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44年前の吉祥寺橋で自転車の令嬢2021年09月20日

随分昔に吉祥寺の自宅周辺で撮った写真のうち、
撮影場所が特定できない写真がありました。
昭和の自転車の令嬢
写っているのは自転車練習中の女房です。
特に場所を推定する手がかりも無く、
に掲載したものの、撮影場所を特定するのは半ば諦めていました。
ところが3ヶ月ほど前、
拙ブログに御訪問くださったASさんがヒントをくださいました。
「吉祥寺北町三丁目の吉祥寺橋付近で撮られたものではないでしょうか」
とのことでした。
そして、秋晴れの休日、行ってみました。
ズバリでしたね!
次の写真のように昔と同じ方向、同じ画角で撮ってみました。
現在の風景

02a

事前に次の写真のストリートビューを見ていましたから、
間違いないとは思っていましたが、
改めて現地に立つと「遂に戻って来たな」という充実感があります。
03

この吉祥寺橋は、成蹊大学の北、吉祥寺北町と練馬区関町の境目にあります。
04吉祥寺橋
この吉祥寺橋から、昔のカメラ位置を逆に眺めてみると、
05生産緑地

05a
生産緑地と新興住宅が混在する風景。
いかにも吉祥寺と練馬区の境界っぽいですね(と知ったかぶり)。
吉祥寺橋は、この写真の道路沿いを流れている千川上水にかかる橋の一つでした。
06千川上水
ASさんのおっしゃる通り「気持ちが落ち着く、良い場所です」ね。


露出計が治ったMinolta_CLE2019年10月21日

前回)からの続きです。

カメラファンの間で、
「復刻してほしいカメラ」の一番手にあげられるのは、
ミノルタCLEだと言われています。
ミノルタMinolta_CLE
だから、中古市場でも人気があります。
そんなCLEにも弱点があり、それは露出計まわりの脆弱性。
中古品では、露出計が不調な個体が多いようですし、
実は発売当初から脆弱だったようです。
私が30年来使用しているCLEも、
当初から、ごく稀にAEが誤作動することがありました。
原因等については明確には分かりませんが、
輝度比の高い風景を撮影すると、極端に露光不足になることがありました。
例えば、1986年の「井の頭動物園」で撮影した写真。
この日は「象のはな子」と「どんぐり拾い」が目的でした。
井の頭公園の像のはな子

井の頭公園でドングリ拾い

露光不足
概ね適正露出で撮れている中、最後の一枚が示すのは、
どんぐりの森の「木漏れ日」に戸惑ったCLEでした。

まあ、稀にそういうこともあるさ、と鷹揚に構えていた私も、
昨年暮れのスナップの撮影結果には、若干不安を覚えました。
露光不足数枚
4〜5枚続けて露光不足になっていたのです。
「これは、遂にこわれる予兆かな?」
果たして、数ヶ月後にも持ち出す機会があり、
撮影前チェックをしてみたら、明らかにおかしい。
ファインダーを覗いてみると、
撮影時のシャッタースピード予測値を示す赤のLEDが、
ミノルタCLEファインダー
普段はこのように、そこそこ常識的な値を示すのに、
その時は、暗めの被写体でも、
常に1/1,000より上に飛んでしまっていました。
そのまま撮れば、明らかに露光不足になります。
「ああ!、やっぱり、完全に壊れたちゃったんだ」
と、残念に思いつつ、
「でも、マニュアル露出で撮る分には大丈夫そうだから、
 露光計の付いていないカメラと思えばいいや」
と心慰めたのです。

そして先日、単にCLEの手触りを懐かしむ?かのように、
意味もなく、AEモードで、1/1,000のシャッターを切り続けてみたんです。
そうしたら、何と、不思議なことに、数十回切った後でしょうか、
なにやらLEDが正常範囲に戻る気配が.....

それはまるで、無意味ながらシャッターを切り続けたおかげで、
詰まり気味だった電気の流れ道が、正常に開通したかのような状況でした。
狐につままれたような気持ちで、その後もチェックして見たところ、
LEDは、やっぱり正しそうな値を示すようになっていました。
「本当に正常に戻ったの?」
そして、それを確認するために、
前回、戸山公園のハイコントラストな風景を撮影してみたのでした。

この「ミノルタ Minolta CLE」用の電子基板は、交換用の部品はないそうです。
ということは、AE等の露光計まわりは、壊れたらおしまい。
何とか生きている今のうちに、せいぜい活用するようにしたいです。

(終り)

