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金閣寺が色あせていた頃 ― 2018年01月13日
(前回)からの続きです。
この写真は今から45年前、1973年(昭和48年)4月に、
私が初めて金閣寺を見たときの写真です。
かなり地味目に写っていますね。
私の記憶の中でも、くすんだ建物のイメージしか残っていません。
こけら葺きの屋根も傷んでいるし、
実際、壁の金箔も相当程度劣化した状況だったはずです。
次の写真は一階部分から鏡湖池を眺めたところです。
私が初めて金閣寺を見たときの写真です。
かなり地味目に写っていますね。
私の記憶の中でも、くすんだ建物のイメージしか残っていません。
こけら葺きの屋根も傷んでいるし、
実際、壁の金箔も相当程度劣化した状況だったはずです。
次の写真は一階部分から鏡湖池を眺めたところです。
この寝殿造りの初層部分は、元々金箔が貼られていないのですが、
むしろ全層がこんな渋い造りだったような気さえします。
それに対して、今年2018年の元旦に見た金閣はこうでした。
むしろ全層がこんな渋い造りだったような気さえします。
それに対して、今年2018年の元旦に見た金閣はこうでした。
太陽の高度が低い季節のためか、どこから見ても眩しくて、
反射光を避けるアングルを探すのに苦労したくらいです。
二層と三層の壁と軒裏を覆い尽くした金箔も見事なものでした。
反射光を避けるアングルを探すのに苦労したくらいです。
二層と三層の壁と軒裏を覆い尽くした金箔も見事なものでした。
「金箔を貼り替えて見違えるようになった」、
と話題になったのは、つい数年前だったかな?
と思わせるような見事さです。
もっとも、私の好みとしては、
派手な外観よりも、ちょっと渋めの、少し傷んだ外観の方がしっくりきます。
それでこそ「日本の歴史を感じさせる」建物でしょう?
この間、金閣寺を訪れたことは他にもありましたが、
私の記憶にあるのは、やはり地味なイメージの建物です。
「数年前の金箔貼り替え」がいつのことだったか気になったので、
後日、金閣寺修復の履歴を学習してみました。すると、
・1950年(昭和25年) 放火により焼失
・1955年(昭和30年) 再建
・1987年(昭和62年) 金箔貼り替え
とのことでした。
私が最初に見た1973年は、再建から18年後で既に金箔は劣化し始めていました。
ところが、今年の元旦は、金箔貼り替えから31年も経っているのに、見事な金箔。
ちょっと不思議ですね。
この違いの理由は、実は、金箔の厚みを5倍にしたから、だそうです。
それで、下地の漆が、劣化原因となる紫外線から守られているのです。
それにしても「数年前だったかな?」と感じていた貼り替え年度は、
と話題になったのは、つい数年前だったかな?
と思わせるような見事さです。
もっとも、私の好みとしては、
派手な外観よりも、ちょっと渋めの、少し傷んだ外観の方がしっくりきます。
それでこそ「日本の歴史を感じさせる」建物でしょう?
この間、金閣寺を訪れたことは他にもありましたが、
私の記憶にあるのは、やはり地味なイメージの建物です。
「数年前の金箔貼り替え」がいつのことだったか気になったので、
後日、金閣寺修復の履歴を学習してみました。すると、
・1950年(昭和25年) 放火により焼失
・1955年(昭和30年) 再建
・1987年(昭和62年) 金箔貼り替え
とのことでした。
私が最初に見た1973年は、再建から18年後で既に金箔は劣化し始めていました。
ところが、今年の元旦は、金箔貼り替えから31年も経っているのに、見事な金箔。
ちょっと不思議ですね。
この違いの理由は、実は、金箔の厚みを5倍にしたから、だそうです。
それで、下地の漆が、劣化原因となる紫外線から守られているのです。
それにしても「数年前だったかな?」と感じていた貼り替え年度は、
実は31年も前の1987年だったんですね。
ここで私の記憶がこんがらがってきました。
「あれ?そういえば、貼り替えた1987年の前後に来たことがあったな」
この頃、名古屋に住んでいた私は、
友人たちと京都一泊の観光ドライブ旅行をしたのでした。
「きっと貼り替え直前の無残な姿を見たんだろうな」と思い、
その確認のために、当時のアルバムと手帳とを調べてみました。
すると、何と、貼り替え直後の1988年に訪れたことになっています。
