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・目白の風景 今昔:目次
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・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
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昭和のモノクロ井の頭公園3 ― 2014年12月02日
ここは「水生物園」の「弁天門(西門)」前です。
人物の左右に高木、その奥に階段が写っています。
撮影視点が少し低く感じられるのは、
私が二眼レフを普通にウエストレベルで構えていたからです。
この同じ場所で、現在の様子を撮影したものが次の写真です。
人物の左右に高木、その奥に階段が写っています。
撮影視点が少し低く感じられるのは、
私が二眼レフを普通にウエストレベルで構えていたからです。
この同じ場所で、現在の様子を撮影したものが次の写真です。
新旧の写真について、風景要素を見比べてみます。
■階段
正面に写っているこの階段は、御殿山から水生物園へ下るアプローチです。
幅や勾配など昔から全く変わっていませんでした。
この特徴的な階段のおかげで、38年前の撮影場所を特定できました。
■植栽桝
これも昔と同じ場所に残っていましたが、次の写真のように、
一段低い植栽桝で更に囲われていました。
■シンボルツリー
昔の写真では、階段を下り切った所に巨木が二本、ゲート代わりに聳えています。
今はどちらも撤去され(多分、老齢で弱ったためでしょう)、
替わりに細身の若木が一本だけ植えられています。
でも、若木の脚元に注意すると、
「円形の縁取りの玉石」が残っているのが辛うじて確認できます。
この玉石も、数年経つと完全に土中に埋もれてしまいそうです。
植え替えられたシンボルツリーの樹種を確認するため近づいて見ました。
昔の写真では、階段を下り切った所に巨木が二本、ゲート代わりに聳えています。
今はどちらも撤去され(多分、老齢で弱ったためでしょう)、
替わりに細身の若木が一本だけ植えられています。
でも、若木の脚元に注意すると、
「円形の縁取りの玉石」が残っているのが辛うじて確認できます。
この玉石も、数年経つと完全に土中に埋もれてしまいそうです。
植え替えられたシンボルツリーの樹種を確認するため近づいて見ました。
紅葉しつつあるハート形の葉っぱから判断して、「カツラ」と思われます。
幹の下方の樹皮がタテに裂けているのも図鑑どおりです。
でも上方の樹皮は、この写真でも分かるように平滑です。
「樹木の肌も、若木のうちはスベスベなのかな〜」
などと考えていたら、先ほどの階段を、賑やかな声とともに
「お肌スベスベの人たち」が下りて来ました。
幹の下方の樹皮がタテに裂けているのも図鑑どおりです。
でも上方の樹皮は、この写真でも分かるように平滑です。
「樹木の肌も、若木のうちはスベスベなのかな〜」
などと考えていたら、先ほどの階段を、賑やかな声とともに
「お肌スベスベの人たち」が下りて来ました。
水生物園の見学に来た小学生ですね。
そういえば、この写真に写っている水生物園の入場券売場も建て替えられているようです。
1976年頃の建物の様子が、次のように昔の写真の右奥に写っていました。
木製の窓だからでしょうか、窓枠が太くゴツいです。
