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上り屋敷駅と踏切(2)2012年08月02日

前回)からの続きです。

目白駅から上り屋敷公園へ向かう最短ルートに、西武池袋線の小さな踏切が一つあります。「上り屋敷駅」跡のすぐ東側になります。1970年代の私もこの踏切を毎日のように通っていました。住宅街にふさわしくヒューマンなスケールの踏切なのですが、通勤通学時間帯は電車の本数がとても多く、良く待たされた記憶があります。1974年1月末の夕方も電車の通過待ちをしていました。
踏切で佇む少女
一緒に待っている三人のうち、左側のチェックのコートの少女はこれから塾かお稽古事にでも行くのでしょうか?手提げ鞄を持っています。「電車、早く行っちゃわないかな。間に合わなくなっちゃう」と思っているようです。バーが開くと急いで右側の道へ駆けて行きました。
お稽古事へ急ぐ
線路敷と道を隔てる柵は枕木の再利用です。昔はみんなこれでしたね。懐かしい風景です。

この二枚の写真と同じ撮影位置で2012年の風景を撮ってみました。まず踏切です。
2012年土屋電子
今も中央に白杭が立っていて車は通れないようになっています。踏切のサインや警告灯など風景の構成要素はほとんど新しいものになっていますが、何と驚き!左側のおうち(土屋電子という表札がかかっていました)が昔のままでした。現在の写真の赤い丸で囲った部分が窓の小庇と木製横格子です。ちょっと撓んでいますが頑張って窓をガードしています。38年間ご苦労さん。
次は線路沿いの道の現在の写真です。
2012年の線路沿いの道
さすがに昔の枕木製柵はコンクリート基礎のネットフェンスに変わっています。だいたい今時、木製の枕木なんて使われていませんからね。
左の民家の塀はどうかな?と思って眺めてみて、これは本当にビックリしました。写真に写っている竹垣が本物の竹を使った「建仁寺垣」なのです。昔と全く同じです。38年前はともかく現代の都心の住宅で本格的な竹垣を見ることはまれです。和風建築の守り手としての家主さんの心意気に感激です。
昔と今の風景を見比べると、面白くて嬉しいことが時々あります。

(この項、終り)