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上り屋敷駅と踏切(1)2012年07月30日

40年前の私は、農林中金テニスコート(現在の上り屋敷公園)南の木造アパートに住んでいました。そこから目白通り沿いの洋菓子「ボストン」やスーパー「ピーコック」へ買物に行く時に必ず通る踏切がありました。
その踏切から西武池袋線の線路(池袋方向)を撮影した1974年の写真です。
74年の上り屋敷駅跡
写真右側の平地に雪が積もっています。昔「上り屋敷(あがりやしき)駅」のプラットホームがあった名残です。駅そのものはこの写真の時代より更に20年ほど前に廃止になったそうです。確かに、この近辺から池袋駅や目白駅まではそれほど遠くないので駅の需要は少なかったと思います。

現在の状況を撮影してみました。
現在の上り屋敷駅の跡
右側と左側にホーム跡の平場が残っているのが分かります。何十年の間、雪が積もったり雑草が茂ったりしていたのですね。ちょっともったいない気がしてきました。100年後くらいに東京の人口が激減して、ここを走るのが鈍行電車だけになったら、上り屋敷駅が復活するかもしれないですね。そう思ってこの写真を見ると、何かいい雰囲気だし、駅の復活が待ち遠しいような気分になります。

踏切から南側を眺めた1974年当時の様子です。電柱に貼られた住所表記「目白 3-22」の一部が読取れます。自転車に乗った親子がいます。
74年自転車
2012年の様子です。自転車を入れて撮ってみました。
12年自転車
左側は河合ニットデザイン専門学校です。昔は河合編物服飾学園といってましたね。

踏切を南側からアップで撮った写真がありました。
74年花屋おばさん
花屋の奥さんがどこかのお屋敷にお花を届ける途中だと思います。遠景がボケてて私好みの写真です。同じ方向の現在の風景をデジカメのオートモードで撮りました。
12年花屋さんはいないが
全てにピントが合っていて、ちょっとうるさい写真になりました。踏切のバーの閉じ方が昔と同じです。

上り屋敷駅の駅舎があったと思われる場所は現在コンビニの駐車場になっています。
12年サンクス
住所は「豊島区西池袋二丁目5-6」です。この空地で1975年に撮影した写真があります。
75年駅跡地
まるで、住所を確認するために撮影したかのような写真ですが、撮影の目的は不明です。きっとフィルムの余りがあったのでしょう。フィルムの最後の一枚は同じ場所で撮影した野良猫でした。堂々とした猫です。駅長さんのようでした。
75年の猫

続く

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