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・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
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中秋の名月 ― 2013年09月19日
本日は「中秋の名月」。手持ちのカメラの中で、
最も高性能のはずのNikon D600にZoom70-300mmをつけて月を撮影。
普通の被写体と違うので何枚も失敗しました。
これでは猫に小判と言われそうです。
試行錯誤した後、2段アンダーにしてスポット測光方式で撮影し、
事後にコントラストを上げたらクレーターとか一応見えるようになりました。
最も高性能のはずのNikon D600にZoom70-300mmをつけて月を撮影。
普通の被写体と違うので何枚も失敗しました。
これでは猫に小判と言われそうです。
試行錯誤した後、2段アンダーにしてスポット測光方式で撮影し、
事後にコントラストを上げたらクレーターとか一応見えるようになりました。
レンズを変えて室内でお団子代わりのお饅頭を撮影しました。ウサギと栗です。

レンズを確認したら、何と手ブレ補正ボタンが「OFF」になっていた。
被写体が無くなっているので、取り直し利かず。
最新デジカメはボタンが多すぎて使いこなせません。
「目白の風」になったお風呂屋さん:目白浴場 ― 2013年09月21日
(前回)からの続きです。
馴染みの金泉湯がお休みの時は、別のお風呂屋さんに行きました。
一つは、先日紹介した「桃仙温泉」、ここは近いけど狭いです。
もう一つは、目白通り近くの「目白浴場」です。
こちらは、狭くはないけれども、遠かったです。
昔の航空写真に、道筋を白の点線で表示してみました。
馴染みの金泉湯がお休みの時は、別のお風呂屋さんに行きました。
一つは、先日紹介した「桃仙温泉」、ここは近いけど狭いです。
もう一つは、目白通り近くの「目白浴場」です。
こちらは、狭くはないけれども、遠かったです。
昔の航空写真に、道筋を白の点線で表示してみました。
途中、西武池袋線の踏切を越えて行くのです。
その道筋を懐かしみながら、先日歩いてみました。
モノクロ写真は40年前のものです。
まず、アパートの共用廊下から見下ろした所。
この道の突き当たりを左に(南の目白通り方向へ)行きます。
その道筋を懐かしみながら、先日歩いてみました。
モノクロ写真は40年前のものです。
まず、アパートの共用廊下から見下ろした所。
この道の突き当たりを左に(南の目白通り方向へ)行きます。
今の突き当たりの様子。変わりました。
100mほど行くと踏切です。
踏切を越え、河合編物服飾学園の前を通り過ぎます。
道路の先がクランクしていました。
今でもクランクしています。
そして、ずーっと歩いて行くとお風呂屋さんが見えてきます。
踏切からは250mくらい南です。
下の写真の中央、タイル貼りマンションの所が昔お風呂屋さんだったのです。
右隣に緑色で「りそな銀行」駐車場と書いてあります。
昔の「協和銀行」目白支店ですね。
大和銀行などと統合されて名前が変わったのです。
その南側はもう目白通りです。
近づいて写真を撮りました。
昔の「協和銀行」目白支店ですね。
大和銀行などと統合されて名前が変わったのです。
その南側はもう目白通りです。
近づいて写真を撮りました。
左のエントランスに「ヴィエント目白」と書かれた表札があります。
「目白の風」か?
元お風呂屋さんとは思えぬネーミングです。
1階がコインランドリーになっていて、
昔と同様に水を扱っているのがせめてもの名残かな?
