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京都でiPhone投稿、ミニジオラマ2018年01月03日

いずこにも稀有な才能を持ち、かつ御茶目な方がいるもので、
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本日、京都駅の名店街「みやこみち」を歩いていたら、
ある御土産屋さんのウィンドウに、次のようなミニジオラマを見つけました。
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お店の関係者の誰かが好きで作ったか入手したものでしょうが、
他の商品と全然関係ない所が可笑しかったですね。

鬼子母神へ初詣2018年01月07日

正月三が日は東京を離れていたので、
少し遅れて、本日、鬼子母神へ初詣に行ってきました。
正月の鬼子母神境内
屋台なども出て賑やかな感じです。
例年は元旦にお参りすることが多く、
既に何時間待ち?の行列ができてしまって、
横拝み(我が家の造語、正しい日本語ではありません)して
退散することが普通でした。
今日は、それほどの行列ではなかったので、
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普通に並んでお参りしましたよ。
それでも帰る時には行列が伸びていました。
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「七日でこの行列かよ〜」とぼやいている人もいました。
まあ、今年初の日曜でもありますからね。

そういえば、今年の元旦は京都にいた私たち、
下鴨神社
下鴨神社で初詣
から上賀茂神社
上賀茂神社で初詣
と神社のはしごをして、
家内安全などを祈願してきたのですが、
下鴨神社の参拝のさせ方に感心しました。
干支で分散お参り
この写真です。
何と参拝者を干支で六つのグループに分け、
かつ、それぞれを三列に並ばせるのですね。
参拝客の多さの割には、短時間でお参りできてしまいます。
感心。
今回宿泊した旅館の仲居さんも、
「私たち(京都人)は初詣で行列することはありません」
と言っていましたね。

お話戻って、鬼子母神の境内は、
おみくじを持って飛び跳ねている子がいたりして、
いつもながら良い雰囲気でした。
御神籤を持って飛び跳ねる子
帰りに参道を歩いていると、
来る時にも見かけた獅子舞の一団(獅子・大黒・ひょっとこ・太鼓)が、
「今日はこれでおしまいです」と言って、
角の民家(文化講座などをやっている家)へ引き上げるところでした。
獅子舞のおうち
それを近くでたまたま見ていた子供が、
「ここが(獅子の)おうちなんだね〜」と納得したような発言をして、
周囲の人々の笑いを誘っていました。

京都旅行(続く

日航アリビラに遊んだ日2018年01月09日

昨年の大晦日は京都にいました。
その7年前の大晦日は沖縄にいました。
読谷村の「ホテル日航アリビラ」でティータイムを過ごしていました。








この日はとても風の強い日でした。
だから、アリビラ近くの残波岬の光景は次のようでしたよ。

ビデオカメラが波のしぶきに濡れて、しょっぱくなりました。
旅行直前に買ったばかりのビデオカメラなのに。
このビデオカメラ、翌年生まれる予定の初孫を撮るために買ったのですね。
その操作に習熟しておこうと持参したのです。

また、この沖縄旅行の大きな目的の一つは、
名護市のホテル「ブセナテラス」で夕陽を眺めることでした。

那覇からレンタカーの ” 日産CUBE ” を走らせて、
ギリギリこの夕陽に間に合ったことを思い出します。
階下のプールサイドから聞こえるJAZZの生演奏が、
リゾートの夕暮れに良い雰囲気でした。
沖縄はいいな〜。
早く安全な島になってくれないかな。
日航アリビラにヘリ

金閣寺が色あせていた頃2018年01月13日

前回)からの続きです。

45年前の金閣寺
この写真は今から45年前、1973年(昭和48年)4月に、
私が初めて金閣寺を見たときの写真です。
かなり地味目に写っていますね。
私の記憶の中でも、くすんだ建物のイメージしか残っていません。
こけら葺きの屋根も傷んでいるし、
実際、壁の金箔も相当程度劣化した状況だったはずです。
次の写真は一階部分から鏡湖池を眺めたところです。
45年前の金閣寺の鏡湖池
この寝殿造りの初層部分は、元々金箔が貼られていないのですが、
むしろ全層がこんな渋い造りだったような気さえします。

