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特徴のない風景だが(2)2012年10月14日

日本家屋の平均的な建替え年数は約30年だそうです。建物自体の耐用年数はもっと長いでしょうが、家族構成・生活様式の変化や転勤に伴う引っ越しとか相続問題などで、まだ住めるのに建替えられることもあるのだと思います。
とすれば、30年から更に10年も経つと住宅地の景色が一変してしまっても不思議ではありません。
下の2枚の写真はまさにその状況を現しています。1974年と2012年の目白の風景です。
場所は河合ニットデザイン専門学校(旧河合編物服飾学園)から西へ向かう道です。
1974年の景色

2012年の景色
昔の写真について、フィルムのコマの順番などの状況証拠から、恐らくこの道であろうと考えてはいたのですが、現在の景色とあまりに違うので、実はつい最近まで確証は持てませんでした。道の両側に並ぶ民家や塀・垣根など、昔の名残をとどめているような要素は全くありません。

それでも何か共通の要素がないかと、新旧写真をルーペで調べ尽くした結果、ついに見つけました。
道の突き当たりにある住宅の妻壁に注目したのです。
ややピントの甘い昔の写真の該当部分を拡大してみます。
ケラバ部分拡大
今度は、その住宅に近づいて撮影した現在の写真を載せます。
現在の妻壁
切妻屋根のケラバの意匠、妻壁から突き出た母屋の配置、軒樋の形などが同じです。
屋根材自体は瓦から金属板に葺き替えられているようです。外壁も最近塗り替えられたらしく見たところ大変きれいなお宅でした。
この住宅がなければ、昔の写真の撮影場所を特定することはできなかったはずです。
住宅をメンテナンスしながら何十年も住み続ける方は立派だなと思います。

私にとってこの道は、昔住んでいた上り屋敷のアパートから目白通りのピーコックまで買物に出かける時に良く通った思い出の?道のはずなのです。
さすがに40年近く経つとディテールは忘れてしまうものなのですね。
河合編物からピーコックへ」と共に、こうして記録に残せて良かったです。