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新宿東口40年前の風景-32013年07月18日

前回)からの続きです。

日本では水とトイレは普通タダ、と良く言われます。
でも、時々「有料トイレ」なるものがあって、かつて新宿東口にもありました。
一回50円でした。
東口改札を出て、すぐ左側にありました。
新宿40年前の有料トイレ
男性用の入口のガラスに、カメラを構えた私が写っていました。
こんな形でセルポを撮っていた事は、40年間気が付きませんでした。

今はどうなっているのかと思ったら、帽子屋さんになっていました。
有料トイレ今は帽子屋
この店名、「CA4LA」と書いてカシラ=頭と読ませるんですね。
頭だから帽子屋さん。納得!
東京・アメ横が発祥の地らしいです。
結構お客さんが入っていました。
有料トイレより売り上げはありそうです。

この地下街、反対側にもトイレがありました。
こちらは無料でした。
トイレと文明堂
トイレの右側は、「三時のおやつは♪文明堂〜」です。

ここがどうなっているのか確認したら、やっぱりお店になっていました。
トイレが女性ファッション店
トイレはマウジーmoussyに、
文明堂はエクスベリーexberryというお店に変貌です。
どちらも若い女性で賑わっていました。

トイレ探索はこの位にして、新宿通りの地下道の方へ行こうと思います。
そのつなぎ目に案内表示がありました。
1973年のものがこれです。
40年前の案内表示板
「国鉄」って書いてありますね。

2013年、同じ案内板が残っていました。
今も残る案内表示板
もちろん「JR線」に変更されています。
案内板の両側にタイルで描かれた鳥たちに注目です。
40年間、同じ姿勢で飛び続けています。
ご苦労様!と声を掛けました。

この鳥さんが飛んでる壁面と、それに沿って湾曲した通路を
地下鉄側から撮った写真が下です。
40年前の夢のプロムナード
ここから名店街まで、この通路は「夢のプロムナード」と呼ばれていました。

現在の風景はこうです。
名前を失ったプロムナード
通路の形状は同じですが、今は、名前を持たない只の「通路」になりました。

案内図を下に載せました。
1973年の新宿東口地下街案内板

...(続く