室内の照明も、多分むき出しの蛍光灯っぽいですね。
こんな何でもない昔の風情が懐かしいです。
さて、最後の写真を紹介したついでに、
ベンチに座った女房の両サイドにある二つの袋について考察してみます。
まず左側にあるレコード袋。
四つ並んだディスクの上に「新星堂」と書かれたロゴがあります。
これは、当時の吉祥寺駅ビル商店街「ロンロン」の中にあったレコード屋さんです。
今ではロンロンではなく「アトレ」になりましたが、新星堂は残っています。
店名もロゴも昔のままですよ。
一方、ついに分からなかったのが右側の小袋。
リスドォル "LYS D'OR" と読めます。
フランス語から直訳すると「金の百合」ですね。
また当時、日清製粉が同名のパン粉を売っていたそうです。
多分、そのパン粉を原料とした美味しいパンを売るお店「リスドォル」が、
ロンロンの中か吉祥寺近辺にあったのだと推測しますが、不明です。
迷宮入り、残念。
今回の撮影場所は下の案内図の[3]と[4]です。
室内の照明も、多分むき出しの蛍光灯っぽいですね。
こんな何でもない昔の風情が懐かしいです。
さて、最後の写真を紹介したついでに、
ベンチに座った女房の両サイドにある二つの袋について考察してみます。
まず左側にあるレコード袋。
四つ並んだディスクの上に「新星堂」と書かれたロゴがあります。
これは、当時の吉祥寺駅ビル商店街「ロンロン」の中にあったレコード屋さんです。
今ではロンロンではなく「アトレ」になりましたが、新星堂は残っています。
店名もロゴも昔のままですよ。
一方、ついに分からなかったのが右側の小袋。
リスドォル "LYS D'OR" と読めます。
フランス語から直訳すると「金の百合」ですね。
また当時、日清製粉が同名のパン粉を売っていたそうです。
多分、そのパン粉を原料とした美味しいパンを売るお店「リスドォル」が、
ロンロンの中か吉祥寺近辺にあったのだと推測しますが、不明です。
迷宮入り、残念。
今回の撮影場所は下の案内図の[3]と[4]です。
昭和のモノクロ井の頭公園4 ― 2014年12月04日
手前に写っている客席(ベンチ)は木製です。
奥のステージの腰壁は自然石の乱張りで、
ステージ上の二本の柱は玄昌石の横積み仕上げとなっています。
こんなレトロなデザインが懐かしいです。
そして写真左上、舞台上のズボン姿の女の子は、
マンガ「ガラスの仮面」の主人公「北島マヤ」かな?
そう、知っている人は知っていると思いますが、
この野外ステージは「ガラスの仮面」の聖地と言われる場所なんですね。
漫画の中で、マヤと劇団「一角獣」のメンバーが、
「真夏の夜の夢」を演じた場所がここです。
もし、この漫画を御存じ無ければ、是非とも読むことをお薦めします。
かつて私が職場の女性に(しかも、それまでの彼女の人生で、
漫画など手にした事も無かったという、とびっきりのお嬢様に)
この漫画を紹介した所、あまりに面白くて徹夜で読んだそうです。
それに、この写真は1976年11月の撮影ですから、
丁度、「花とゆめ」に「ガラスの仮面」の連載が始まった直後ですね。
作者の「美内すずえ」さんが描いたのは、この野外ステージです。
現在は、小綺麗な新しいステージに造り替えられてしまいました。
奥のステージの腰壁は自然石の乱張りで、
ステージ上の二本の柱は玄昌石の横積み仕上げとなっています。
こんなレトロなデザインが懐かしいです。
そして写真左上、舞台上のズボン姿の女の子は、
マンガ「ガラスの仮面」の主人公「北島マヤ」かな?
