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32年前の冬の井の頭公園(3)御殿山 ― 2016年03月10日
我が家では「井の頭恩賜公園」を三つに分けて、それぞれ
「公園」、「西園」、「動物園」と勝手に呼んでいました。
でも、丁度その真ん中に、「名無しのエリア」がありました。
他のエリアのように、池とか競技場のトラックとか動物園とか、
特徴的なものが何もないエリアなので、特に呼び名を付けなかったんです。
今回は、そんな何の特徴もない場所で撮った写真の話です。
とりあえず、そこを「御殿山」と呼ぶことにします。
次の昔の写真は、公園内の水生物園から、スロープと階段を上がって、
まさに御殿山に出てきたところ(のはず)。
「公園」、「西園」、「動物園」と勝手に呼んでいました。
でも、丁度その真ん中に、「名無しのエリア」がありました。
他のエリアのように、池とか競技場のトラックとか動物園とか、
特徴的なものが何もないエリアなので、特に呼び名を付けなかったんです。
今回は、そんな何の特徴もない場所で撮った写真の話です。
とりあえず、そこを「御殿山」と呼ぶことにします。
次の昔の写真は、公園内の水生物園から、スロープと階段を上がって、
まさに御殿山に出てきたところ(のはず)。
樹木も園路も、この後の32年間で成長・変化しているので、
似た雰囲気のところの現在の写真を撮ってみると、こうです。
似た雰囲気のところの現在の写真を撮ってみると、こうです。
結構同じ雰囲気ですね。
「変化の中の同一性」とでも言うのかな。
もう一つ同様の組み合わせで並べると。
「変化の中の同一性」とでも言うのかな。
もう一つ同様の組み合わせで並べると。
この現在の写真の方で、中央左に写っているムクノキ?の足元を見ると、
次のようにごつごつ瘤のようになっていて、いかにも老木です。
次のようにごつごつ瘤のようになっていて、いかにも老木です。
この樹の32年前の姿は、1984年の"写真11"に写っている樹のうち、
[A][B][C]と記したどれかに違いないと思います。
昔の写真を撮った時に、
子供の背丈に合わせて「傷」をつけておけば良かったかな?
さて、実は今回の公園探索の最大の目的は、
次の写真について、当時の痕跡を探すことでした。
[A][B][C]と記したどれかに違いないと思います。
昔の写真を撮った時に、
子供の背丈に合わせて「傷」をつけておけば良かったかな?
さて、実は今回の公園探索の最大の目的は、
次の写真について、当時の痕跡を探すことでした。
無数にある子供の写真のうち、記憶に残る何枚かのひとつです。
ちなみに娘が乗っている柵杭(支柱)は、PC製の擬木です。
擬木は腐ったりしないので、ひょっとしたら32年後の現在も残っていて、
しかも娘の靴の足跡なんかも付いたままだったら(さすがにそれはないか)
面白いなと考えたわけです。
でも、現在の井の頭公園では、支柱は本物の木の丸太になっていました。
そして、園路の形状変更に伴い、当然、柵の位置も変わってますから、
昔の撮影地点も、特定不可能です。残念です。
と一旦は諦めながら、そこからもう一度執念深く調査する性格が偏執狂的。
そこで「写真みずからに語らしめよ」の鉄則に立ち戻りました。
写真右上の青い屋根のような物、最初は民家の屋根の一部かと思っていましたが、
これをルーペでよく見ると、何とこれは手すりでした。
そして、その下にはコンクリートのごつい柱が二本ありました。
ちなみに娘が乗っている柵杭(支柱)は、PC製の擬木です。
擬木は腐ったりしないので、ひょっとしたら32年後の現在も残っていて、
しかも娘の靴の足跡なんかも付いたままだったら(さすがにそれはないか)
面白いなと考えたわけです。
でも、現在の井の頭公園では、支柱は本物の木の丸太になっていました。
そして、園路の形状変更に伴い、当然、柵の位置も変わってますから、
昔の撮影地点も、特定不可能です。残念です。
と一旦は諦めながら、そこからもう一度執念深く調査する性格が偏執狂的。
そこで「写真みずからに語らしめよ」の鉄則に立ち戻りました。
写真右上の青い屋根のような物、最初は民家の屋根の一部かと思っていましたが、
これをルーペでよく見ると、何とこれは手すりでした。
そして、その下にはコンクリートのごつい柱が二本ありました。
この拡大写真で黄色のタクシーが見えることからも分かるように、
これは吉祥寺通りをまたぐ歩道橋でした。
となれば、問題はほぼ解決。
現在の様子を写すと次のようになります。
これは吉祥寺通りをまたぐ歩道橋でした。
となれば、問題はほぼ解決。
現在の様子を写すと次のようになります。
今回の調査で活躍したのは、次の歩道橋「ごてんやまはし」。
32年前の住宅地図と同じ位置に同じ形状で存在しています。
掛け替えられてはいないのかもしれません。
そう思って見ると、手すりはアルミの新品になっていても、
コンクリートの本体は表面を化粧し直しただけのようにも見えます。
とすれば、この橋はここで何十年も頑張っているのでしょうか?