それに対して、今年2018年の元旦に見た金閣はこうでした。
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太陽の高度が低い季節のためか、どこから見ても眩しくて、
反射光を避けるアングルを探すのに苦労したくらいです。
二層と三層の壁と軒裏を覆い尽くした金箔も見事なものでした。
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「金箔を貼り替えて見違えるようになった」、
と話題になったのは、つい数年前だったかな?
と思わせるような見事さです。

もっとも、私の好みとしては、
派手な外観よりも、ちょっと渋めの、少し傷んだ外観の方がしっくりきます。
それでこそ「日本の歴史を感じさせる」建物でしょう?
この間、金閣寺を訪れたことは他にもありましたが、
私の記憶にあるのは、やはり地味なイメージの建物です。

「数年前の金箔貼り替え」がいつのことだったか気になったので、
後日、金閣寺修復の履歴を学習してみました。すると、
・1950年(昭和25年) 放火により焼失
・1955年(昭和30年) 再建
・1987年(昭和62年) 金箔貼り替え
とのことでした。
私が最初に見た1973年は、再建から18年後で既に金箔は劣化し始めていました。
ところが、今年の元旦は、金箔貼り替えから31年も経っているのに、見事な金箔。
ちょっと不思議ですね。
この違いの理由は、実は、金箔の厚みを5倍にしたから、だそうです。
それで、下地の漆が、劣化原因となる紫外線から守られているのです。
それにしても「数年前だったかな?」と感じていた貼り替え年度は、
実は31年も前の1987年だったんですね。

ここで私の記憶がこんがらがってきました。
「あれ?そういえば、貼り替えた1987年の前後に来たことがあったな」
この頃、名古屋に住んでいた私は、
友人たちと京都一泊の観光ドライブ旅行をしたのでした。
「きっと貼り替え直前の無残な姿を見たんだろうな」と思い、
その確認のために、当時のアルバムと手帳とを調べてみました。
すると、何と、貼り替え直後の1988年に訪れたことになっています。
1988年の5月に、金閣寺・寂光院・三千院、の3寺を訪れているのです。
ただし、アルバムに金閣寺の写真は一枚もなく、
寂光院の茶室「孤雲」の写真があるだけです。
30年前の寂光院の孤雲
この写真からも分かるように、この日は雨が降っていました。
その天気から考察した結果、私は次のように自分を納得させました。
「きっと雨でかすんだ金閣は、金箔貼り替え直後にもかかわらず、
 くすんだ姿に見えたに違いない」
そうでなければ、私の記憶の中のイメージと辻褄が合いません。
ところが!、手帳に残っている私自身のメモにびっくり。
金閣を眺めた感想を次のように記していたのでした。
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「輝きに一瞬雨が上がったのかと」ですって!
人間の記憶って、かなりいい加減なものなのですね。

さて、今回の京都旅行の後、昔のガイドブックを取り出してみました。
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「実業之日本社」から出版された「ブルーガイドブックス」です。
最近のミーハーガイドと違って、中身の濃い良書ですよ。
中をみると「金閣寺」のページに何やらマーキングがしてありました。
観光前の事前学習の痕跡のようです。
念のため、出版年を確認したら「1992年発行」でした。

ここでまた、私の記憶がこんがらがってきました。
普通、ガイドブックって旅行直前に買いますよね。
ということは、この頃にもう一度金閣寺を訪れているのかも?
そして、再度アルバムと手帳を調べると、ありました。
1993年2月11日の建国記念の日に、日帰りの京都観光をしていたのでした。
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時期的に、東京住まいに戻る直前です。
「東京に戻ると、京都は遠くなるから、今のうちに」
と思ったんでしょうね、多分。
そして、アルバムを見て、もっとびっくり。
そこには、経年変化で写真は少し退色しているものの、
それにもかかわらず、まばゆいばかりに輝く金閣寺の姿が残っていたのでした。
25年前の金閣寺
自分がこの写真を撮ったことを忘れてしまうなんて、あり得ます?

