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目白三丁目の和洋折衷2012年06月01日

以前紹介した目白三丁目にある蕎麦屋の「吉祥庵」の外観、これが跳んでます。
目白三丁目のキッチュ
この交差点にあって異彩を放っています。単なる和洋折衷ではなく、この二階部分の作り込みは半端でないです。この店のお蕎麦はかなり美味しいのですが、多分そのこだわりが外観にも現れています。何より店主かデザイナーか(或は二人とも?)楽しんで作ってますよね。そのやりたい放題が現代の数寄というかキッチュというか、私はこういうのも大好きです。それで、独断で目白の名建築の一つに選んでみました。

イタリア料理Shark2012年06月05日

目白でイタリア料理を食べたくなったらここです。目白駅から目白通りを西へ2〜300mほど行った所にあります。
目白でイタリア料理
シャークのシェフが看板に描いてありますが、別に恐いお店ではないですよ。

当家では、別居してる子供達が集まった時などにここで会食します。人数が多いと色々な美味しいものを皆で食べられるのでGoodです。
家族で会食
お肉や野菜料理も当然美味しいですが、私のお気に入りはスパゲッティ・ペペロンチーノ。大人数で分けると一人分では物足りなくなってしまうので二皿頼んでしまいます。デザートのお薦めは、手堅くティラミス。これはすぐ品切れになってしまうので、最初からオーダーしておく必要がありますね。
このお店も知り合いに教えてあげて感謝されました。

目白五丁目で自分探し?(1)2012年06月05日

目白通りと山手通りの交差点近くに「目白五丁目」というバス停があります。
懐かしのバス停
(写真の方は知らない方です)

1971年の秋から半年ほどこの近くのアパートで暮らしていた時期があります。
内階段
左:玄関。内階段が見える 右:2階の私の部屋のドア。何故か天才バカボンのような顔が

当時の木賃アパートの典型的なパターンの一つかと思います。木造2階建てで、各階に4部屋ずつ計8軒の共同住宅。各室は、それぞれ6畳に半畳の流し付き、トイレは共同、風呂無しで家賃一万円。私の所は日当りよく、結構気に入って不動産屋で即決した記憶があります。アパートの名称は「石々荘」でした。
室内
左:流し。ここで料理も洗面も洗濯も 右:夕陽のあたる窓
南と西に窓があって、日中はまぶしいくらいでした。

約40年ぶりに目白に戻って来て最初に計画した事の一つは、昔の住まいがどうなっているか確認する事でした。二つ目の住まいである「上り屋敷」近くの旧居の場所はすぐ分かったのですが、この五丁目近くのアパートは探せませんでした。住んだ期間も短く、当時の住所も控えてなかったので、おぼろげな風景の記憶以外に手がかりが無かったのです。聖母病院の裏手、住所でいうと新宿区中落合二丁目あたりらしいと見当をつけ、その近辺を歩いてみても景色がすっかり変わってしまっていて、行き当たりばったりに探しても見つからなさそうでした。それで方針を変えて、当時撮影した写真などをつぶさに調べてみる事にしました....(続く

目白五丁目で自分探し?(2)2012年06月08日

前回)からの続きです。

目白五丁目付近で1971年頃に撮影した写真のうち、撮影場所を特定できる可能性の高い写真がありました。公園の写真です。民間の施設に比べると、神社・お寺や公共施設はその場所や用途が変わらずに残っている事が多いです。まず一枚目がこれです。
懐かしの児童遊園
写真右手に住居表示があります。かろうじて「中落合二丁目 26」と読めます。これで、公園のおおよその位置が分かります。それから、写真上端の真ん中あたりに「太」という文字が見えます。私はこれを「太陽(神戸)銀行」の一文字目ではないかと推測しました。また、銀行であれば地理的には目立つ場所にあるだろうと考えました。この推理は本当に見事に当たりました。この近くの目白通りと山手通りの交差点に「三井住友銀行」(昔は太陽銀行目白支店だったらしい)が今もあります。

