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コシナレンズのヘリコイドグリス交換2015年04月03日

何となく気分が晴れなかった日の夜、
心安らかに眠りにつくためにどうするか?
私の友人で「行き先も決めず車で夜道を走る」と答えた人がいました。
この気持って分かりますよね。
自分の指示通り忠実に走ってくれる車って、心許せる家臣なのでしょう。
私の場合、昔のフィルムカメラを手に取って、
何となくピントを合わせたり、シャッターボタンを押したりします。
車やカメラに、トランキライザーの役割を果たしてもらう訳です。

でも、カメラを手にして心が休まるのは、調子の良い機械に限ります。
たまたま手にしたカメラが不調だったりすると、
「何でだ?どこが悪いんだ?」と修理屋の気持になってしまいます。
先日の夜、手にしたカメラ"コシナCT-1 Super"がまさにそれでした。
コシナCT-1_Super
プラスチックを多用した安いカメラなのですが、造りがしっかりしているので、
メカニカルな動作のフィーリングがとても良い機械なのです、普段は。

それが、先日、カメラを構えてレンズの距離環(下の写真)を回すと、
スカスカと、いわゆるヘリコイドグリスが抜けた状態であると同時に、
ギコギコと、何か引っかかるようにバッドフィーリングでした。
01
これは全くいただけません。
だいたい、昔のマニュアルフォーカスレンズを好む人の大半は、
この距離合わせの感触を楽しんでいると言っても過言ではありません。

眠りにつくのは後回しにして、早速、修理に取りかかりました。
まず、ゴムアダプターでレンズの飾りリングを回します。
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外れました。
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この状態でレンズ本体と外環の隙間から奥を覗き込むと、
次のように銀色のネジ切りが見えます。
これが、ヘリコイドです。
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ここのグリスを入替え補充するのが、今回の修理の目的です。

レンズを正面から見ると、
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距離環の奥にビスが三本見えます。
これを外すと距離環と本体を分離できて作業し易くなります。

ついでにレンズの後ろ側のマウント部の金属も外します。
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外れた金属のリングは次のように結構複雑な部品が付いていました。
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こういうものは、ただちに記録写真を撮ることが大切です。
万一バラバラになってしまうと、当初の状態が分からずに、
再組み立て出来なくなる恐れがあるからです。
デジカメが無い時代の職人さんは、
作業過程を記録するために一々スケッチを描いたそうです。
大変でしたね。

取り敢えず、距離環(右)と絞り環(左)が外れました。
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古いグリスを綿棒等で除去します。
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長年の汚れで真っ黒でした。

新しいグリスを塗るのですが、種類があります。
硬めのS-30と柔らかめのS-10です。
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これを適当に配合することで、好みの硬さを実現します。
私は硬めのヘリコイドが好きなので、まずS-30だけを使いました。
次のように綿棒でヘリコイドの溝に塗り付けては回し、
少しずつ馴染ませていきます。
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さて、これで良いフィーリングになるはずなのですが、
まだ、ギコギコ言うのが直りません。
良く観察すると、レンズの後ろ側に問題がありました。
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距離環を回転させた時に、
レンズ本体が前後への動きだけをするように制御する溝がありました。
上写真の白矢印の二ケ所です。
この溝をレンズ本体の金属ガイドが摺動する時に、
プラスチックの溝と擦れてギコギコ言っていたのでした。
ここにも少量のグリスを塗りました。

グリス交換は終了しましたが、実はこの後が大変。
一旦バラしたレンズは、無限遠が狂うので、その調整が必要になります。
そのため、次のようにレンズ本体と距離環を仮止めします。
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仮止め状態では距離環の動きはヘリコイドに伝わらないので、
上の写真の白矢印「微調整用」とある小穴に細いドライバを入れて回転させ、
レンズを少しずつ前後させ、無限遠の対象物にピントを合わせます。

今回は深夜の作業だったので、遠方の高層ビルの赤色灯に合わせました。
そして、距離環の距離指標の無限印を、レンズ中央のガイド線にあわせ、
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仮止めしていたビスの本締めを行います。

