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40年前の北町こども広場2016年12月15日

前回)からの続きです。

吉祥寺ムーバスのバス停名にもなっている「北町こども広場」、
ここは、私の住まいから至近距離にある遊び場でした。
そのため、ここで遊ぶ娘の写真を何枚か撮影していました。
1980年頃のことです。
その写真と現在の様子を比較しようと思います。

まず、その数年前の1975年の空撮を見てみると、
昭和の吉祥寺空撮
こども広場は国鉄アパートと共に造成中であることが分かります。
武蔵野市の中でも北に位置するこの周辺は低層の住宅街でした。
そこに中層の団地ができ、保育園やコミセンが整備され、
テニスコートや公園などの施設も充実していく時代だったわけです。
いわば、その地域の青年期でしょうか。

それから約40年経過した現在の「こども広場」の様子は次のようでした。
今の北町こども広場
これを昔の写真と比較してみましょう。
いくつかの変更点が見つかります。
まず、砂場前の動物(像とキリン)がいなくなりました。
昔の北町こども広場
それから、この写真にも写っていた砂場内のイルカが見当たりません。
イルカは、次のように、こどものお気に入りだったのですが。
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この1年後、自力で跨がれるようになってもお気に入りだったようです。
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この写真でイルカの後ろに真新しい国鉄アパートが写っていますね。
これは、そのまま残っていました。次の写真です。
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ずいぶん雰囲気が違うのは、広場の樹木が大きく成長したからですね。

この視点からずっと後ろに下がってみると、ブランコがあります。
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まさに「成長中」の子供がたくさん遊んでいます。
ほとんど水平になるくらいブランコを漕いでいますね。
次の写真は1979年のブランコ。
自分では漕げないから、母の膝で、
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あるいは父の膝に乗って揺れる感覚を楽しんでいたわけです。
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この写真でブランコの両側に、ベンチと水飲み場があるでしょう?
現在も、デザインは変わりましたが同じ位置に存在していました。
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成長する樹木と違って、コンクリート製の遊具は、
ほとんどそのままの姿で残っていました。
(最初の動物のように撤去されない限りは)
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そして、次の写真のコンクリート製の築山、
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この反対側(砂場側)は滑り台になっています。
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ここで、斜面の真ん中に、縦に長くクラックの補修跡が見えるでしょう?
この形、実は次の1979年の写真でも全く同じ形状でした。
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ということは滑り台が作られた直後こそクラックが生じたものの、
その後は三十数年間、クラック被害は拡大していないということですね。
素晴らしい!(妙なところで感心)

この滑り台をバックに撮影した記念写真がありました。
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写真のメモには「保育園のふみき」とありました。
同じ北町保育園に通っていた坊やの名前でしょう。
このふみきくんとパパ、
「北町こども広場」を今でも覚えているでしょうか?

ちなみに、ふみきの隣に写っている我が家の長女は、
公園のことも砂場のことも、そしてふみきのことも、
全く何も覚えていないと思いますよ。

続く