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・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
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目白駅西を散歩して思うこと ― 2016年05月25日
二年前にペンタックス Pentax_MZ-5を安値で入手した際に、
中古のズームレンズを着けて、目白駅周辺を試写したことがありました。
中古並品同士を組み合わせた写りはやっぱり「並」とその時は感じました。
ところが先日、その時の写真を見直してみたところ、何か良い雰囲気。
中古のズームレンズを着けて、目白駅周辺を試写したことがありました。
中古並品同士を組み合わせた写りはやっぱり「並」とその時は感じました。
ところが先日、その時の写真を見直してみたところ、何か良い雰囲気。
僅か二年間とはいえ、写真も寝かせると「熟成」するらしいです。
今回、その写真の順番をなぞるように目白駅西を散歩してみました。
以下ちょっとかすんでる写真が二年前にフィルムで撮ったもの、
それに対して彩度の高いのが今回iPhoneで撮ったものです。
「ビジネス塩ノ屋」を過ぎると「目白豊坂稲荷神社」。フィルム。
今回、その写真の順番をなぞるように目白駅西を散歩してみました。
以下ちょっとかすんでる写真が二年前にフィルムで撮ったもの、
それに対して彩度の高いのが今回iPhoneで撮ったものです。
「ビジネス塩ノ屋」を過ぎると「目白豊坂稲荷神社」。フィルム。
次もフィルム。
今回、ここで新たな発見。
大谷石の石垣に、あの洋菓子店「田中屋」さんが寄進したことを示す彫込が。
伝説と石垣にだけ名前を残す田中屋ですね(今は酒屋さんになった)。
次は、川村学園女子大の正門の旧と新。この二年間は変化なし。
伝説と石垣にだけ名前を残す田中屋ですね(今は酒屋さんになった)。
次は、川村学園女子大の正門の旧と新。この二年間は変化なし。
ここは、昔は「ロゴス英語学校」と「教会」があったところですね。
当ブログのご訪問者にも、ロゴスを懐かしむ方がいらっしゃいます。
私が目白を離れた直後に、学校は廃止され建物も解体されたようです。
そして、その敷地を拡張して川村学園が女子大を開設したのですが、
次のようにネットフェンスを通して敷地内を眺めると、
やっぱりロゴス時代の空気が漂っている気がしました。
当ブログのご訪問者にも、ロゴスを懐かしむ方がいらっしゃいます。
私が目白を離れた直後に、学校は廃止され建物も解体されたようです。
そして、その敷地を拡張して川村学園が女子大を開設したのですが、
次のようにネットフェンスを通して敷地内を眺めると、
やっぱりロゴス時代の空気が漂っている気がしました。
と二年前の写真を見て思いを巡らしていると、
現在は、フェンスの代わりにアルミのめくらパネルが設置されている。
現在は、フェンスの代わりにアルミのめくらパネルが設置されている。
あえて覗くつもりはないけれど、ちょっと残念です。
川村学園周辺の狭い路地を西へ抜けると、若干広めの通りへ出ます。
近衛町と呼ばれるエリアですが、以前当ブログへいらしたみどりさんによると、
この通りは「近衛通り」ではなく「幼稚園の通り」と呼ばれていたそうです。
その幼稚園の通りに面して、ギタルラ社の建物が見えます。
二年前は、ここで、そのギタルラ社の南側の通りを覗いてみました。
川村学園周辺の狭い路地を西へ抜けると、若干広めの通りへ出ます。
近衛町と呼ばれるエリアですが、以前当ブログへいらしたみどりさんによると、
この通りは「近衛通り」ではなく「幼稚園の通り」と呼ばれていたそうです。
その幼稚園の通りに面して、ギタルラ社の建物が見えます。
二年前は、ここで、そのギタルラ社の南側の通りを覗いてみました。
中望遠の70mmで撮ったこの写真を「改めて眺めると」、
風景だけでなく、当然ながら人物にも視線がいきますね。
この後ろ姿の女性、トートバックに紙袋を三つ、それに傘まで持っています。
この通りの二年後、今年の様子は次の写真のとおりです。
風景だけでなく、当然ながら人物にも視線がいきますね。
この後ろ姿の女性、トートバックに紙袋を三つ、それに傘まで持っています。
この通りの二年後、今年の様子は次の写真のとおりです。
写真左端はコインパーキングになっていました。
ここは1970年代の大昔からトヨタの販売店だったところです。
ちなみに、その1974年の写真を再掲してみましょう。
ここは1970年代の大昔からトヨタの販売店だったところです。
ちなみに、その1974年の写真を再掲してみましょう。
これは「特徴のない風景だが(1)」で取り上げた写真ですが、
風景は、時代とともに変わっているとも言えるし、