一円のレンズで30年前の吉祥寺「中道通り」2018年11月30日

30年ほど前の私の吉祥寺時代、いつも通っていた「中道通り」、
その道を歩く娘達の後ろ姿を撮った写真がありました。
30年前の吉祥寺「中道通り」
1989年11月25日の日付があります。
長女、その前に次女、さらにその前には、
よく見ると、息子の手を引く女房が写っているようです。
私の記憶から消えつつある街の風景ですが、
この写真の右上に「中道通り」の標識が出ているので、
通りの名前を間違うことはありません。

久しぶりにこの写真を見て、「何かの帰りかな?」と思いました。
でも、通りの奥の方が賑やかな雰囲気なので、
彼女達は自宅に向かってではなく、
駅の方に向かって歩いていることが分かりますね。
では、駅に行き、そこからどこに行ったのか、
それはこの日付の最後の写真が、次の夜景であることから明瞭でした。
エレクトリカルパレード
これは、ディズニーランドの「エレクトリカルパレード」ですね。
家族全員で行くのは初めてだったと思います。
そして今では娘達の娘が、ディズニーランドを楽しむ年頃になりました。

先日、同じ場所に行って、同じ角度から撮影してみました。
現在の吉祥寺「中道通り」
コンビニの「サンクス(SUNKUS)」が消え、道路がタイル舗装になり、
中道通りは、少し小綺麗な雰囲気に変貌していました。
でも、道路右側のレストランは、昔のまま残っていました。
ドス・ガトス
スペイン料理の「ドス・ガトス(Dos-Gatos)」。
このお店は、三十年近く続いているんですね。
その向かい側のお店はというと、
シャッターが閉まっていて、何か不明。
吉祥寺の平井ビル
少なくともコンビニでないことは確かそうです。

手元に、最初の写真の一年前、1988年版の住宅地図があったので、
該当部分を拡大して、昔の店舗名などをチェックしてみました。
赤丸が撮影地点、赤矢印が撮影方向です。
30年前の中道通りの住宅地図
ここには、サンクスもドスガトスも載っていません。
ということは、この両者は1988年から89年頃に新装開店したのでしょうね。
その他、地図上で色付けした店舗など、その名前に記憶ありです。
「そば増田屋」「中山輪業社」「小林靴店」......

特に急ぎの用事もないので、
小一時間ほど辺りを散策して、また同じ場所に戻ってみました。
すると、元サンクスだったお店のシャッターは開けられ、ここが
「グランマ・ママ・ドーター(GRANDMA MAMA DAUGHTER)」
というブランドのファッション店であることが分かりました。
グランマ・ママ・ドーター

追加
私の知らないブランドですが、その筋では有名なのかな。
HPによれば店のコンセプトは、
「祖母から母へ、そして娘へ、
と受け継がれていくような洋服が作りたい。」
ということだそうです。
ディズニーの世界が受け継がれるのと同じでしょうか。

そろそろ「中道通り」もお昼時になっていて、
ドスガトスの前にも、ご婦人の二人連れが写っていますね。
こんな時、昔の私なら「増田屋」さんに行き、
天ぷらうどんかカツ丼を頼むところなのですが、
お店のあった場所に増田屋さんは無く、次のようになっていました。
増田屋跡地

また、1989年の写真の中央部を良く見ると、
「BRIDGESTONE」と書かれた赤っぽい袖看板が小さく写っているでしょう?
「中山輪業社」ですね。
このお店は、今は奥まったところに引っ込んで、まだ営業しているようです。
次の写真右手に小さく「中山自転車店」と看板があります。
中山自転車店
まだ、パンクの修理とかもしてくれると思いますよ。

それから、「小林靴店」はギャラリーに変貌していました。
小林靴店の今
でも、この場所、この空気にかすかな記憶ありです。
職人的だけれども優しい風貌のおじいさんがいて、
私が、ソールの傷んだマレリーの靴(当時の私には貴重品だった)
を持ち込んだ時には、
「良い靴というのは、どういう風にでも修理できて、一生履けるんだよ」
と靴の哲学を語ってくれたんです。

こんな風に比較してみた昔と今の「中道通り」
その撮影に使用したカメラとレンズを並べてみました。
α7700iとα7II
昔の写真は左の、
・MINOLTA α7700i + ミノルタAFズーム35-105mm
現在の写真は右の、
・SONY α7II + LA-EA4 + ミノルタAFズーム35-105mm
で撮りました。
カメラ本体は、フィルムからデジタルに変わりましたが、
レンズは全く同じ「一円のレンズ」。
市場価格は一円になっても「良いレンズは、一生使える」はずです。

ちなみに35-105mmの同じレンズがなぜ二本あるのかというと、
ミノルタAFズーム100-300mm」を百円で買った時、
この35-105mmがおまけで付いてきたからです。
既に所有しているレンズだから別に要らなかったのですが、
古いカメラやレンズに手を出していると、得てしてこうなりがちです。
誰かに一円で譲ることにしましょう。