ところで、銀行の建物って、隣の「りそな」のように、
名前は変わっても、ずーっと生き延びてますね。
一方、お風呂屋さんは、風に舞う落ち葉のように消えて行きます。
ここで、風呂屋通いの想い出を一つ。
ある時、終業時間ギリギリになってしまいました。
(というよりも、常にそうだった)
部屋の中を飛び跳ねるようにしてドアへ急いだら、
鴨居に頭をぶつけてしまいました。眼から「火花」が出ました。
思わずうずくまり、手で頭を押さえると指の隙間から流れ出た血が、
布団に染み込んで、更に畳まで汚してしまうほどの量でした。
女房が呼んだ救急車に乗せられて病院へ。
保険証はちゃんと持ちました。(保険証の筆頭者は私の母でした)
救急隊員が保険証を見ながら私に問いかけました。
「この○○子さん(母の名前)は、あなたの奥さんですか?」
可笑しかった。私の意識が正常かどうか試していたのですね。
そして連れて行かれた池袋の救急病院、
当直の先生が出てくるなり、慣れた様子で、
「おーどうした? 喧嘩でもしたか?」と、
すっかりチンピラ扱いされてしまいました。
せめて、「暴漢に襲われましたか?」とか聞いて、
善良な一般市民の扱いをして欲しかったです。
その後、約一ヶ月ほど、ブクロのチンピラよろしく、
頭に包帯を巻いた無惨な姿で暮らしました。
教訓:お風呂屋さんには余裕を持って行きましょう。
眼から火花が出るってどういう事か、
その時の室内の情景を次のような絵にしてみました。
かなり正確に再現できましたよ。
「目白の風」か?
元お風呂屋さんとは思えぬネーミングです。
1階がコインランドリーになっていて、
昔と同様に水を扱っているのがせめてもの名残かな?
ところで、銀行の建物って、隣の「りそな」のように、
名前は変わっても、ずーっと生き延びてますね。
一方、お風呂屋さんは、風に舞う落ち葉のように消えて行きます。
ここで、風呂屋通いの想い出を一つ。
ある時、終業時間ギリギリになってしまいました。
(というよりも、常にそうだった)
部屋の中を飛び跳ねるようにしてドアへ急いだら、
鴨居に頭をぶつけてしまいました。眼から「火花」が出ました。
思わずうずくまり、手で頭を押さえると指の隙間から流れ出た血が、
布団に染み込んで、更に畳まで汚してしまうほどの量でした。
女房が呼んだ救急車に乗せられて病院へ。
保険証はちゃんと持ちました。(保険証の筆頭者は私の母でした)
救急隊員が保険証を見ながら私に問いかけました。
「この○○子さん(母の名前)は、あなたの奥さんですか?」
可笑しかった。私の意識が正常かどうか試していたのですね。
そして連れて行かれた池袋の救急病院、
当直の先生が出てくるなり、慣れた様子で、
「おーどうした? 喧嘩でもしたか?」と、
すっかりチンピラ扱いされてしまいました。
せめて、「暴漢に襲われましたか?」とか聞いて、
善良な一般市民の扱いをして欲しかったです。
その後、約一ヶ月ほど、ブクロのチンピラよろしく、
頭に包帯を巻いた無惨な姿で暮らしました。
教訓:お風呂屋さんには余裕を持って行きましょう。
眼から火花が出るってどういう事か、
その時の室内の情景を次のような絵にしてみました。
かなり正確に再現できましたよ。
火花というよりは、光のカーテンが、
ドドーンと眼前に降りてくるような感じでした。
本当にこんな事があるんですね。驚きました。
なお、ここにいる人物は、別な時に我家に遊びに来た友人で、
今回の事故とは関係ありません。
もう一つお風呂屋さんの話題です。
当ブログに何回かご訪問いただいたjbskさんは、
ピーコック近くに住み、
「目白聖公会」裏手のお風呂屋さんにいらしてたそうです。
それで、今回ついでに調べてみました。
昔の地図を見ると、該当しそうな場所にありました。
「ときわ湯」って書いてあります。
早速、今どうなっているか見に行きました。
ドドーンと眼前に降りてくるような感じでした。
本当にこんな事があるんですね。驚きました。
なお、ここにいる人物は、別な時に我家に遊びに来た友人で、