変わらない雰囲気もあるとも言えるし、とにかく比較するのは面白いです。
二年前の試写散歩では、この後おとめ山公園へ向かいました。
そのルートは、普段私の歩く経路どおりで、
目白ヶ丘教会をクランクし南下するルートです。
風景は、時代とともに変わっているとも言えるし、
変わらない雰囲気もあるとも言えるし、とにかく比較するのは面白いです。
二年前の試写散歩では、この後おとめ山公園へ向かいました。
そのルートは、普段私の歩く経路どおりで、
目白ヶ丘教会をクランクし南下するルートです。
次の写真は、南下しつつ前方を撮影したもの。
この最後の写真を「改めて眺めると」、
ギタルラ社の南の通りで荷物をたくさん持って歩いていた女性が、
ここで再登場していることに気がつきました。
撮影した時は、同一人物がまた前を歩いていることには気がつきませんでした。
ということは、彼女は私とは別ルートでこの場所に来たのですね。
という具合に、昔の写真を眺めてみると、いろいろ新たな発見があります。
そんな訳で、本日学んだこと:
・田中屋は豊坂稲荷に寄進していた
・女子大は覗いてはいけない
・一人一人、通り道は様々、思い出も様々。
最後に、ロゴス英語学校と、ギタルラ社の南側の道について、
当ブログへのご訪問者のモカさん、Moriyaさんと下落合に50年さんのコメントが私の拙い文章より格段に面白いので、一部紹介させていただきます。
モカさんの「目白でGPS」へのコメント
_ モカ ― 2014年05月14日 14:04
.........
公務員宿舎から目白駅に行く時は、駅前通りに出ないで、自転車も通れない細い路地をつたって駅のすぐ脇の階段に出ていました。近道だったんでしょう。路地の途中の、今は川村学園の大学がある場所に英語学校があって、子供の頃に習いに行ってました。路地の少し手前には旧華族の邸宅がありましたが、2年前に歩いた時は、どこだかもうわかりませんでした。
街の風景は年々変わりますが、道はあまり変わらないのが、記憶をたどるにはありがたいですね。
.........
_ タフちゃん ― 2014年05月15日 00:44
>モカさん
...........
川村学園(旧ロゴス英語学校)の周辺の駅に至る近道は、おっしゃる通り今でも同じように狭い路地ですね。
駅近くには古びた旅館やお稲荷さんがあって、私の好きな界隈です。
...........
_ モカ ― 2014年05月15日 18:43
...........
あとロゴス!名前をご存知でしたか。子供心にずいぶん校舎がボロいなと思ってました。官舎といいロゴスといい、当時で古いと感じたのだから、建物はいったいいつからあったんでしょうね。
あの路地にはお稲荷さんや旅館もあったんですね。なんだか絵になる一角ですよね。機会があったらまた通ってみたいです。
Moriyaさんの「目白の風景 今昔:目次」へのコメント
_ Moriya ― 2016年05月20日 19:42
68年から数年間を目白のロゴス英語学校で学び?ました。とても懐かしく拝見させてもらいました。すでに川村学園になったのも知っていましたが、行ってみて学校が無いのをまのあたりにすると実に寂しい物ですね。当時の仲間たちとの交流は有りませんが、校友会、音楽のLMC,喫茶室で語り合った友の事等、楽しい思い出が走馬灯のように思い起こしました。みんな元気なら良いですね。
_ タフちゃん ― 2016年05月21日 01:22
Moriyaさん、こんばんは。
ロゴス英語学校のあった周辺って、ちょっと奥まっていて昔の雰囲気が比較的残っているエリアのような気がします。駅からの細い路地を、お稲荷さんの脇を通りながら登っていくのが私の散歩コースの一つです。Moriyaさんは、そんな場所で学ばれていたんですね。
............
下落合に50年さんの「特徴のない風景だが(1)」へのコメント
_ 下落合に50年 ― 2013年09月18日 00:06
........
この道は、近衛町近くですね、
現在の写真のギタルラ社のバルコニー柵でわかりました。
実は下落合3~4丁目エリアの住人にとっては、目白駅に抜けるメイン通りで、朝の通勤通学時間には昔から かなり人通りがあるのです。
そして外国人の方が住んでいた振り分け式の、昭和40年代にはめずらしい欧米風のモダンなコンクリ住宅があったり、車庫にたくさんのクラシックカーのコレクションを所有の方がいらしたり(たまに車庫が開いていると凄かった!)、その昔チュニジア大使館があったり、もっと昔は、かの皇室ゆかりのバイニング夫人のお住まいだった豪邸(お庭にクジャクのいる、動物園にあるみたいな何mもの高さの巨大な金網の小屋があった!)があったり。
目立たない静かな裏道だけれども、ちょっと不思議な、ある意味とても目白らしい、道なのでした。
............