蛇足ながら、最初の写真を撮った時って、
1989年11月9日に、あの「ベルリンの壁が崩壊」した直後なんですね。
大きな出来事も小さな出来事も、等しく昔のことになりました。

吉祥寺の弁天湯2017年01月08日

前回)からの続きです。

今から28年前の3月に、
青山「こどもの城」と吉祥寺パルコ前で友人達との写真を撮った長女が、
その日の最後に撮影したものは、次の二枚の風景でした。
吉祥寺の自宅マンションと桜

吉祥寺の弁天湯の昔の姿
家の近くの五分咲きの桜と、吉祥寺「弁天湯」の煙突です。
何を考えてこんなものを撮ったのかは分かりません。
敢えて言えば、
自分専用のカメラを買ってもらったばかりの小学生にとっては、
カメラで写真を撮る行為自体が楽しいのであって、
その結果として写るものは何でも良かったのではないでしょうか?
必然的に、自分の周囲の風景や人物を撮ることになりますね。
そんな素人カメラマンの気分については、
映画『横道世之介』、フィルム好きは必見!
でも触れたことがあります。

それはともかく、私はこの「弁天湯」に興味を持ちました。
この古びた煙突の時代から更に約30年が経過して、
現在どんな風に変貌しているのか、確かめてみたくなったのです。
まず思いつくのは、目白の多くの銭湯がそうであったように、
1階にコインランドリーを併設したマンションでしょうか。

そして先日、この場所に行って同じ角度から写真を撮りました。
現在の弁天湯
な、何と!
煙突はそっくりそのまま残っていました。
そして、昔の写真で煙突の右に写っていた藤村水泳教室も残っていました。
(昔の写真を次のように補正すると良く分かる斜め壁の建物です)
露出補正
手前に次の写真の新しい校舎が建ったので隠れていますが、
藤村女子
後ろへまわると、こんな風に健在です。
藤村水泳教室
そして、この水泳教室の建物と向かい合うように、
弁天湯の「覗き防止の波板」も、次のように健在でした。
弁天湯の覗き防止
昔の写真にも、これと同じ姿の波板が写っているでしょう。

「これって、何も変わり無いっていう事?」
古い銭湯はマンション化する、という固定観念に取り憑かれた私には
この事態は理解不能でした。
「閉鎖したまま取り壊しの時期を待っているだけでは?」と、
しつこく疑ってみましたが、
入口はシャッターが閉まっているものの、その横には、
正月休み明けの営業案内のお知らせも貼られていました。
弁天湯の入口
これでは、弁天湯がめでたく健在であることを認めざるをえません。
安易にマンションなどに建て替えずに、
風呂屋の営業を継続している弁天湯さんを、
褒め称えなければいけませんね。
そして、こんな点にも着目させられました。
入口から右側に視線を移して撮った次の写真で、
壁の右下に「山本太郎となかまたち」のポスターが貼ってあるでしょう?
政治家ポスター
「へえ〜、この風呂屋って市民派なんだ」と思い、
それ以外のポスターも確認しました。
そしたら、自民党・民進党・共産党もありましたよ。
思想信条に関わりなく、裸の人は誰でも迎えてくれる銭湯なんですね。

更に視線を右に移すと、コインランドリー「べんてん」です。
コインランドリーべんてん
「ああ、やっぱり時代に合わせてコインランドリーは併設したんだな」と合点。
ところが、ランドリーのガラス扉の中を覗き込んだ私に、
突然、約40年前の記憶がよみがえって来ました。
「このコインランドリーは、私が何度も通った場所だ!」
ここから約400mほど北上した五日市街道沿いに、
私の暮らしていたアパート「富士ハイム」がありました。
その住まいから、この「べんてん」まで、
子供関係の洗濯物を乾燥させるために通っていた事を、
急に思い出しました。
毎週末の洗濯日に、そして梅雨時などは夜中にも、
大きなビニール袋に洗い上がった洗濯物を詰め込み、
その丸い袋を背中に背負って、ここまで来ていたのです。
よく言えばサンタクロース、悪く言えば盗人の風情でした。
「あれって、いつ頃のことだろうか?」と考えてみました。
・こどもが生まれて洗濯物の量が増えたころ。
・吉祥寺北町から吉祥寺本町へ引っ越す1983年より前。
・我が家が乾燥機を購入する前。
これらの条件から計算してみると、
私がコインランドリーに通っていたのは、1980年代の始め、となります。

「ということは、最初の写真が撮られた1989年には、
コインランドリー「べんてん」は既に存在していたはずだ」、
と思い、それを確認するために、
昔の写真の暗く潰れた部分を拡大して露出補正を掛けてみました。
そして、現在の写真の該当部分と並べてみたのが次の写真です。
昔のべんてん
右側の現在の写真では、カーブミラーと白い自販機の間に、
「べんてん」の緑色のテントと白いフレームが写っています。
左の昔の写真でも、それと同じ位置にテントとフレームっぽいのが見えます。
自販機も現在の「meiji」ではなく赤地に白で「MEIJI」ですが、
位置関係は同じでしょう?

