▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

46年前の石川橋と成巽閣2020年12月02日

前回)からの続きです。

1974年に能登を周遊したのは3/21〜22日でした。
その前後の3/20と22日の午後には、
金沢で途中下車して市内観光をしていました。
次の一連の写真の1から3枚目は、3/20の市内観光の時の写真です。
(後半の5枚は能登金剛の写真ですね)
金沢&能登周遊
この写真の撮影場所を特定し、現在と比較したいと思います。

3枚目は簡単。
46年前の金沢城公園の石川橋
兼六園と金沢城公園を結ぶ「石川橋」ですね。
手摺の支柱に名前が刻まれているから、分かって当然です。
現在の姿は次、昔は欠損していたランプが立っています。
03

分からなかったのが写真2枚目の、次の立派な門でした。
46年前の成巽閣の門
両側の塀のなまこ壁から、これは金沢城公園のどこかと思い探してみましたが、
時間的な制約もあり発見できず、諦めました。
東京へ戻ってから、ネットで画像検索などをかけてみて、見つけました。
05
(出典:金沢旅物語
兼六園に隣接する「成巽閣」の百万石通り側の出入り口ですね。
(ここは加賀藩13代藩主前田斉泰の母の隠居所で、
「巽御殿」と呼ばれていたそうです)

とすれば次の1枚目の写真は、
この成巽閣の庭園をバックにしたポートレートのはず。
時間的に、そんなにあちこち動き回ったはずはありませんから。
成巽閣の玄関前ロータリー
これについては、なかなか該当しそうな庭園風景が見つからなかったのですが、
思わぬところで見つけました。
成巽閣庭園についての毎日新聞の地方版の記事
成巽閣のロータリー
左下にさきほどの門が写っています。
そして、この写真の中央に円形の植え込みがありますが、
そこの灯篭と、その右側の傾いた松に昔の面影が残っているでしょう?

続く

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパム対策の質問をやむを得ず設定しました。お手数ですが当ブログタイトル「○○の風景」の○○を漢字で。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mejiro.asablo.jp/blog/2020/12/02/9322543/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。