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46年前の石川橋と成巽閣 ― 2020年12月02日
(前回)からの続きです。
1974年に能登を周遊したのは3/21〜22日でした。
その前後の3/20と22日の午後には、
金沢で途中下車して市内観光をしていました。
次の一連の写真の1から3枚目は、3/20の市内観光の時の写真です。
(後半の5枚は能登金剛の写真ですね)
この写真の撮影場所を特定し、現在と比較したいと思います。
3枚目は簡単。
兼六園と金沢城公園を結ぶ「石川橋」ですね。
手摺の支柱に名前が刻まれているから、分かって当然です。
現在の姿は次、昔は欠損していたランプが立っています。
分からなかったのが写真2枚目の、次の立派な門でした。
両側の塀のなまこ壁から、これは金沢城公園のどこかと思い探してみましたが、
時間的な制約もあり発見できず、諦めました。
東京へ戻ってから、ネットで画像検索などをかけてみて、見つけました。
(出典:金沢旅物語)
兼六園に隣接する「成巽閣」の百万石通り側の出入り口ですね。
(ここは加賀藩13代藩主前田斉泰の母の隠居所で、
「巽御殿」と呼ばれていたそうです)
とすれば次の1枚目の写真は、
この成巽閣の庭園をバックにしたポートレートのはず。
時間的に、そんなにあちこち動き回ったはずはありませんから。
これについては、なかなか該当しそうな庭園風景が見つからなかったのですが、
思わぬところで見つけました。
成巽閣庭園についての毎日新聞の地方版の記事
左下にさきほどの門が写っています。
そして、この写真の中央に円形の植え込みがありますが、
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