結論が出ました。
この弁天湯さんは、長女の写真から更に遡っても今と同じ形態でした。
少なくとも約40年間はそのままのスタイルで営業しているのです。
ふ〜む、
世の中を固定観念で眺めてはいけませんね。
前回のブログで確認した「平和通り」の吉祥寺パルコPARCO、
そして今回の「昭和通り」の弁天湯、
これらを見ると、吉祥寺って案外変化しない街なのでした。

(終り)

吉祥寺パルコ前の昭和の少女達2017年01月05日

1989年3月25日の写真が何枚かありました。
青山こどもの城の少女達
1989年と言えば、この年1月に昭和天皇が崩御され、
元号が昭和から平成へ改められた年ですね。
「そんなこと私達には関係ない」とばかりに、
ピースサインで写真に収まっているこの少女達は、
我家の長女とその仲間、全員昭和生まれの10歳です。
仲良し同士でどこかへ遊びに出かけた時の写真と推測されます。
「撮影場所はどこかな?」との疑問を解決するために、
彼女達の後ろの看板を拡大して眺めてみると、
斜め上向き矢印の右側の文字が「青山劇場」とかろうじて読めるので、
ここは青山の「こどもの城」であることが分かりました。

こういう写真は、
撮った直後こそ焼き増しされ配られて、
楽しい記憶を仲間内で共有するものですが、
その後は打ち捨てられ、
大人になる頃には、引き出しの奥深く埋没するのが常です。
それでも、たまたま私のような物好きが手にすれば、
それを眺めて、あれこれ楽しく考察するのですから、
写真はとっておくものですね。
また、今回は写真とフィルムが一緒になっていたので、
撮影カメラの所有者は我家の長女と考えられます。
ということは、そのカメラは、
この写真の3ヶ月前に新宿のさくらやで買い求めた
保証書
"ニコン ピカイチ ルポ2 Nikon RD2"
ニコンピカイチ使用説明書
のはずです。

さて、フィルムと写真を見比べれば、撮影された順番が分かります。
次の写真は、最後から4枚目の写真でした。
28年前の吉祥寺パルコ前で
大写しになった4人がピースサインをしています。
普通であれば、これも青山の「こどもの城」かその近くで撮った写真、
と思うのでしょうが、私にはちょっと閃くものがありました。
それは、彼女達の後ろに写っている店舗と、
そこで用いられている曲面ガラスです。
見覚えがあるのです。
そう、"吉祥寺 パルコ PARCO"の1階のコーナーですね。
ここの交差点は、ほとんど毎日、何年間も通っていたので、
昔のこととはいえ何となく記憶に残っていたのです。
ちなみに現在の様子も次の通り、変化なしです。
パルコのガラス
間違いないでしょう?

ということは、
この日の彼女達の行動を読み解くと次のようになります。
武蔵野市立第一小学校の同級生の女の子達、
盛り場といっても吉祥寺しか知らない「多摩っ子」です。
その子達が、春休みにプチ遠出を企画しました。
行き先は、以前、父に連れて行ってもらった「こどもの城」です。
そこは、トンネルくぐり、など楽しい遊び場がたくさんあります。
こどもの城のトンネル
そして1日遊んでから地元の吉祥寺へ戻って来て、
パルコの前で、またピースサインで記念撮影をしたのでしょう。
それが先ほどの写真です。
そして、撮影順からいうと、その次に撮られたのはこれでした。
28年前の吉祥寺ナイン
これも同じ交差点で撮影されたもののようです。
つないでパノラマ写真にしてみましたよ。
平和通り交差点
28年前の風景がよみがえりました。
でも、この風景って、実はほとんど変わっていませんでした。
現在の様子は次の通りです。
現在のパルコと平和通り
違いといえば、アコムの屋上看板がエリアクエストになったくらい。
日々更新される吉祥寺の風景、と思いがちですが、
案外そうではないのですね。
でもこの時の少女達はすっかり大人になって、
お母さんになっている子も多いのではないかな。

ここで使われたカメラ「ニコン ピカイチ」、
もう私の手元にはありません。それなのに、
使用説明書と保証書がなぜか残っているのも、いつものパターン。
せめてと思い、昔の写真の中にピカイチの面影を探したところ、
次の写真がありました。
正月の撮影
拡大してみるとこうなりました。
ピカイチ拡大
確かにピカイチです。
すると、ではこのピカイチを撮ったカメラは何?
というふうに、写真遊びはきりがないです。

続く