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40年前の根津美術館の風景12013年11月14日

約40年ぶりに南青山の根津美術館へ行ってきました。
1974年に訪問した時の写真が十数枚残っていて、
その風景が現在どうなっているかの確認です。

ほとんどの写真について、どこで何を撮ったものか判明しましたが、
最後まで分からなかったのが次の一枚です。(写真1)
40年前の根津美術館の正門
一連の写真の最初の一枚でしたから、これは美術館の入口のはずです。
格調高い趣きのある門が写っています。

しかし、現在の入口は違ったものでした。
表参道駅から東へ歩くこと数分、交差点のすぐ脇に入口があります。(写真2)
現在の入口
敷地の引きが無く、まるで裏口のようです。

しかも、ここから更に右側の駐車場に正面玄関が有るらしく、
建物の裏壁沿いの庇下を歩いて行く必要があります。
そのアプローチです。(写真3)
竹垣のアプローチ
なかなか印象的なアプローチになっていました。
丁度光の当たり具合が良かったのか、竹垣が美しいです。
まあ、配置計画上の欠点を、
このような見事な空間に作り上げたのは、さすがに美術館です。

とはいえ私の興味は、最初の写真の「門」がどうなったのかです。
自力ではそれっぽいものを見つけることができずに、
館内で係の方に写真を見せて尋ねたのですが、ご存知ではありませんでした。
諦めて、帰り際にミュージアムショップで土産物などを見ていました。
「根津美術館」という紹介本があって、パラパラめくっていると、
創立者根津嘉一郎のミニ伝記があり、
その中の一枚の写真が私の注意を引きました。

3cm角くらいの小さな写真ながら、そこには似た雰囲気の門が写っていました。
解説文には、
「青山自邸正門、現在の骨董通りに面していた」
とあります。

根津美術館は、もともと根津嘉一郎の自邸だった所に開設されたものです。
自邸の正門が、そのまま美術館の正門になるのは自然なことです。
早速「骨董通り」を探索です。
美術館のパンフを見る限りは、
美術館の敷地は骨董通りには接していないようです。
でも、もし繋がっているとすればこの辺、という場所を探しました。

そして、それらしい門柱と金属塀がありました。
下の写真がそれで、しかも美術館の屋外掲示板も立っています。(写真4)
骨董通り側の入口
ここは、美術品の搬入車などの出入口っぽいです。
きっと昔は正門だった所を車用の出入口に変更し、
表参道駅に近い側に来館者用のエントランスを移したのでしょう。
とすれば、この金属塀の内側には
昔の格調高い「門」が残っているかも知れません。

しかし、残念ながら塀が高くて、跳び上がっても中は見えません。
それで、覗き屋よろしく車止めバリカーを乗り越え、
金属塀の上まで手を伸ばしてデジカメで内部を撮影しました。
でも、その場でモニタで確認すると「門」は写っていませんでした。
黒い金属の大型扉が写っているだけです。(写真5)
塀越しに覗くと
残念!!
証拠は見つけられませんでしたが、
多分、ここが昔の正門だったのだろう、
と思うことで探索を終えることにしました。

そして自宅に戻ってから念のため現在の写真を拡大してみると、ありました。
昔の風景の痕跡があったのです。
上の写真5の赤の矢印の所がそれです。
石灯籠の下半分が写っています。
その彫り模様が、昔の写真の石灯籠と同じでしょう?
執念深く探せば、出会えるものですね。

それにしても、日本や東洋の古美術品を蒐集している美術館が、
あの、私にとっても貴重な思い出の「門」を失う?なんて、
私には信じられません!(怒!)

ちなみに、美術館の庭園を散策している途中で、
一般の方があまり入り込まない脇道で撮影した一枚がありました。
「門」を探して歩き回っていた時に撮ったものです。(写真6)
園路(車路)
この道をずっと先に行くと、
先ほどの無骨な黒の金属扉の内側に行き着くようです。
昔の「門」に行き着けば素晴らしいのに...

最後に写真番号ごとの撮影位置を下図に示します。
根津美術館配置図
続く