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共済の日光保養所へ貧乏旅行2016年07月16日

阿寒湖で見た雄阿寒岳と雌阿寒岳、その連想で、
日光中禅寺湖近くの男体山の写真を見つけました。
日光プリンスホテル前バス停
1978年のお正月の写真です。
これから東京へ戻るところ、日光駅までのバスを待っているのでしょう。

旅行の詳細も、このバス停の位置も定かでありません。
それで、いつものように、鍵となりそうな被写体を拡大してみました。
ここでは、「バス停の丸看板」と、その先の「案内標識」です。
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看板には「竜頭の滝 日光プリンスホテル前」とあります。
標識には「名勝 龍頭の瀧」とあります。

日光プリンスホテルは、かつて中禅寺湖畔の菖蒲が浜にあったホテルで、
1976年4月の開業---2008年11月の閉鎖、
だそうです(泊まったことがないのでよく知らなかった)。
78年のバス停看板で、「日光プリンスホテル前」の白文字が、
いかにも新しく書き加えられた文字のように見えるのは、
開業してまだ二年目のことだからなのでしょうね。

この施設名をヒントに、該当しそうなエリアを仮想ドライブしてみました。
そしたら簡単に見つかりました。
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彼方に男体山、道路左側にバス停があり、遠方に標識らしきものも写っています。
さらに進むと、次のように昔と瓜二つの標識です。
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さて、先ほどの現在のバス停の写真で、
左のほうに宿泊施設らしきものが写っています。
「あれ!?、これは78年に宿泊した建物に似てるぞ」
私の記憶では、この正月、義兄が予約した施設に泊まったのでした。
年末に姉から「保養所の予約が取れたので君たちも来ない?」と
お誘いがあって急遽いくことにしたのですね。
自分で企画した旅行でないのが記憶に薄い理由かも知れません。
それはともかく、その保養所の中庭で撮った写真が次です。
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この中庭、現在の様子は次のようになっています。紅葉の季節ですね。
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この二枚を見比べると、同じ場所・同じ建物であることがわかります。
でも、昔泊まったのは地方公務員向けの保養所です。
(調べると、地方職員共済組合栃木県支部日光保養所「幸の湖荘」でした)
私たちにふさわしいグレードの宿泊施設です。
華美なところは全くないでしょう?
そういえば、昔の中庭の写真の左下に写っている私の姪はまだ幼くて、
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夜中に和室に布団を敷いてみんなで川の字に寝たのですが、
(川では足りずダブル川の字と言うべきか)
その夜中に夜泣きして、隣の客室から文句を言う声が聞こえた記憶があります。
お互いに筒抜け、「幸の湖荘」ってそんな建物だったんです。

その質素な記憶に反するように、現在の建物の名称はこうなっていました。
『復興御宿 富双江葉大馬 奥日光 秘極の湯 興(ひごくのゆ かしら)』
すごい名称!!
このホテル?旅館?のHPはこんな風です。豪華!
先ほどの紅葉の中庭写真も、ホテルの施設紹介の1カットです。
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最初このHPを見た時は、中国の財閥にでも買い取られ、
贅を尽くした改装をしたのかと思いました。
実際はそうではなく、
民営化がブームの時代の2005年10月に閉館となった保養所を、
地元の「龍頭之茶屋」が買い取り「龍頭温泉館憩いの湯」として営業。
その後、次に譲り受けた日本の起業家が、
温泉旅館として2014年12月に開業したそうです。
漢字ばかりの仰々しい名前は、東日本大震災の復興支援の願いを込めて、
福島県浜通地区の「富岡町・双葉町・浪江町・楢葉町・大熊町・南相馬市」
から漢字を一文字ずつ引用したものであることも分かりました。

「幸の湖荘」は「奥日光 秘極の湯 興」となり、
「日光プリンスホテル」は閉鎖され、
そんな目で現在の中禅寺湖周辺の地図を眺めると、
「ホテル四季彩」とか「星野リゾート」とか、
新興勢力の名前がちらほらありますね。
天の邪鬼な私は、
昔の簡素な保養所の雰囲気が好きだったな、などと思ったりします。

さて、その時に何枚か撮った写真の中に、バルコニーからの景色がありました。
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左奥に中禅寺湖の湖面が輝いています。
その手前にプリンスホテルがあるはずですが、木立の陰になって見えません。
これらをまとめて空撮で確認してみると次のようになります。
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右下の幸の湖荘から、白矢印の方向に向かってカメラを構えたことになります。
そして、この空撮写真を見て、
写真左端に「中禅寺金谷ホテル」があることに気がつきました。
「こんなに近くだったのか、惜しかった!」
実は2003年にこのホテルに泊まっていたのです。
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この時は、まだ幸の湖荘もプリンスホテルも営業していたわけです。
ちょっと足を延ばして訪れるべきだった。
常に新体験が良いわけではなく、複数回訪れて感じることもあるから。
後悔先に立たず。

写真探求ついでに次の写真の撮影場所も調べてみました。
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何か不思議な雰囲気の場所です。
自然石の石積み擁壁と冬場の樹木の荒涼感が私好み。
擁壁の上の灯篭が妙な取り合わせです。
この場所は、灯篭=神社、の連想で探したら見つかりました。
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「日光二荒山神社中宮祠」へ至る進入路でした。

そしてもう一枚。
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写真左端に遊覧船が写っていますね。
この写真も勿論、中禅寺湖畔の景色ですが、
菖蒲が浜、ボートハウス、遊覧船乗り場などの何処なのかは分かりません。
いずれ現地に行って、山の形などを吟味して確定しようと思います。

日光には何回も行っています。
でも、日光と言っても、霧降高原・東照宮から華厳の滝に中禅寺湖、
さらに戦場ヶ原・光德牧場・湯ノ湖などの奥日光まで範囲が広いです。
今回取り上げた1978年お正月の写真の4年前にも、
バスを乗り継ぎ安宿に泊まる貧乏旅行をしたことを思い出します。
その時の写真もたくさんあって、およその場所だけしか分かりません。
一部だけ地図上に配置してみると、こんな風になります。
15日本ロマンチック街道日光周辺
戦場ヶ原の木道の景色を、昔の写真と対比させながら歩いたら、
何時間(或いは何日)かかるでしょうか?
ちなみに、戦場ヶ原の写真に写っている私は右手にカメラバックを持っています。
この中には、一眼レフのNikonF2と交換レンズが5本くらい入っていたはず。
その点だけは質素とは言えなかったかな。