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HOダブルスリップポイントの修理(続き)2026年04月13日

前回)からの続きです。

前回修理したポイントの入手時の状態。
本来トングレール(orフラップ)と呼ばれる可動レールが8個必要なのですが、
赤丸部分の1個が欠損していました。
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次が、修理のために裏蓋を開けた状態。
予想された通り、蓋を開けた途端に細かな部品が散らばりました。
02
普通はこの時点で修理を諦めると思います。

しかし、パズル遊びのようにそれぞれの形状に合う位置を見つけて組み立ててみました。
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この状態から、黒のレバーを赤矢印の方に傾けると他の部品も矢印の方向に動き、次の写真の状態になりました。
またフラップの動作も良好でした。
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ただし中央部にある2枚のブリッジ状の金属の部品(青丸)、
これの動きが正しいかはこの時点では若干心もとない感じです。
多分、線路下面に細かく配置されている小さな金属板が、
いわば切り替えスイッチの役割を果たしていて、
完全選択式の複雑な通電切り替えに対応しているのでしょう。
車両がどちらから来てどちらに抜けていくかを選択できる複雑なポイントマシン(分岐器)ですから、
通電方向の制御も複雑になるのだと思います。
その原理を解明するために、線路と裏の金属板の通電状況をマーカーで色分けしてみました。
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何と、「赤・黄・ピンク・緑・青」5つのブロックに分かれていました。

可動フラップの動きに追随して、これらのどの色とどの色が通電するのか解明すれば、
この線路の真髄に触れることができます。
でも、諦めました。
それをしなくても、基本的にはDCC運転を前提にすれば「完全選択式」は不要のはず。
むしろ「非選択式」の全線通電の方が便利なはず、と思い、
解明を諦め、裏面の接点のうち
「赤・黄・ピンク」を一体のブロックに、
「緑・青』をもう一つのブロックに統合しました。
各金属板の隙間をハンダ付したのが次の写真。
06
この写真で上に写っている蓋を閉じる前に、
白丸の二箇所の穴に動作制御用の線バネを渡す必要があります。
そのバネが飛ばないように押さえつけながら、蓋をするのが大変でした。
一人で作業しているので写真は撮れませんでした。

電気的には問題解決となりましたが、物理的な問題が残っています。
なにしろ部品が足りないのですから、これを自作する必要があります。
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この写真で線路脇に並べた二つの金属片。
左が正規のフラップ、右はかつてジオラマ製作で使用したフレキシブルレールの余りです。
これを加工することにしました。

次の写真で右側の部品が、この余りレールに金属ピンをハンダ付したところ。
08

ここからピンの先端加工や、フラップ端のくさび形加工をして、ポイントに取り付けました。
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見た目は新品!!
くさびの形もレールの欠き込みにピッタリ収まりました。

さて、今回の作業ついでに、ポイントデコーダも取り付けて、完全DCC化をしました。
フライシュマンのポイント(スイッチ)は3線コイル式です。
それに対して、KATOなどの普通の製品は2線コイル式です。
普通の市販デコーダでは抵抗器の追加などの加工をしなければダメらしいです。
ところが、Zゲージで有名なメーカーの「ロクハン」から対応製品が出ていました。
ロクハンの「アクセサリーデコーダーA060」です。
しかも約1,500円程度と格安です。
次の写真のようにデコーダーの端っこの端子に一本のコード(青)をハンダ付すればOK。
これが三本目のコードとして3線コイル式に使えます。
10
結線要領も製品説明書に詳しく書かれていました。一部抜粋
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作業が済んで動作確認したところが次です。


完全DCC化とはいっても、デコーダをコネクタ部分で取り外せば、
簡単に昔のアナログスイッチに繋ぎ替えできるようには考えてあります。

(終り)

HOダブルスリップポイントの修理2026年04月06日

HOゲージの非常に珍しい線路を入手しました。
Fleischmannフライシュマン製ダブルスリップスイッチ(ポイント)です。
既にHOゲージから撤退しているメーカーの古い製品です。
滅多なことでは見かけないはず。

この線路の面白いところは次の図を見れば明瞭です。
01通過方向
青線のように交叉部中央で普通にクロスするだけでなく、
赤線のようにCの字または逆Cの字に通過できるのです。
これを使ってレイアウトしたら楽しいだろうなと夢が膨らみました。

しかし期待は裏切られました。
海外から送料込みで1万円以上かけて取り寄せたのに、
部品が一個欠落したジャンク品だったのです。
02
とりあえず売主と交渉して、全額返金・商品返送不要となり金銭的な損失は無かったものの、
入手するまでの1ヶ月弱、楽しい夢を見ていただけに落ち込みました。

カメラ修理の世界ではもう一台ジャンク品を手に入れて一台の完動品を作る
いわゆる「ニコイチ」も可能ですが、この線路ではそんな「もう一台」は見つかりそうにありません。
そもそも脱線確実な線路なんて市場に出回るわけないですよね。
かといって何か勿体無くて捨て難く意味もなく手元に置いているうちに、
「まあ、ダメ元で修理に取り組んでみるか」と
不思議に前向きな気持ちになってきました。

