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よみがえる彩雲荘の思い出(1)2014年12月18日

目白に何らかの思い出を持つ方達が、
たまたまこのブログを見つけて立ち寄るついでに、
ご感想や自らの思い出話などを残してくれたりします。
それらを読むのも私の楽しみの一つです。
でも、まさか、かつてのアパートの隣人が見つけてくれるなんて、
まったく予想もしない感動の出来事でした。

そんな感動の出来事があり、
そのかつての隣人が、ご好意で三枚の昔の写真を送ってくれました。
その写真を見て、私の心は直ちに40年前の目白に戻ってしまいました。
一枚目の写真はこれ。彩雲荘の全景です。
目白の彩雲荘アパート
瓦屋根の真ん中に三角のペディメントがあるのが可愛いでしょう?
2階の左から4番目の扉が我家、その右側の自転車があるのが隣人の室です。
農林中金のテニスコートの中から撮影したのですね。
この撮影地点から見た現在の様子はこうです。
公園と彩雲荘跡地
テニスコートは公園に、アパートはタイル張りのマンションになりました。

40年以上前のことを書きます。
このアパートに引っ越して来た私達は、
まずケント紙に自分の苗字をレタリングして紙の表札を二枚作り、
一枚を玄関に、もう一枚を次のように入居者案内板に貼りました。
入居者案内板
針金で吊るされて傾いているところが何とも言えません。

その時のお隣さんは若夫婦と幼児の三人家族でしたが一年ほどで転居。
その後に、引っ越してこられたのは若い姉弟でした。
明るく元気なお姉さんと、芸術家的な風貌の弟さんでした。
私達と年齢が近いこともあり、すぐ仲良くなりました。
我家にいらして、紅茶など飲みながらおしゃべりしたんです。

地方から上京して女子大に通うお姉さんと、美術の道を志している弟さんと、
私達と同様に若く、お互いに住まいと暮らしは決して贅沢ではなかったですが、
将来の事とかあまり心配せず、
今ふり返ると、確かにあれは青春時代と呼ぶべきものなんだ、と思います。

その時の弟さんが今回送ってくれた写真のもう一枚、
これは彩雲荘とテニスコートの間の道です。当然すぐ分かります。
彩雲荘の北側の道
この地点の現在の様子は次のように変わりました。
北側道路の現況
でも、電柱と街灯の感じとか、何か昔の道の雰囲気は残っているような気がします。
そうそう、「上り屋敷の稲荷大明神」の朱色の鳥居が、
昔も、そして今の写真にも写っているせいかも知れませんね。

今回、40年ぶりに連絡を下さった隣人の弟さん、
「ケンタッキーチキン」の思い出を伝えてくれました。
上京して始めて伯父さんにご馳走になった時、感動したそうです。
それって、次の写真のケンタッキーに違いありません。
目白のケンタッキー
目白通りの協和銀行(現りそな銀行)の向かい側のお店。
我家でも40年前にここで買っていましたよ。
このケンタッキーは目白のファストフードの老舗なんです。

続く

よみがえる彩雲荘の思い出(2)2014年12月24日

前回)からの続きです。

40年前のアパートの隣人から頂戴した昔の写真三枚、
最後の一枚は、雪の日の目白の写真でした。素晴らしい写真です。
雪に覆われた白蓮邸の瓦屋根

すっかり雪に覆われたこの屋根も、私が決して忘れることのない風景です。
なぜなら、私も同じ屋根を何年も見続けて、撮影もしているのです。
それらは「目白と柳原白蓮邸の屋根にさよならする日」に載せました。
私は、目白から吉祥寺へ引っ越すことになった時、
目白の自室の窓から見た風景を、フィルムにもとどめておきたくなりました。
隣室の弟さんが撮影したこの雪の日の屋根の写真も、
同じ意味合いだったのではないでしょうか?
「毎日ボクの目を楽しませてくれた景色よ、ありがとう」ってね。

窓の話で思い出したエピソードがあります。
隣室のお姉さんと洗濯物の事件です。
40年前のある晴れた日の昼下がり、いつも元気で素敵なお姉さんが、
「ごめんなさーい。洗濯物を取らして下さーい」
と言いながら我家へ転がり込んで?来ました。

ベランダの内側に低く洗濯物を干す現代と違って、
昔は次のように窓手摺の外側に高く干すのが普通でした。
洗濯物干し

お隣さんも勿論そうしていたんです。
だいたいアパートにベランダなんて付いて無かったし。
でも、ちょっとお茶目な隣室のお姉さん、
どうも洗濯バサミの奥まできちんと挟まなかったらしく(多分)
すり抜けて落ちた洗濯物の一つが、風に流され、真下ではなく斜めに、
つまり我家の真下の部屋の窓庇に着床したんです。
それで、お姉さんは「自室の窓からは手が届かなくても隣からなら届くかも」
と思って我家に駆け込んでいらしたのです。

そして、二人で協力し、手摺の隙間から手を伸ばしながら、
長めのお惣菜箸を使って、ついに救出成功!
彼女は、その間ずっとコロコロ笑っていました。
何が起きても楽しい時代だったんですね。

もしも私達が今お会いすることがあれば、お姉さんは
私の顔を見るなり「お互い年をとったわねー」とか言って、
やはりコロコロ笑うような気がしました。
でも、つい先日、弟さんからいただいたメールによると、
もう彼女は年をとらないんですって。ショックです。