にして近づいて来ました。
私は何故か女性からこのように頼まれることが多いのです。
「いいですよ!」と答えると、その女性はカメラを軒唐破風に向けて、モニタ画面を見ながら何と、自らズーミングして構図を決め、
「じゃあ、こんな感じで私の顔を入れて、こっちから写して下さい」と指示を出しました。
私がその指示通りにカメラを構えて、ボタンを押す前にモニタ画面を確認すると、バッチリ!過ぎるほどの完璧な構図でした。
撮影してからカメラをお返しすると、その女性は撮影結果を確認して、
「さすが上手な方に撮っていただくと良い写真になるわね」とかお褒めの言葉を下さったのですが、私はボタンを押しただけなのです。

後で考えてみて、あの女性は写真のプロか何かで、
「写真は機材じゃないのよ。ハートよ! 分かる?」って私を試したのではないかという気がしました。これが本当の「試し撮り」でした。

カメラ好きのアマチュアフォトグラファーのブログなどを見ると、この人種に共通の悩みが二つあることが分かります。
一つは、
カメラに興味を持ち始めた子供がせがむので、やむを得ず一枚撮らせてみたら、自分には撮れないような傑作を物してしまった。
もう一つは、
連れ合い用に安いコンパクトデジカメを買い与えたら、そっちの方が自分の高級カメラより写りが良いような気がする。
というものです。
皆さん同じように悩んでいるんですね。