そして完成!!
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当初の快適な操作感が甦りました。

しかし、この形式のレンズは初めて手掛けるものだったので、
作業途中は、試行錯誤の繰り返しでした。
そのため修理が完了したのは、もう夜が明けそめた頃。
心安らかに眠りにつくために手にしたカメラだったのに、
それが不調だったおかげで、寝床につくどころか徹夜する破目になりました。

教育勅語のおうち「奉安殿」2015年04月07日

母のアルバムから次のような記念写真が出てきました。
楠公奉献碑
この写真の最前列に、国民服を着てゲートルを巻いた父が写っています。
このような畏まった集合写真は他になく、珍しいものなのです。
「何の写真だろうね?」と女房に問いかけると、
「先生たちの集合写真ね。皆、知性的で生真面目な顔をしているし、
 それに女性が多いから」
との返事でした。
確かに、他の職業では女性の比率はもっと低そうです。
皆、緊張した面持ちでいるのも、教育者の生真面目さのせいでしょうか。

では、何の記念写真かな?と疑問が湧きました。
写真には何の添書きも裏書きもなく、教えてくれそうな人は皆んな既に亡くなっています。
幾つか推測してみました。
1.採用記念(先生として赴任した記念)
でも、それにふさわしい若くフレッシュな人物は見当たりません。
また、それなら4月でしょうが、写真の背景の樹木は落葉し、季節は秋っぽいです。
2.出兵記念(これから戦地に赴く記念)
父の義兄弟には戦死した方が数名いましたが、
父自身は教育者として兵役を免れていましたからこれも当たりません。

白丸で囲われた取込み写真がヒントになるでしょうか。
左の丸は、校旗でしょうね。
では、右の丸は何かな?
百葉箱のようですが、まさか百葉箱の写真をわざわざここに取込まないですよね。
そして、この箱が何かは、
実はアルバムの別の頁にしっかり貼付けてあった次の写真で判明しました。
奉安殿
この箱のような建物、竹柵と樹木に囲われて立派な「おうち」のようです。
タイトルに「菊澤村尋常高等小学東校奉安殿」と書いてあります。
建物の雰囲気が、最初の写真の白丸の建物とそっくりでしょう?
扉部分を拡大してみると、菊の御紋の入り方も含めてほとんど同じ意匠です。
扉が平側に付いているか、妻側に付いているかの違いだけです。
(ちなみに、伊勢神宮は平入り、出雲大社は妻入りですね)

「奉安殿」とは、天皇皇后の御真影と教育勅語を納めた建物だそうです。
1930年代頃に、多くの小学校に奉安殿が造られたとのこと。
この二枚の写真は、いずれもその頃に撮影されたものなのでしょう。
写真に写っている父の年齢から考えても妥当な年代です。

そして、集合写真の中央奥の石碑の文字を眺めてみました。
『楠公(奉?)??)』と彫られているようです。
とすれば、これは、大楠公として皇国忠臣の鑑と崇められた「楠木正成」の石碑でしょう。
実際、1935年には大楠公600年祭が執り行われ、1940年には全国からの募金により「奉建塔(楠公六百年記念塔)」なるものが建立されたとwikiにありました。

これらの知識を総動員して、私は最初の集合写真を次のように読み解きました。
1940年頃に、父の勤務する学校に「楠公奉献碑」が建立され、
中央官庁の役人か県知事か偉い方をお招きして式典を行い記念写真を撮った。
背広姿の男性は、お役人と校長・教頭で、一般の男の先生は国民服で列席した。
記念写真には、教育勅語を納めた奉安殿も、併せて載せることとした。
そう考えると、先生たちが緊張の面持ちでいることも理解できるでしょう?

