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40年前の横浜駅で働く人々2013年09月01日

前回)からの続きです。

どこで撮ったか思い出せない「車窓の景色」について、
その撮影場所を特定する方法を試しています。
電車の窓からiPhoneを使って動画を撮影し、
昔の写真に特徴的なものの痕跡が残ってないかチェックするのです。

この方法で判明した「ある駅の風景」がありました。
その時に役に立った動画のコマをつなぎ合わせて
下のような疑似パノラマ写真にしてみました。
横浜駅ホーム北端の風景
横浜駅を通過する時に撮影した動画から切り出したもので、
左側に鉄骨階段、中央右に大きな鉄骨柱が見えるでしょう。

この写真によって判明した昔の写真がこれです。
横浜駅の首都高工事中

横浜駅のほぼ北端が撮影場所である事が分かりました。
時は1973年12月、横浜駅にて高架道路が建設中だったのですね。
これは首都高速「神奈川1号横羽線」の「金港JCT」付近。
1964年の東京オリンピックで始まった首都高の建設が、
横浜まで延伸されて、
既存交通施設との取り合い工事がオオゴトになりつつある頃です。

場所が判明したので、次はそこに写っている人達に眼がいきます。
気の良さそうなオジさん労働者が写っています。
皆、特に楽しそうではありませんが、つらそうな風もありません。
自分の仕事を普通に当たり前にこなしている感じがあります。
足が地に着いているというか、羨ましいような気がしませんか?

そして、その直前に撮影された写真、
という事は横浜駅の南端近くの写真がこれです。
横浜駅ホーム南端の風景

こちらの二人は、労働者風ではなく管理者っぽいです。
防寒着の前をはだけているのは、ハードな作業には従事せず、
多分、見回りする事が仕事だからと思います。
左手に持っているのは点検項目リストか何かでしょう。
でも、眼鏡の掛け方とか左上を見上げる様子とか、
人の良さが出ているような気がします。
人が良くても仕事ができて給料が貰える良い時代でした。
(ちょっと飛躍しすぎかな)

さて、2枚目の写真に戻って、鉄骨階段と鉄骨柱の奥に、
手摺が見えています。
線路の手摺のようですが、現代の地図には線路は見当たりません。
動画でチェックしてみると、下のように柱の左側で途絶えています。
東急東横線の線路跡

調査の結果、結論から言うと、これは東急東横線の線路でした。
昔の写真ではそのまま北に延びていたのが、今は取り壊し中のようです。
というのは2004年に、みなとみらい線と東急東横線の相互直通運転が始まり、
この部分は地下化されてしまったからです。
地上の跡地は「東横フラワー緑道」として整備されたとあります。
そのうち、電車になった気分で歩いてみたいです。

さて、工事現場の写真の次に下のような建物の写真がありました。
昔の横浜変電区
これなどは建物の入口近くに看板が出ていますから、
その文字が読めれば何の建物かは分かりそうです。
(それが、40年後の今、残っているかは別として)

拡大してみました。
横浜変電区銘板

3枚あるプレートのうち、上と下は、
「横浜変電区」、「横浜変電支区」と何とか読めました。
これは、今の「横浜変電所」でした。そして、
googleのストリートビューにもしっかり写っていました。
横浜変電所の鳥瞰

40年後の今も健在でした。庇の付き方と大きさが同じです。
違っているのは、
建物前面のカイズカイブキが昔は小さかった事、
そして、昔の写真に写っている帽子をかぶった人物、
この人の歩き方が、手を後ろに組んで
いかにもゆっくりしているように見える事でしょうか。