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教育勅語のおうち「奉安殿」2015年04月07日

母のアルバムから次のような記念写真が出てきました。
楠公奉献碑
この写真の最前列に、国民服を着てゲートルを巻いた父が写っています。
このような畏まった集合写真は他になく、珍しいものなのです。
「何の写真だろうね?」と女房に問いかけると、
「先生たちの集合写真ね。皆、知性的で生真面目な顔をしているし、
 それに女性が多いから」
との返事でした。
確かに、他の職業では女性の比率はもっと低そうです。
皆、緊張した面持ちでいるのも、教育者の生真面目さのせいでしょうか。

では、何の記念写真かな?と疑問が湧きました。
写真には何の添書きも裏書きもなく、教えてくれそうな人は皆んな既に亡くなっています。
幾つか推測してみました。
1.採用記念(先生として赴任した記念)
でも、それにふさわしい若くフレッシュな人物は見当たりません。
また、それなら4月でしょうが、写真の背景の樹木は落葉し、季節は秋っぽいです。
2.出兵記念(これから戦地に赴く記念)
父の義兄弟には戦死した方が数名いましたが、
父自身は教育者として兵役を免れていましたからこれも当たりません。

白丸で囲われた取込み写真がヒントになるでしょうか。
左の丸は、校旗でしょうね。
では、右の丸は何かな?
百葉箱のようですが、まさか百葉箱の写真をわざわざここに取込まないですよね。
そして、この箱が何かは、
実はアルバムの別の頁にしっかり貼付けてあった次の写真で判明しました。
奉安殿
この箱のような建物、竹柵と樹木に囲われて立派な「おうち」のようです。
タイトルに「菊澤村尋常高等小学東校奉安殿」と書いてあります。
建物の雰囲気が、最初の写真の白丸の建物とそっくりでしょう?
扉部分を拡大してみると、菊の御紋の入り方も含めてほとんど同じ意匠です。
扉が平側に付いているか、妻側に付いているかの違いだけです。
(ちなみに、伊勢神宮は平入り、出雲大社は妻入りですね)

「奉安殿」とは、天皇皇后の御真影と教育勅語を納めた建物だそうです。
1930年代頃に、多くの小学校に奉安殿が造られたとのこと。
この二枚の写真は、いずれもその頃に撮影されたものなのでしょう。
写真に写っている父の年齢から考えても妥当な年代です。

そして、集合写真の中央奥の石碑の文字を眺めてみました。
『楠公(奉?)??)』と彫られているようです。
とすれば、これは、大楠公として皇国忠臣の鑑と崇められた「楠木正成」の石碑でしょう。
実際、1935年には大楠公600年祭が執り行われ、1940年には全国からの募金により「奉建塔(楠公六百年記念塔)」なるものが建立されたとwikiにありました。

これらの知識を総動員して、私は最初の集合写真を次のように読み解きました。
1940年頃に、父の勤務する学校に「楠公奉献碑」が建立され、
中央官庁の役人か県知事か偉い方をお招きして式典を行い記念写真を撮った。
背広姿の男性は、お役人と校長・教頭で、一般の男の先生は国民服で列席した。
記念写真には、教育勅語を納めた奉安殿も、併せて載せることとした。
そう考えると、先生たちが緊張の面持ちでいることも理解できるでしょう?

さて、アルバムには、畏まっていない次のような集合写真もありました。
教職員日光研修旅行かな?
これも、タイトルや説明書きがなく、何の写真かは推測するしかありません。
多分その当時に父が勤務していた学校の先生方との集合写真と思われます。
皆さんの服装や、父の老け具合などから、これは戦後まもなく撮られた写真のようです。
場所は、背景に杉並木らしきものが見えるので、「日光の東照宮近く」でしょう。
きっと、修学旅行か研修旅行の一コマだと思います。
国民服でなく開襟の半袖シャツを着た父も、にこやかに微笑んでいます。