1988年の5月に、金閣寺・寂光院・三千院、の3寺を訪れているのです。
ただし、アルバムに金閣寺の写真は一枚もなく、
ここで私の記憶がこんがらがってきました。
「あれ?そういえば、貼り替えた1987年の前後に来たことがあったな」
この頃、名古屋に住んでいた私は、
友人たちと京都一泊の観光ドライブ旅行をしたのでした。
「きっと貼り替え直前の無残な姿を見たんだろうな」と思い、
その確認のために、当時のアルバムと手帳とを調べてみました。
すると、何と、貼り替え直後の1988年に訪れたことになっています。
1988年の5月に、金閣寺・寂光院・三千院、の3寺を訪れているのです。
ただし、アルバムに金閣寺の写真は一枚もなく、
寂光院の茶室「孤雲」の写真があるだけです。
この写真からも分かるように、この日は雨が降っていました。
その天気から考察した結果、私は次のように自分を納得させました。
「きっと雨でかすんだ金閣は、金箔貼り替え直後にもかかわらず、
くすんだ姿に見えたに違いない」
そうでなければ、私の記憶の中のイメージと辻褄が合いません。
ところが!、手帳に残っている私自身のメモにびっくり。
金閣を眺めた感想を次のように記していたのでした。
その天気から考察した結果、私は次のように自分を納得させました。
「きっと雨でかすんだ金閣は、金箔貼り替え直後にもかかわらず、
くすんだ姿に見えたに違いない」
そうでなければ、私の記憶の中のイメージと辻褄が合いません。
ところが!、手帳に残っている私自身のメモにびっくり。
金閣を眺めた感想を次のように記していたのでした。
「輝きに一瞬雨が上がったのかと」ですって!
人間の記憶って、かなりいい加減なものなのですね。
さて、今回の京都旅行の後、昔のガイドブックを取り出してみました。
人間の記憶って、かなりいい加減なものなのですね。
さて、今回の京都旅行の後、昔のガイドブックを取り出してみました。
「実業之日本社」から出版された「ブルーガイドブックス」です。
最近のミーハーガイドと違って、中身の濃い良書ですよ。
中をみると「金閣寺」のページに何やらマーキングがしてありました。
観光前の事前学習の痕跡のようです。
念のため、出版年を確認したら「1992年発行」でした。
ここでまた、私の記憶がこんがらがってきました。
普通、ガイドブックって旅行直前に買いますよね。
ということは、この頃にもう一度金閣寺を訪れているのかも?
そして、再度アルバムと手帳を調べると、ありました。
1993年2月11日の建国記念の日に、日帰りの京都観光をしていたのでした。
最近のミーハーガイドと違って、中身の濃い良書ですよ。
中をみると「金閣寺」のページに何やらマーキングがしてありました。
観光前の事前学習の痕跡のようです。
念のため、出版年を確認したら「1992年発行」でした。
ここでまた、私の記憶がこんがらがってきました。
普通、ガイドブックって旅行直前に買いますよね。
ということは、この頃にもう一度金閣寺を訪れているのかも?
そして、再度アルバムと手帳を調べると、ありました。
1993年2月11日の建国記念の日に、日帰りの京都観光をしていたのでした。
時期的に、東京住まいに戻る直前です。
「東京に戻ると、京都は遠くなるから、今のうちに」
と思ったんでしょうね、多分。
そして、アルバムを見て、もっとびっくり。
そこには、経年変化で写真は少し退色しているものの、
それにもかかわらず、まばゆいばかりに輝く金閣寺の姿が残っていたのでした。
「東京に戻ると、京都は遠くなるから、今のうちに」
と思ったんでしょうね、多分。
そして、アルバムを見て、もっとびっくり。
そこには、経年変化で写真は少し退色しているものの、
それにもかかわらず、まばゆいばかりに輝く金閣寺の姿が残っていたのでした。
自分がこの写真を撮ったことを忘れてしまうなんて、あり得ます?
私の「記憶」からは、この見事な「金色の輝き」も失われていた事になります。
となれば、私の「財布」に「金」が留まらないのも当然ですね。
納得。
私の「記憶」からは、この見事な「金色の輝き」も失われていた事になります。
となれば、私の「財布」に「金」が留まらないのも当然ですね。
納得。
そして、10年後に私の記憶に残っている金閣寺は、
やはりモノクロームのくすんだ金閣寺のような気がします。
(続く)









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