▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

修正された記憶:目白の風景2016年04月28日

4年ほど前に「目白(上り屋敷)の入口
というタイトルで、上り屋敷の路地を取り上げたことがあります。
40年前に撮影した一枚の路地の写真について、その撮影場所を特定する遊びです。
この時は、確定的な判断材料をついに発見できず、
「まあこの辺かな」と一応それらしい場所で自分自身を納得させたのでした。
場所不明な目白の路地
この写真で左が昔の写真、右が現在の写真(と私が推測したもの)です。
航空写真にプロットすると、次の[3]の位置です。
74年の航空写真

そんな記事に関して、先日、当ブログにご訪問いただいた”ぐら”さんから、
貴重なコメントをいただきました。
ぐらさんは目白で生まれて、
人生の一時期を除いてずーっと目白で暮らしているそうです。
彼?によれば、
『[3]の写真の左側の2軒の住宅は、昭和30年代から平成ヒトケタ台あたりまで小児科・内科医院でした(私と息子が二代に渡って、乳児~小学生時代にお世話になってました)』
なんだそうです。
それで私も当時の住宅地図で確認すると、
確かに「半田医院」と記載されています。
そうなると話が違ってきます。
昔のモノクロ写真に写っている家屋は、閉鎖的な塀と門から判断して、
明らかに専用住宅です。
医院であればもう少しオープンな造りになっているはずですよね。
そして、4年前に撮影場所を特定したつもりになっていた時も、
「でも、昔と今では電柱の位置が変わりすぎているな」
と若干の疑念を抱いていたことも思い出しました。
また、ぐらさんから
『で、この記事の74年のモノクロ写真ですが、自由学園明日館の東側搬入口のクランクから東を向いて撮影されたものじゃないかと思います。』
とのコメントもいただきました。

「むむ!これは再審開始決定だな」と考えた私は、
再度、昔のフィルムを高解像度でスキャニングして仔細に眺めてみました。
目白の路地再スキャン
消火器の右側に縦長の黒い影があります。
「引越梱包専門...」とか「現金デスグ...電話ノコトナラ」とか書いてあるチラシが貼ってありますから、これは電柱ですね。
そして道路面に残る雪に描かれた轍が右手前にカーブしていることから、
この電柱と消火器の右側に道路が伸びていることがわかります。
T字路のようです。
そして、ぐらさんが教えてくださった場所を当時の住宅地図に落とし込みました。次の[4]です。
1975年の住宅地図
何と条件にぴったり合致するではありませんか。
しかも、もう一つ、重要な状況証拠がありました。
昔の写真に写っている「石塀の上の二枚の小屋根」です。
この二枚の小屋根は同じ意匠で造られているようなので、
何か御関係のある二軒なのかな、と推測していたのですが、
住宅地図を見ると、ちょうど二軒「KM邸(仮)」の記載があったのです。
また、写りの良い別の航空写真を拡大してみると、
該当する位置に小屋根と思われる白い点が二箇所確認できました。
1979年の航空写真
今度こそ正解かな。

この場所の現在の様子を、昔の写真と並べてみました。
今昔比較写真
道路の曲がり具合、電柱の位置、道路延長線上のビル群の見え方(昔と比べてちょっと煩雑になっていますが)など今度こそ正解に行き着いたと確信が持てました。
残念ながら、昔の格調高い石塀はなくなっていました。
大谷石の立派な塀と門構えでしたがね。
二枚の小屋根が示していた二つの玄関が、今はたくさんの玄関になっていました。
玄関が増殖

ここで実はちょっと慌てました。
現在の写真の背後に池袋の「サンシャイン60」が写っているでしょう。
「あれ?!この高さで見えるのなら、
昔の写真にも写っていなきゃいけないんじゃないか?
昔のには写っていないってことは、やっぱりここも不正解なのか。
また振り出しか!」
と慌てたんです。
でも、冷静に考えて、振り出しに戻らなくても良いことがわかりました。
巣鴨拘置所跡地にサンシャインシティができたのは1978年。
私がモノクロの路地を撮影したのは1974年。
目白のスカイラインに「サンシャイン60」が登場するのは、
モノクロ写真の4年後のことでした。

コメント

_ ぐら ― 2016年04月29日 19:34

素早い対応どうもありがとうございます。
あの場所の現在の敷地の区画と74年当時の区画が異なっており、「目白(上り屋敷)の入口」で掲載されたモノクロ写真の左側のフレーム外の部分が思い出せなかったため、コメントしたときはここで合ってるのか少し不安があったんですが、今回掲載していただいた高画質スキャン版で確信が持てました。
また高画質スキャン版を見せていただいて、もうひとつ思い出しました。写真の電柱の右側の家は、磨りガラスがはまった引き戸のシャツ仕立て屋さんでしたね。我が家は父も祖父も人物以外の写真はほとんど撮っていないので、近所の風景写真はありません。なので、こちらで昔の風景を拝見できるのがとてもうれしいです。

あと余談になりますが、この記事の住宅地図の左側にある「32」と書かれた角の住宅は、童話作家の坪田譲治氏の邸宅で敷地内に「びわのみ文庫」という童話の私設図書館がありました。ここは普段は門を開けて子供たちに開放されていて、昭和30年代には私も何度か入って本を読みました。いつのまにかびわのみ文庫は閉館して門は閉ざされてしまいましたが、建物自体は10年ぐらい前まで残っていました。

_ タフちゃん ― 2016年04月30日 06:39

ぐらさん、こんにちは。
ぐらさんのような地元っ子の思い出はディテールまで含まれているんですね。
「磨りガラスがはまった引き戸」には笑ってしまいました。その詳細な風景が目に見えるような気がします。
それと「びわのみ文庫」、私は行ったことはありませんでしたが、その存在は後日聞きました。
私のブログ記事「自由学園明日館」(2012/5/27)に載せた昔の写真にまさに「32」が写っています。ここの四つ角ですかね。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパム対策の質問をやむを得ず設定しました。お手数ですが当ブログタイトル「○○の風景」の○○を漢字で。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mejiro.asablo.jp/blog/2016/04/28/8079477/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。