そう、知っている人は知っていると思いますが、
この野外ステージは「ガラスの仮面」の聖地と言われる場所なんですね。
漫画の中で、マヤと劇団「一角獣」のメンバーが、
「真夏の夜の夢」を演じた場所がここです。
もし、この漫画を御存じ無ければ、是非とも読むことをお薦めします。
かつて私が職場の女性に(しかも、それまでの彼女の人生で、
漫画など手にした事も無かったという、とびっきりのお嬢様に)
この漫画を紹介した所、あまりに面白くて徹夜で読んだそうです。
それに、この写真は1976年11月の撮影ですから、
丁度、「花とゆめ」に「ガラスの仮面」の連載が始まった直後ですね。
作者の「美内すずえ」さんが描いたのは、この野外ステージです。
現在は、小綺麗な新しいステージに造り替えられてしまいました。
こうなると聖地としての価値はちょっと落ちますね。
そう言えば、私が吉祥寺に住んでいた頃、休日に散歩をしていて偶然、
美内さんのお宅を発見したことがあります。
少し大きめの普通の一軒家でした。
吉祥寺在住というのは何かで知っていたのですが、
「立派な表札だなー」と、たまたま目にした表札に
『美内すずえ』と書いてあったので、「へー、ここなのか」と思いました。
既に御主人もいらしたはずなのに、その名前が書かれていなかったので、
「カリスマ漫画家だから、夫は髪結いの亭主なのかな〜」
などと余計なことを考えたりもしました。本当のところは知りません。
ちなみに、今は「カフェ兼仕事場兼自宅」になっているらしいです。
今回の撮影場所は下の案内図の[5]です。
そう言えば、私が吉祥寺に住んでいた頃、休日に散歩をしていて偶然、
美内さんのお宅を発見したことがあります。
少し大きめの普通の一軒家でした。
吉祥寺在住というのは何かで知っていたのですが、
「立派な表札だなー」と、たまたま目にした表札に
『美内すずえ』と書いてあったので、「へー、ここなのか」と思いました。
既に御主人もいらしたはずなのに、その名前が書かれていなかったので、
「カリスマ漫画家だから、夫は髪結いの亭主なのかな〜」
などと余計なことを考えたりもしました。本当のところは知りません。
ちなみに、今は「カフェ兼仕事場兼自宅」になっているらしいです。
今回の撮影場所は下の案内図の[5]です。
蛇足ながら、現在の野外ステージの写真で左に写っている階段と出入口は
当時はありませんでした。
次の写真のように近くで見てみると、比較的新しそうでしょう?
多分、民有地を市が買い足して公園敷地と既存道路を接続し、
かつバリアフリーな階段を造ったのでしょう。
ここから公園の外に出ると「パープル通り」に繋がります。
もうひとつ西側の出入口が次の写真です。遠方に丸井の看板が見えます。
かつバリアフリーな階段を造ったのでしょう。
ここから公園の外に出ると「パープル通り」に繋がります。
もうひとつ西側の出入口が次の写真です。遠方に丸井の看板が見えます。
これは見ての通り古くからあったもので、ここから出ると「七井橋通り」です。
この二本の通りを吉祥寺駅南口方面へ向かうと、丸井の脇にでます。
この二本の通りを吉祥寺駅南口方面へ向かうと、丸井の脇にでます。
昭和のモノクロ井の頭公園5 ― 2014年12月06日
すると、こんな感じに、道路の突き当たりに突然公園が現れます。
正門とか裏門の類いが無いのですね。
そこに至るエリアは、昔も今も、通過交通とかあまり無く閑静な住宅街です。
その吉祥寺南町1丁目付近で、70年代後半に撮影したスナップが数枚あります。
正門とか裏門の類いが無いのですね。
そこに至るエリアは、昔も今も、通過交通とかあまり無く閑静な住宅街です。
その吉祥寺南町1丁目付近で、70年代後半に撮影したスナップが数枚あります。
この撮影場所が分かるかな〜、と思いながら
先日ぶらついたのですが、やはり簡単には見つかりませんでした。
いつか又、吉祥寺に暮らすことがあれば、
その時にじっくり探索しようと思います。
でも次の写真に写っている公園入口は、それなりの特徴があるので、
場所の特定は容易なはずです。
先日ぶらついたのですが、やはり簡単には見つかりませんでした。
いつか又、吉祥寺に暮らすことがあれば、
その時にじっくり探索しようと思います。
でも次の写真に写っている公園入口は、それなりの特徴があるので、
場所の特定は容易なはずです。
やや狭めの急な勾配の道路は、築造時に切り開かれたためか、
両サイドの敷地より少し低くなっています。
道路左側の崩れ掛かった擁壁は、明日にでも崩れ落ちそう、と思えました。
こういう昔の写真を手にしながら、
その特徴を受け継ぐ現在の風景を探索するのはとても楽しいです。
そして見つけました。次の写真が現況です。
両サイドの敷地より少し低くなっています。
道路左側の崩れ掛かった擁壁は、明日にでも崩れ落ちそう、と思えました。
こういう昔の写真を手にしながら、
その特徴を受け継ぐ現在の風景を探索するのはとても楽しいです。
そして見つけました。次の写真が現況です。
境界杭の右側が50cmほど拡幅されているようです。
だから、昔の写真では道路中心にあったマンホールが、
今の写真では中心から外れているように見えますね。
それと、勾配の途中に排水溝のグレーチングが追加設置されています。
でも何といっても驚いたのは、道路左側の擁壁です。
「明日にも崩れ落ちる」どころか、37年経過した今でも昔の姿のママです。
壁の亀裂とか傾き具合とか笑っちゃうぐらい同じでしょう?