さて、この御殿山エリアには、
中央を南北に貫く「井の頭公園通り」が通っています。
掛け替えられてはいないのかもしれません。
そう思って見ると、手すりはアルミの新品になっていても、
コンクリートの本体は表面を化粧し直しただけのようにも見えます。
とすれば、この橋はここで何十年も頑張っているのでしょうか?
さて、この御殿山エリアには、
中央を南北に貫く「井の頭公園通り」が通っています。
1984年も、このガードレールの切れ目を通って西側のエリアに行き、
そこで撮った写真が次です。
そこで撮った写真が次です。
光の方向と、遠くに写っているガードレールから、この場所が判別できます。
写真左には、朱色の和装の女性とその母親らしい人物が、
ガードレールの切れ目に向かって歩いています。
いかにも元旦の風景ですね。
その割には我が家はおめかししていませんが、ご近所ですからいいんです。
この場所の現在の様子はこうなっています。
写真左には、朱色の和装の女性とその母親らしい人物が、
ガードレールの切れ目に向かって歩いています。
いかにも元旦の風景ですね。
その割には我が家はおめかししていませんが、ご近所ですからいいんです。
この場所の現在の様子はこうなっています。
この景色も「変化の中の同一性」ですね。
撮影地点を現在の地図にプロットしてみました。
撮影地点を現在の地図にプロットしてみました。
さて、今回の探索の主目的、
「娘がカカシになった柵支柱を見つけ、昔の井の頭公園での一日を懐かしむ」、
という目論見は完全には果たせませんでしたが、
その代わりに、地元っ子でしょうか、「ほたる橋」の近くで、
お茶目な芸を見せて私を楽しませてくれた子供達がいましたよ。
(終り)
コメント
_ スミレ ― 2016年03月10日 14:12
_ タフちゃん ― 2016年03月10日 20:01
>スミレさん、こんばんは。
「都落ちのお父さん!」その気持ちわかります。
なぜなら、私が目白から吉祥寺に移ったのはスミレさんの約10年後ですが、
やっぱり都落ちのような気分になりましたから。
でも井の頭公園には本当に助けられましたね。子供のためにも良かったです。
現在は池が干上がっていますが、また水が入ってボートが再開したら、
女房を伴ってボート乗りに行こうかな?
「都落ちのお父さん!」その気持ちわかります。
なぜなら、私が目白から吉祥寺に移ったのはスミレさんの約10年後ですが、
やっぱり都落ちのような気分になりましたから。
でも井の頭公園には本当に助けられましたね。子供のためにも良かったです。
現在は池が干上がっていますが、また水が入ってボートが再開したら、
女房を伴ってボート乗りに行こうかな?
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なるのが都落ち気分だったようです。確かにあの頃の吉祥寺は
サンロードにはバスが走り、バラック様の店があり、近鉄前はぬかるみ道
でした。どうしてこんなに高評価の街になったかといえば、やはり
井の頭公園の存在が大きいですよね。西園エリアは、時に軽井沢に
いる気分、そして徒歩数分でJR駅とデパートがある、緑と利便性と
都心からの程よい距離、地盤の良さ、どれをとっても、都内指折りの
特別な場所です。今では私にも憧れの場所になってしましたしたが。
そういえば、この公園のボートに乗ると、カップルが別れるという都市伝説も
ありましたっけね。