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新宿東口40年前の風景-1 ― 2013年07月14日
学生時代も社会人となってからも、新宿は縁のある街でした。
映画が好きで良く通ったし、西口のヨドバシカメラも大好きでした。
「若者の街」と言われた通り、伊勢丹などの一部のデパートを除いては、
高級感というか、そんな雰囲気は希薄で、それも良かったです。
たまたま撮影した東口の写真がありました。
1973年の3月の写真です。
学生運動などで新宿が騒がしかった頃は過ぎて、
西口の淀橋浄水場跡地に超高層ビルが建ち始め、
新宿副都心が本物になりつつある頃です。
中央に見える平たい屋根が地下街への入口部分です。
その奥に写っている大きなビルは小田急百貨店です。
右端に映画の広告が写っていて、シドニー・ポワチエ主演、
そして植込みで見にくいですが映画の題名「いつも心に太陽を」
と書いてあるのがわかります。
エンジニア志望なのに心ならずも貧しい地区の学校の教師となった黒人男性が、
不良ばかりの生徒を相手に、でも彼らを大人扱いする決心をして...
という1967年の映画です。
現在はこのようになりました。
歩行者用エリアが広がり、緑が増えて、やや小奇麗な感じです。
長髪の若者もいなくなりました。
でも、地下街入口の屋根は昔のままです。
小田急の壁面も変わりません。窓のパターンが同じでしょう?
40年以上昔と同じものを見つけると、意味もなく嬉しくなります。
右側の植込みに、
「無許可の路上ライブ・露店等は道路不正使用として罰せられます」
との警告が書いてあります。
地下街入口近くの昔の写真。
植込みの立ち上がり壁、ここって60年代はフーテンの溜り場でした。
ビニール袋にシンナー入れて吸引(いわゆるアンパン)してた若者がたむろしてました。
そして西口も東口も、ギターを抱えた若者が沢山いましたね。
この写真の1973年には不良フーテンもいなくなり、学生運動も下火になり、
新宿の毒気は駆逐されつつあったようです。
現在の様子。
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