これでは「死の床」に駆けつけたはずの親族も、
最期を待って何日も泊まり込む事になりそうです。
ところで、この擁壁をもつ敷地って何でしょうか?
ネットフェンス越しに「鎌田公園」と看板が見えました。
だから、昔の写真では道路中心にあったマンホールが、
今の写真では中心から外れているように見えますね。
それと、勾配の途中に排水溝のグレーチングが追加設置されています。
でも何といっても驚いたのは、道路左側の擁壁です。
「明日にも崩れ落ちる」どころか、37年経過した今でも昔の姿のママです。
壁の亀裂とか傾き具合とか笑っちゃうぐらい同じでしょう?
これでは「死の床」に駆けつけたはずの親族も、
最期を待って何日も泊まり込む事になりそうです。
ところで、この擁壁をもつ敷地って何でしょうか?
ネットフェンス越しに「鎌田公園」と看板が見えました。
そして、ここはバーベキューなどができる特殊な公園らしいです。
ちょっと興味が湧いたので調べてみました。
私の調査と推測を要約すると次のようになります。
当時ここには、宗教法人「釈迦牟尼会」の道場がありました。
その道場が1985年頃に発展的に移転したあと、
敷地所有者であり釈迦牟尼会にも関係の深い鎌田さんが、
跡地の活用を武蔵野市へ委託した、という経緯のようです。
それにしても、
井の頭「公園」と地続きの鎌田「公園」って何か可笑しいです。
次に、昔の写真で、鎌田公園の向かい側の敷地は何だったのでしょう。
黒格子の目隠しパネルが特徴的なブロック塀の内側には、
結構な高木が何本も見えます。
こちらは個人の敷地内の広葉樹林だったのでしょう。
そして、そのような森の典型的な運命として、
今では次のように二棟のアパートになっていました。
私が約40年前に目白や吉祥寺で住んでいたアパートの現代版というしつらえです。
ということは、この敷地も40年後は別の姿に変貌する可能性が高いです。
アパートに住んでいる人の中に「タフちゃんPart2」がいるかな?
今回の撮影場所は下の案内図の[6]です。
ということは、この敷地も40年後は別の姿に変貌する可能性が高いです。
アパートに住んでいる人の中に「タフちゃんPart2」がいるかな?