今回の事故とは関係ありません。
もう一つお風呂屋さんの話題です。
当ブログに何回かご訪問いただいたjbskさんは、
ピーコック近くに住み、
「目白聖公会」裏手のお風呂屋さんにいらしてたそうです。
それで、今回ついでに調べてみました。
昔の地図を見ると、該当しそうな場所にありました。
「ときわ湯」って書いてあります。
早速、今どうなっているか見に行きました。
やっぱりマンションです。「トキワハイツ」って名前が付いていました。
ひらがなが片仮名になりました。
ときわ湯と目白浴場の中間に位置する「目白聖公会」は昔のままです。
ひらがなが片仮名になりました。
ときわ湯と目白浴場の中間に位置する「目白聖公会」は昔のままです。
山吹の里に怪獣ゴジラ現る ― 2013年09月22日
白い磯着姿のあまちゃん ― 2013年09月27日
式年遷宮の今年、やっと伊勢神宮にお参りできました。
前日は近鉄電車で鳥羽市まで来て、鳥羽国際ホテルに宿泊。
夕方、ホテルのテラスから海を眺めると、遠方にミキモト真珠島が見えました。
下の写真中央の建物とその右側の小山がそれです。
前日は近鉄電車で鳥羽市まで来て、鳥羽国際ホテルに宿泊。
夕方、ホテルのテラスから海を眺めると、遠方にミキモト真珠島が見えました。
下の写真中央の建物とその右側の小山がそれです。
そして、20年前に伊勢を訪れた時、
この「ミキモト真珠島」に立ち寄った事を思い出しました。
(今年は残念ながら立ち寄るだけの時間的な余裕がありませんでした)
真珠王として名高い御木本幸吉が、
初めて真珠の養殖に成功したのがこの島だそうです。
今は、ミキモト真珠島(MIKIMOTO PEARL ISLAND)
として「真珠」をテーマとした観光施設になっています。
真珠博物館や御木本幸吉記念館など、見どころ沢山です。
特に見逃せないのが
「美しい海を舞台に繰り広げられる海女の実演」です。
昔ながらの白い磯着姿の海女さんが、海に潜り、アコヤ貝を採取します。
下の写真のようにパールプラザ2階のレストランから
ゆっくり食事をとりながら眺める事ができます。
この「ミキモト真珠島」に立ち寄った事を思い出しました。
(今年は残念ながら立ち寄るだけの時間的な余裕がありませんでした)
真珠王として名高い御木本幸吉が、
初めて真珠の養殖に成功したのがこの島だそうです。
今は、ミキモト真珠島(MIKIMOTO PEARL ISLAND)
として「真珠」をテーマとした観光施設になっています。
真珠博物館や御木本幸吉記念館など、見どころ沢山です。
特に見逃せないのが
「美しい海を舞台に繰り広げられる海女の実演」です。
昔ながらの白い磯着姿の海女さんが、海に潜り、アコヤ貝を採取します。
下の写真のようにパールプラザ2階のレストランから
ゆっくり食事をとりながら眺める事ができます。
中央に写っている赤い屋根の船が、海女さんの乗っている船です。
上の写真右手に写っているのが「海女スタンド」で、
ここからですと、本当に間近に実演を観賞できます。
上の写真右手に写っているのが「海女スタンド」で、
ここからですと、本当に間近に実演を観賞できます。
上手な海女さんであれば、美しい「磯笛」を聴かせてくれるかも知れません。
もっとも、この「磯笛」なるもの、
水中作業の途中で、水面に顔を出した海女さんが、
苦しい呼吸を整えるために自然に発する声だそうです。
そのせいか、美しいけれども、ちょっと物悲しく聞こえたりします。
下記のページで聴く事ができます。
当初載せていた下記紹介ページは「Not Found」となったため、
2021/03/29に改訂しました。
波間に響く、か細い音色
伊勢志摩地方の風物詩
海女の磯笛
この実演は一年中、真冬でもやっています。
冬場の実演で体が冷えた海女さんは、
終わるとすぐにお風呂に入って体を温めなければなりません。
そのため、お風呂を備えた「海女小屋」が島内にあります。
(相撲で言うところの支度部屋みたいなものです)