さて、アルバムには、畏まっていない次のような集合写真もありました。
教職員日光研修旅行かな?
これも、タイトルや説明書きがなく、何の写真かは推測するしかありません。
多分その当時に父が勤務していた学校の先生方との集合写真と思われます。
皆さんの服装や、父の老け具合などから、これは戦後まもなく撮られた写真のようです。
場所は、背景に杉並木らしきものが見えるので、「日光の東照宮近く」でしょう。
きっと、修学旅行か研修旅行の一コマだと思います。
国民服でなく開襟の半袖シャツを着た父も、にこやかに微笑んでいます。

学習院下に桜は残る株木建設2015年04月09日

二年前の春、学習院下の交差点近く、JR山手線の土手の風景。
学習院下の山手線の土手
  カメラ:Canon DEMI 日付:13/05/16

この場所は、左を向くと新井薬師道ガード。
新井薬師道ガード
  カメラ:Acmel-M(Minox) 日付:13/09/27

右を向くと、椿の坂。
椿の坂
  カメラ:CASIO EX-H20G 日付:14/05/11
この写真の左側の建物はURの再開発ビル、
その手前の斜面緑地には、桜(の一種)の木がありました。

散歩をしていて「取り敢えず一枚」と、
シャッターを切りたくなる場所でしたが、
昨年の夏から「JR首都直下地震対策工事」が始まり、
JRの土手の地震対策工事中
現在は次のような状況です。
地震対策工事
地震対策が大切とは言え、もう少し何とかならなかったの?

でも、不幸中の幸いはガード南側の土手。
越の彼岸桜
こちらは樹木が土手の最下端にあったため伐採は免れたようです。
この写真を撮影した今年の3月30日には、
写真左奥に小さく写っているとおり
「越の彼岸桜」がピンクの花を咲かせていました。
4月9日現在は次のように葉桜に移行しつつありますが、
越の彼岸桜を拡大
そのかわり、手前に植えられた桜が見頃を迎えつつあります。
関山桜と鬱金桜
右手から、ピンクの「関山桜」、白の「鬱金(うこん)桜」が三本、
そして「関山桜」の合計五本あります。
神田川のソメイヨシノが盛りを過ぎても、桜の季節は終りではありませんよ。

もう少し経つと、こんな風になるはずです。
株木建設の桜をライカで撮影
  カメラ:Leica-ⅢG 日付:12/04/24
この三年前の写真は私の初ライカでもあります。感慨深いです。
そして、写真に「株木建設」なる社名版が写っているとおり、
ここは、株木建設の正面玄関前ロータリーなんですね。

この桜たちは、株木建設さんが40年に渡って守り育てた桜なんだそうです。
古参の社員さんに教えていただきました。
40年前、周辺は薬品工場ばかりで高層マンション等はなく、
株木建設さんの建物が一番高かったそうです。
椿の坂と山手線の間も、日通のだだっ広い空地でしたね。
(今は切手の博物館とUR賃貸住宅など)
そんな昔話をしながら、鬱金桜の花びら越しに建物のテッペンを見上げてみました。
株木建設と鬱金桜
緑色のロゴの「株木建設」さん、表彰ものですね。
そう言えば、鬱金桜の白い花びらにも、ごく薄く緑色が入っています。
写真でもギリギリ分かるかな。
珍しいんですって。

私はカメラの整体師(300円のミノルタX-700)2015年04月16日

"ミノルタ MINOLTA X-700"のジャンク品を300円で購入しました。
300円のミノルタ一眼レフ
シャッターが切れたり切れなかったりする故障品です。
何故そんなものを買ったかというと、
フォーカシングスクリーンの清掃練習のためです。

私はファインダーの見え方に気を使います。
でもメンテナンスをプロに頼むと何千円も掛かるので、時々自分でやります。
例えば、二眼レフのスクリーン清掃前。
C220清掃前
二枚の合わせ材の間に入った水分で、カビが発生。
これをバラして石鹸水で洗うと、次のように奇麗になりました。
C220清掃後
また、ニコンF一桁機の場合は、簡単にスクリーンを取出せますので、
次の写真のように固定枠からスクリーンを取り外し、石鹸水で洗浄すると、
ものによっては見違えるように奇麗になります。
ニコンのスクリーン

私が既に所有しているミノルタX-700は、
X-700
現在のところ快調に使えていますが、スクリーンの汚れが皆無ではありません。
でも、この機種は、素人によるスクリーンの清掃や交換を考慮していないので、
いざとなった場合にメンテナンスできる技術を身につけておきたいのです。
それで、その練習台として今回ジャンク品を入手した訳です。