ギタルラ社の南の通りで荷物をたくさん持って歩いていた女性が、
ここで再登場していることに気がつきました。
撮影した時は、同一人物がまた前を歩いていることには気がつきませんでした。
ということは、彼女は私とは別ルートでこの場所に来たのですね。
という具合に、昔の写真を眺めてみると、いろいろ新たな発見があります。
そんな訳で、本日学んだこと:
・田中屋は豊坂稲荷に寄進していた
・女子大は覗いてはいけない
・一人一人、通り道は様々、思い出も様々。
最後に、ロゴス英語学校と、ギタルラ社の南側の道について、
当ブログへのご訪問者のモカさん、Moriyaさんと下落合に50年さんのコメントが私の拙い文章より格段に面白いので、一部紹介させていただきます。
モカさんの「目白でGPS」へのコメント
_ モカ ― 2014年05月14日 14:04
.........
公務員宿舎から目白駅に行く時は、駅前通りに出ないで、自転車も通れない細い路地をつたって駅のすぐ脇の階段に出ていました。近道だったんでしょう。路地の途中の、今は川村学園の大学がある場所に英語学校があって、子供の頃に習いに行ってました。路地の少し手前には旧華族の邸宅がありましたが、2年前に歩いた時は、どこだかもうわかりませんでした。
街の風景は年々変わりますが、道はあまり変わらないのが、記憶をたどるにはありがたいですね。
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_ タフちゃん ― 2014年05月15日 00:44
>モカさん
...........
川村学園(旧ロゴス英語学校)の周辺の駅に至る近道は、おっしゃる通り今でも同じように狭い路地ですね。
駅近くには古びた旅館やお稲荷さんがあって、私の好きな界隈です。
...........
_ モカ ― 2014年05月15日 18:43
...........
あとロゴス!名前をご存知でしたか。子供心にずいぶん校舎がボロいなと思ってました。官舎といいロゴスといい、当時で古いと感じたのだから、建物はいったいいつからあったんでしょうね。
あの路地にはお稲荷さんや旅館もあったんですね。なんだか絵になる一角ですよね。機会があったらまた通ってみたいです。
Moriyaさんの「目白の風景 今昔:目次」へのコメント
_ Moriya ― 2016年05月20日 19:42
68年から数年間を目白のロゴス英語学校で学び?ました。とても懐かしく拝見させてもらいました。すでに川村学園になったのも知っていましたが、行ってみて学校が無いのをまのあたりにすると実に寂しい物ですね。当時の仲間たちとの交流は有りませんが、校友会、音楽のLMC,喫茶室で語り合った友の事等、楽しい思い出が走馬灯のように思い起こしました。みんな元気なら良いですね。
_ タフちゃん ― 2016年05月21日 01:22
Moriyaさん、こんばんは。
ロゴス英語学校のあった周辺って、ちょっと奥まっていて昔の雰囲気が比較的残っているエリアのような気がします。駅からの細い路地を、お稲荷さんの脇を通りながら登っていくのが私の散歩コースの一つです。Moriyaさんは、そんな場所で学ばれていたんですね。
............
下落合に50年さんの「特徴のない風景だが(1)」へのコメント
_ 下落合に50年 ― 2013年09月18日 00:06
........
この道は、近衛町近くですね、
現在の写真のギタルラ社のバルコニー柵でわかりました。
実は下落合3~4丁目エリアの住人にとっては、目白駅に抜けるメイン通りで、朝の通勤通学時間には昔から かなり人通りがあるのです。
そして外国人の方が住んでいた振り分け式の、昭和40年代にはめずらしい欧米風のモダンなコンクリ住宅があったり、車庫にたくさんのクラシックカーのコレクションを所有の方がいらしたり(たまに車庫が開いていると凄かった!)、その昔チュニジア大使館があったり、もっと昔は、かの皇室ゆかりのバイニング夫人のお住まいだった豪邸(お庭にクジャクのいる、動物園にあるみたいな何mもの高さの巨大な金網の小屋があった!)があったり。
目立たない静かな裏道だけれども、ちょっと不思議な、ある意味とても目白らしい、道なのでした。
............
_ タフちゃん ― 2013年09月18日 22:38
>下落合に50年さん
50年もいらっしゃると、いろいろご覧になられたのでしょうね!
クラシックカーのコレクションとか、お庭のクジャクとか
一度見たら忘れられない光景ですね。私も、それを見たかったです!
素敵なお話をありがとうございました。
この道は、私にとっては特に印象に残らない道だったのですが、
これからは、近衛町を散策しこの道を通るたびに、
ある種の「懐かしさ」を感じながら眺める事ができそうです。
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