今回の撮影場所は下の案内図の[6]です。
昭和のモノクロ井の頭公園6 ― 2014年12月10日
昭和51年(1976年)11月末の撮影です。
樹々は既に落葉し、その裸ん坊になった枝の隙間から見える湖面は寒そうですね。
今年の11月に、この撮影場所を探しました。
「ここかな〜。いや、ちょっと違うな」などと、
似たような場所を吟味すること数十分、遂に目的地に辿り着きました。
それが次の場所です。
樹々は既に落葉し、その裸ん坊になった枝の隙間から見える湖面は寒そうですね。
今年の11月に、この撮影場所を探しました。
「ここかな〜。いや、ちょっと違うな」などと、
似たような場所を吟味すること数十分、遂に目的地に辿り着きました。
それが次の場所です。
決め手は丸太でできた階段です。
形状も、池との位置関係もピッタリです。
水辺近くの樹木の内、写真右のサワラは樹形をほぼ保っていました。
写真中央とその左の桜の木も、老木となって傾いでいますが昔の面影ありです。
ただ新旧の写真を見比べると、同じ11月の撮影なのに、雰囲気が随分違います。
今年の写真は、常緑樹が生い茂っていて見通しが悪く、ちょっと煩雑な感じです。
それに対して昔の写真は、これから冬に向かうピリッとした「季節感」があります。
枯れ葉を振り落としてスリムになった樹木に、何か潔さを感じませんか?
今回の撮影場所は下の案内図の[7]です。
形状も、池との位置関係もピッタリです。
水辺近くの樹木の内、写真右のサワラは樹形をほぼ保っていました。
写真中央とその左の桜の木も、老木となって傾いでいますが昔の面影ありです。
ただ新旧の写真を見比べると、同じ11月の撮影なのに、雰囲気が随分違います。
今年の写真は、常緑樹が生い茂っていて見通しが悪く、ちょっと煩雑な感じです。
それに対して昔の写真は、これから冬に向かうピリッとした「季節感」があります。
枯れ葉を振り落としてスリムになった樹木に、何か潔さを感じませんか?
今回の撮影場所は下の案内図の[7]です。
ここは、井の頭公園の南側(三鷹市側)の次の写真の入口を左折して、
下の写真の舗装された回遊路から池の方に少し下った所でした。
散歩している御二人の脇に柵の切れ目があり、
池へ下りていく階段の始まりが見えています。
ここで撮りました。
それにしても、平日の昼間とはいえ、
たまたま写真に写りこまれた方は皆ご年配の方でした。
時代の「季節感」みたいなものを感じました。
(一旦終り)
池へ下りていく階段の始まりが見えています。
ここで撮りました。
それにしても、平日の昼間とはいえ、
たまたま写真に写りこまれた方は皆ご年配の方でした。
時代の「季節感」みたいなものを感じました。
(一旦終り)
紅葉に美女(新宿御苑にて) ― 2014年12月14日
オートフォーカスが少し狂っていた”Nikon D600”の修理が完了しました。
早速、試写を兼ねて新宿御苑の紅葉を楽しんできました。
天候に恵まれた土曜日の午後、
多くの写真好きが”彼女”に向かってカメラを構えていました。
いつの時代も同じ光景ですね。
撮りたくなる対象があるというのは幸せなことです。
早速、試写を兼ねて新宿御苑の紅葉を楽しんできました。
天候に恵まれた土曜日の午後、
多くの写真好きが”彼女”に向かってカメラを構えていました。
いつの時代も同じ光景ですね。
撮りたくなる対象があるというのは幸せなことです。
次の写真、モニタを見て彼女「きれいに撮れてる?」
彼氏の腕前を信用していても、やはり写り映えが気になりますよね。
次のように衣装もレンズも本格的な人たちもいました。
一番見事なエリアは千駄ヶ谷門の東にある「モミジ山」です。
これから本格的に色づくモミジもあるそうです。
夕暮れの御苑も絵になります。
地面は暗くなり樹々が夕陽に輝きます。
夕暮れの御苑も絵になります。
地面は暗くなり樹々が夕陽に輝きます。
シルエットになると、何でも美しくなりそう。
さて、この日の収穫のひとつは、御苑に向かう途中で、
新宿伊勢丹西の「無印良品」で見つけました。
次の二枚の写真ですが、
窓ガラスの外から見える商品棚が見事にアートしています。
恐るべし無印良品!
というわけで、D600のAF調整具合はOK。また安心して使えます。
というわけで、D600のAF調整具合はOK。また安心して使えます。
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