その300円のX-700のファインダーを覗いてみると、
清掃前のファインダー
単なる埃のようですが、十分清掃しがいがあります。

早速マウント部からスクリーンを覗くとこんな具合です。
スクリーンをチェック
歯医者さんが、虫歯治療に来た患者の上顎を覗いている気分ですね。
実際に、くまなく状況調査をした後に、私が選択した修理工具は、
下の写真の先端がカーブした「先曲がりピンセット」、
いかにも歯医者さんで使っていそうな道具でしょう?
ピンセットで抉じる
この写真のように、
スクリーンと枠の間にピンセットの先端を差し込み奥方向へ押し込むと、
スクリーンの手前側の一辺がフリーになります。
これはスクリーンが手前の溝と奥の溝の間に、
けんどん式に嵌め込まれているからです。
そして、スクリーン本体手前側の突起をつまんで取出しました。
スクリーンを取出す
このスクリーンは幸いにもカビはありませんでしたので、
ダストブロワーで両面のゴミを吹き飛ばせば十分でしょう。
ブロワー
そして、清掃後のスクリーンをカメラに戻して、ファインダーを覗きました。
清掃後
だいぶ奇麗になりました。
しかし!、
赤矢印の位置に小さな引っ掻き傷を発見!
私が診断中に傷つけたようです。
歯医者失格!

さて、スクリーン清掃の実習には十分に役立ってくれたカメラ、
ついでにシャッターのチェックをして見ました。
確かに商品説明にあったとおり、切れたり切れなかったり、でした。
でも、何度か繰り返しているうちに、ある法則性に気が付きました。
フィルム巻上げレバーを回してシャッターをチャージした後、
レリーズボタンを押してもシャッターが切れない場合は、
しばらく放置していると、「カチリ」と小さな音がボディから聞こえるのです。
丁度、何か二つの部品が噛み合った時に生ずるような音でした。
その音がした後には、きちんとシャッターが切れます。

しばらく沈思黙考した私、突然!閃きました。
噛み合い方がちょっとずれてしまった部品同士の位置を、
ほんのコンマ数ミリ調整できれば直るのではないか、と。
そして、次の写真のようにカメラの両側を持って、
雑巾を絞る要領でひねってみました。
カメラの整体術
信じられないことですが、これで完璧に直ってしまいました。
連続して何回でも気持ち良くシャッターが切れます。
まるで、私はカメラの整体師のようですね。
この技術を磨けば、一年後には、故障したカメラの上へ手をかざすだけで、
あらゆる故障を直せるようになるかも知れません。

私の超能力を実証するために、試し撮りをすることにしました。
先日カビ取り修理を行なった100mmと35mmのレンズ二本を持って街へ!

広角レンズを通して見た高田馬場の真昼の風景。
広角レンズで

望遠レンズが切り取った高田馬場駅ガード下の手塚治虫
望遠レンズで1
そして神田川
望遠レンズで2

ちゃんと写っているでしょう?
そういえば、昔、テレビが映らなくなると側面や裏側を叩いて直してたけど、
あの頃の経験が役に立っているのかも知れません。

と、実はすべてがうまく行った訳ではなく、
この御老体のカメラには、もう一つの持病が隠れていました。
下の写真はフィルムを撮り終わったところです。
止まった枚数計
塗装が剥げた巻上げレバーの横で、撮影枚数を示す数字は[10]です。
そうなんです。
フィルムカウンターが壊れているらしく、何枚撮っても[10]から増えません。

これでは、残り枚数が分かりません....大変、困ります。
と、思いましたが、実は全然困らないことに気が付きました。
重要な記念写真などは今時デジタルカメラで撮るので、
私にとってフィルムカメラは遊びです。
「フィルム半分ぐらい撮ったかな?」とか、
「そろそろ終わりに近づいたかな?」程度が自分で感じられれば十分です。
なので、残り枚数を表示できないX-700も、当面は放置することにしました。
人間だって、自分の人生は残り何年、とか正確には知らずに生きてる訳だし。