私の「記憶」からは、この見事な「金色の輝き」も失われていた事になります。
となれば、私の「財布」に「金」が留まらないのも当然ですね。
納得。
そして、10年後に私の記憶に残っている金閣寺は、
やはりモノクロームのくすんだ金閣寺のような気がします。

続く

石畳の美しい大徳寺2018年01月20日

前回)からの続きです。

今年正月に京都観光をしました。
その復習をし、ブログにまとめたりする過程で、
1993年にも日帰りで京都旅行をした事を思い出しました。
すっかり忘れていたのです。
また、その時の写真も発見する事ができて、
何か二回ぶんの旅行をしたような得した気分になりました。

さて、今年の元旦に、
下鴨・上賀茂神社にお参りした後に訪れたのは大徳寺ですが、
1993年にも、この大徳寺を訪れて写真を撮っていました。
昔の大徳寺の築地塀と松

昔の大徳寺の石畳
この雰囲気ですよね。
塔頭を結ぶ石畳の敷石と砂利敷き、その両側の松と築地塀、
これらの醸し出す雰囲気が心地良いです。

この雰囲気は、今年も同じでしたよ。
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場所によって敷石のパターンが異なっているのも良いです。

総門から中に入った時に、最初に目にするのが朱塗りの山門。
93年の写真と今年の写真を次に載せました。
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93年の写真に「金毛閣」との文字が読み取れますが、
これは上層部分の名称です。
ここに利休の木像が設置され、
その尊大さに立腹した秀吉が利休に切腹を命じたそうです。
そんな風に、歴史上の人物や出来事と、
目の前にある建物が関連づけられると更に興味が深まります。

さて、大徳寺の石畳の中でも、特に美しいのが高桐院の参道です。
特にカエデの季節が素晴らしいそうです。
(残念ながら、私自身は紅葉の時期に訪れた事はありません)

ところで、93年に高桐院を訪れた事は忘れていましたが、
先日発見したその時の写真によれば、
私はちょっと珍しい状況に遭遇していたようです。
偶然、参道が改修中だった時なのです。
06高桐院の参道工事中
でも、「工事中で残念!」と思うよりは、
きっと、珍しいものを見て、喜んでいたと思います。
というのは、なかなか良い雰囲気の写真だからです。
敷石と竹手摺、松と築地塀、これらの改修作業を、
職人さんが手作業でやってる感じが伝わってきませんか?
仕上がりが待ち遠しくなるような風景ですよね。
ちなみに、この高桐院、今回は屋根の修復工事のため拝観休止中でした。
そんな巡り合わせなのですが、拝観が再開されたら再訪したいですね。
そして美しい参道はもちろん、
次の写真の茶室「松向軒」の現在の様子も比較したりして、楽しみたいものです。
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大徳寺の写真では、1993年よりも更に遡った1973年のものもあります。
昔の真珠庵の山門
立柱に刻まれた文字から分かる通り、これは真珠庵の山門ですね。
そして山門の奥に、小さな門が僅かに見えていますが、
その小さな門を近づいて写した写真が次です。
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この門の奥に有名な庭園や茶室があり、それも見学したはずですが、
いずれも撮影禁止だったのでしょう、写真は残っていません。
また、この真珠庵は一般公開はしていないそうです。
この時は特別な見学の許可をいただいていたのですね。

拝観予約もせず、行き当たりばったりの観光旅行をしていた今年は、
真珠庵の隣の大仙院に伺いました。
こちらは通常公開です。
次の写真で左が大仙院、右手に見えているのが真珠庵の山門。
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45年前とほとんど同じ風景ですが、
ちょっと雰囲気が違うのは、
昔は春の光、今年は冬の光で撮っているからでしょうか。

ちなみに45年前のカメラは一眼レフのミノルタSR-7、
25年前のカメラはフジトラベルミニ。
トラベルミニ
このミニは安い大衆向けカメラながら、これで撮った写真も、
この大徳寺の写真のように退色して雰囲気が古めかしくなると、
何かビンテージ感が出てきますね。

続く