ほぼ特定できました。条件を満たす地域を探した所「みつば児童遊園」という名称の公園がありました。そこで1971年と同じ向きで写真を撮ってみました。民有地の方は昔の形をとどめているものは何もありません。
2012年の児童遊園入口

また、公園側を撮影したものを、昔と今と比較してみます。
みつば児童遊園

2012年の児童遊園
ブロック塀の段数、それから穴あきブロックの模様と積み方が同じです!!
きっとこのブロック塀は40年間私が来るのを待っていたのでしょう。
何か嬉しい気持ちになりました....(続く

目白五丁目で自分探し?(3)2012年06月10日

前回)からの続きです。

1972年の1月に私が住んでいた「石々荘」の窓から西方向を撮影した写真がありました。この写真から「石々荘」のあった場所を絞り込む事ができるでしょうか?
木賃アパートからの眺め

まず、撮影場所を特定できるようなものが写ってないか子細に眺めてみたところ、左遠方に上半分が窓になった茶筒状のものがある事に気付きました。よく屋根の上に見かける高架水槽ではありません。どうも火の見櫓のようです。この近くに消防署とかあったのか、あったとすれば今でも残っているのでは?と考えて地図とストリートビューで見てみると、ありました。山手通りに面した新宿消防署落合出張所が該当しそうです。(昔は淀橋消防署という名称だったそうです)
新宿消防署落合出張所

ここまでで、石々荘の場所について分かった事は次の三点です。
・住所は新宿区中落合二丁目あたり
・みつば児童遊園の近く
・新宿消防署落合出張所のほぼ東方

昔の「石々荘」の建物自体が残っている事は期待薄ですが、道路と敷地の関係からおおよそ推定できるかもしれないと考えて、それらしい場所を当時の写真を見ながら探してみました。細い突き当たり路地の右側の2階建ての建物でした(下の写真)。路地に面した壁の中央が玄関でした。
石々荘外観1972年

案外簡単にそれっぽい敷地を見つけました。そして何と!現在建っている建物を良く見ると、小奇麗ではありながら昔の「石々荘」に瓜二つです。何か狐につままれたような気持ちで眺めていると、1階の部屋の片付けをしているご婦人が窓の中に見えました。
思い切って尋ねてみました。
「あのー、ここって昔『石々荘』ってアパートのあったところではありませんか?私は40年前にそのアパートに住んでいたものなんですが。ちょっと懐かしくてこの辺りを歩いているんです」
するとそのご婦人は「そうです」とおっしゃるんです。そして
「今、お父さんを呼んできますね」とご主人に声をかけられて、
「お父さん、この方はここに40年前に住んでいた方なんですって」
と紹介してくれました。おかげでご主人から、
・自分たちが所有者となり改築して住んでいる事
・柱を追加して、内外装をやりかえた事
・1、2階それぞれ、各室の仕切りを取り払って広い住戸とした事
などを教えていただきました。奇麗な建物なのに40年前の記憶につながる雰囲気を持ってるのはそう言う理由なんだ、と私も合点がいきました。

記念にご主人のご了解を得て写真を撮らせていただきました。
石々荘外観2012年
窓が木製からアルミに変わっていますが大きさと位置は一緒です。また玄関扉が新しい立派なものに付け替えられていますが、脇の木製縦格子は変わっていません。庇の付き方も同じですね。
とにかく、こんな形で「石々荘」に再会できるなんて思っても見ませんでした。現在の所有者でいらっしゃるご夫婦に感謝!です。

後日談:
どうせ調べるなら徹底的にやってみようと思い、新宿区の図書館で昭和46年の住宅地図を借り出して調べてみました。当然ながら、突き止めた場所に「石々荘」と書いてありました。でも、虫眼鏡を使っても、知っている人でなければ読取れないほどの本当に小さな文字でした。
石々荘
(この項終り)