ニコンF3アイレベルファインダーの清掃2015年04月21日

しばらく前に"ニコンNikon F3"を入手しました。
これまでニコンの銀塩一眼レフは、初代F、F2、F4と使っているので、
このF3を加えて、ついに[1]から[4]までの連番が完成です。
そしてファインダーも買い足してしまいました。
ニコンF3とファインダー
左側が、元々付いていたファインダー「ハイアイポイント(HP)」、
右側が買い足したファインダー「アイレベル」です。
ハイアイポイントファインダーは、
カメラから眼を少し離した状態でも、撮影範囲がけられず見えるので、
メガネを常用する人には便利なファインダーと言われています。
でもその分、見える画像の大きさは、
標準レンズ50mm着用時で、倍率0.75倍とやや小さめです。
撮影時はメガネを使わない私にはメリットがないので、
倍率0.80倍のアイレベルファインダーに換装することにしました。

下の写真のように、二つを逆向きにして比べると、
右側のアイレベルの方がコンパクトなことが分かります。
二種類のF3用ファインダー
プロによる整備済みのF3ボディとHPのファインダーは少し高価だったので、
この追加のアイレベルファインダーは安物で我慢しました。
そのせいか、ちょっと汚れていますね。
でも、それを承知で、自分で整備することを前提にオークションで入手しました。

二つの見え方を比べてみると次のようです。
一枚目がHP、二枚目がアイレベルです。
3

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倍率の違いは明らかですね。
でも、アイレベルファインダーで見る被写体は少し霞んでいるでしょう?

これはファインダーの接眼レンズにカビがはえているからでした。
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かなり重症です。

早速分解して清掃します。
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カバーを止めているビスを外します。両側に2個ずつの計4個です。
このビスが錆びていることから、
ファインダーが湿気の多いところで使用されていたことが分かります。
次はカバーを取ったところです。
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ここで、白い点線で囲った部分が接眼レンズユニットです。
これを止めているビスは、下の白矢印の三個です。
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この後、取り外した接眼レンズの両面をいつもの手順で掃除しました。
・レンズクリーナーでカビ取り
・オキシドールでカビ殺し
・アルコールと水で清掃
この作業自体は数分で済んだのですが、実はこの前段で大トラブル。

ファインダーには、セルフタイマー使用時などに逆光の侵入を防止するためのアイピースシャッターが内蔵されています。下の写真の赤い二枚羽根です。
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そして、アイピースを閉じると、
次のように、その裏側にある平ビス(白矢印)が露出します。
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ここが中心軸となって回転し、シャッターの開閉を制御します。

このビスも外しておいた方が接眼レンズユニットを取り外し易いだろうと思って、
やや固着気味のビスをドライバーで「エイヤッ!」と回しました。
普通であれば、始めに抵抗があっても力を入れれば回るはずですが、
何とポッキリ折れてしまったのです。
「アンラッキー!」
この不運のため、修理の作業過程を撮影する心の余裕も失い、
代替ビスの作成、塞がってしまったビス穴の再生など、
アロンアルファも駆使して修理に没頭すること約二時間。
やっとこすっとこ完成!!
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矢印が再生したビスですね。

そして奇麗になった接眼レンズです。
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もちろんアイピースシャッターも次のようにちゃんと閉じます。
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もっとも、今後このシャッターを使うことがあるかと言うと、多分一度も無いと思います。
修理のほとんどの時間を、その部分に費やしたことが、では無駄だったかと言うと、
もともと、これは修理ゲームのようなものですから、無駄ではないのです。

次に、清掃前と清掃後のファインダーの見え方を比べてみます。
清掃前

清掃後
スッキリ・クッキリのマトリョーシカでしょう?
これでこそ銀塩一眼レフのファインダーです。

さて、蛇足ですがこのカメラには「イルミネーター」なるものが付いています。
下の写真中央で、弱々しくオレンジ色に光っているものです。
F3用イルミネーター
これは暗いところでもシャッタースピードの液晶と、レンズの絞り値を読み取れるように装備されているものです。
中古のニコンF3では、この機能が死んでいるものが多いらしい。
「イルミネーターが生きていたらラッキー!」なんだそうです。
私のF3はスイッチを押してみたら点灯。
ということは、私はラッキー!!
でも、この機能を今後役立たせるシチュエーションは、あまり考えられないです。
まあ単純にラッキー!と喜んでみるだけ。
そもそも、このニコンF3なるカメラも全然必需品とは言えませんから。