そして格闘すること半月以上、信じられないことに完成しました。
その過程はいずれ詳述するとしてまずは完動(感動!)の走り具合を動画に収めました。

続く

桜満開の目白ジオラマ2026年03月17日

01
KATOの「日本のさくらキット」を買いました。
私のジオラマの桜を植え替えるためです。
最初の写真はその完成形6本です。

製作手順は次のとおりです。
02製作手順
1.広葉樹の幹の原形
2.幹を立体的にします
3.天然素材樹木を接木して樹形を作る
4.さくらの花びらをふりかけ完成

ポイントは天然素材樹木の中から枝ぶりを考えながら、中枝・小枝として使えそうな部分を選び出すことです。
接着剤を塗布した幹にこの中枝・小枝を、本当に「接木つぎき」するように貼り付けていくと、実にリアルな桜の樹形が出来上がります。

実際のジオラマに植え込んだところ
03
昔に比べてジオラマ製作の材料や技術が充実しているような気がします。
実に楽しいです。

早速試走

電車も都バスも喜んでいるようです。


奥能登観光:50年前の總持寺祖院2026年03月13日

前回)からの続きです。

52年前の奥能登観光バスに乗った私たちは
「能登金剛」から「時国家」を巡り「曽々木海岸」へ至りました。
モノクロフィルムにその時の写真が残っていました。
ところが、その中に撮影場所不明の写真が数枚ありました。
次のベタ焼きの中で「国道249号沿い観光施設」とコメントしたのがそれです。
モノクロベタ焼き

明らかに自分が撮影した写真であるにもかかわらず、
どこで撮影したか覚えていない、というのは気持ちが悪いものです。
それで今更になりますが場所の特定にトライしてみました。

能登の周遊観光バスが国道249号を走ったことは間違い無いでしょう。
それで、この国道沿いにある観光施設を順番に調べてみました。
10年ほど前の「ブルーガイド地図(下図)」やGoogle Mapを参考にしました。
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能登金剛から輪島市に向かって20Km程のところにある「卍總持寺祖院」がそれっぽいです。

次の昔の写真に写っている太鼓橋、
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ネットで調べると、まさにこれと同じ形の橋が總持寺の「白字橋」でした。
橋の奥に写っているのは山門。補修中だったのですね。

その1枚前の広大な駐車場の写真。
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これは多分、總持寺関連の駐車場であろうと思います。

カラーのフィルムにも總持寺の建物が写っていました。
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これが大祖堂(法堂)

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これは僧堂。

總持寺も2024年の能登半島地震により甚大な被害を受けたそうです。
復興がなされたら再訪し、
今度こそは写真だけでなく自身の記憶にもとどめたいと思います。

奥能登観光:50年前の時国家2026年03月09日

周遊観光バスで奥能登を巡ってから早くも半世紀。
東京から奥能登へはなかなか行く機会もなく記憶は薄らぐばかり。
そんな中、1枚の新聞記事で昔を思い出すことになりました。
昨年の9月12日の東京新聞夕刊の記事です。
「時国家住宅とその庭園」の修復の話でした。
奥能登の時国家50年前の姿
時国家という名称は覚えています。
輪島市にある「下時国家」と「上時国家」と呼ばれる施設です。
観光バスで立ち寄った記憶があります。

ところが、このどちらの施設も、
2024年正月の能登半島地震で傾いたり倒壊。
また、同年9月21日の豪雨で下時国家では裏山が崩れ、土砂の流入により大きな被害を受けたそうです。
新聞記事によれば「時国家住宅(下時国家)とその庭園」の復旧工事が現在行われているものの、完了までには4〜5年かかるそうです。
そもそも、この両家とも観光客の減少などにより2020年(下時国家)と2023年(上時国家)に一般公開を終了していたそうです。
とすると私たちが約50年前に見学したことは大変貴重な体験だったわけです。

その時の貴重な写真を探してみることにしました。
まず地理的情報を確認するために、東京新聞のデジタル版から次の概略地図を借用しました。
02
輪島市の西に名勝「能登金剛」があり、そこに寄った私たちの観光バスは国道249号を東向きに走り、両時国家を訪れたのち「窓岩」のある曽々木海岸まで行って宿をとった記憶があります。
その時のフィルムを保管したスリーブのメモ書きによれば1974年3月21日の事でした。
該当しそうな写真をその前後も含めてベタ焼き風に並べてみます。
NikonF2で撮ったモノクロ写真とCanonDEMIで撮ったカラー写真とがあります。
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写真から判断するに、時国家のものと思われる写真はモノクロに4枚、カラーに1枚ありました。

・上時国家の写真は以下の4枚
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・下時国家の写真は以下の1枚
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黒のコート姿の男性とショールを纏った女性の二人連れは、アルバムの他の写真にも写っているので私たちの乗った観光バスの同乗者のようです。その後どうされているのかな?などと余計な事を考えてしまうのも昔の写真を眺める楽しみですね。
それにしても、この趣ある茅葺き屋根の建物が傾いて土砂まみれになっているって残念な事です。写真に残る白壁を見るととても悲しいです。

せっかくですので、国土地理院の航空写真(1975年版)に撮影位置をプロットしてみました。
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ブログにまとめる今回の作業を通して、
時国家観光の記憶を私の頭の中で整理することができました。
人生の宿題を一つ片付けた気持ちです。

関連記事
奥能登の窓岩:50年前の姿(https://mejiro.asablo.jp/blog/2024/01/05/9648562)

続く