島の裏手に廻って運が良ければ、
海女小屋に出入りする海女さんに出会えるかもしれません。
伊勢志摩地方の風物詩
海女の磯笛
この実演は一年中、真冬でもやっています。
冬場の実演で体が冷えた海女さんは、
終わるとすぐにお風呂に入って体を温めなければなりません。
そのため、お風呂を備えた「海女小屋」が島内にあります。
(相撲で言うところの支度部屋みたいなものです)
島の裏手に廻って運が良ければ、
海女小屋に出入りする海女さんに出会えるかもしれません。
この写真の三人は、これから船に乗り込んで、実演へ向う海女さんです。
白い磯着を身に纏っただけの素潜りの海中作業って、
昔の海女さんの仕事は過酷なものだったろうと思います。
その磯着姿を見る事ができるのは今では、この真珠島だけです。
下の写真は素潜りの様子です(著作権が放棄された写真)。
白い磯着を身に纏っただけの素潜りの海中作業って、
昔の海女さんの仕事は過酷なものだったろうと思います。
その磯着姿を見る事ができるのは今では、この真珠島だけです。
下の写真は素潜りの様子です(著作権が放棄された写真)。

みな冬場は黒のウェットスーツ姿で勇ましい感じです。
聖母坂のお風呂屋さん:福の湯 ― 2013年09月30日
目白通りを目白駅からずーっと西へ歩いて行くと、
山手通りの少し手前で、南へ緩く下って行く坂道と交差します。
この坂道が「聖母坂通り」と呼ばれるのは、
通りの途中に聖母病院があるからです。
現在2歳半になる私の初孫は、この病院で生まれるはずでした。
出産間近の娘を車に乗せて、検診に来たりしていました。
でも、予定日の約一ヶ月前に福島原発で水素爆発があり、
東京の水も汚染されてしまったので、
急きょ娘の夫の実家近くに疎開させ、病院も変えました。
あの時期、東京から地方へ疎開した妊婦さんが沢山いたそうです。
「聖母」の名前の通り、親切なスタッフの多い病院だったので少し残念です。
それに、私自身、40年前この近くに住んでいたため、
何となくこの近辺に愛着があるのでした。
今回のテーマは、その頃に通ったお風呂屋さん「福の湯」です。
この屋号、「福音」の「福」を連想させて、
「聖母」坂近くのお風呂屋さんに相応しいですよね。
去年、「目白5丁目で自分探し?」でこの周辺を調べた時、
福の湯が健在である事は確かめていました。
でも、それから一年以上経過しているので、油断はできません。
上り屋敷周辺で馴染みにしていた三軒のお風呂屋さんが、
最近のきなみ消失してしまったトラウマがあります。
とにかく現況の確認が必要です。
かつての生活エリアを目指して、目白通りを西へ歩いて行きました。
実は、聖母坂通り手前に、目白通りから福の湯へ通ずる狭い裏道があります。
通りから覗き込むと、何と「福の湯」の広告が出ていました!
一安心。でも、ここから福の湯入口に直行はしません。
昔を思い出しながら、通い慣れた道を歩きたいからです。
スタートはここ。
かつて住んでいたアパート「石々荘」前の路地です。
昔を思い出しながら、通い慣れた道を歩きたいからです。
スタートはここ。
かつて住んでいたアパート「石々荘」前の路地です。
この近辺、「石々荘」はもう消えてしまいましたが、
良く見ると昔ながらのアパートも少し残ってます。
多分その多くは風呂無しでしょうから、
それで福の湯もやって行けてるのですね。
ちなみに、「石々荘」の室内はこんな感じでした。
大変散らかっていますが、南西の角部屋。
南向きの窓から射し込む光が、カーテン越しでも眩しいくらいでした。
良く見ると昔ながらのアパートも少し残ってます。
多分その多くは風呂無しでしょうから、
それで福の湯もやって行けてるのですね。
ちなみに、「石々荘」の室内はこんな感じでした。
大変散らかっていますが、南西の角部屋。
南向きの窓から射し込む光が、カーテン越しでも眩しいくらいでした。
六畳一間の独り住まい、家賃はポッキリ壱万円。と「一」づくしでした。
ついでながら、仲介してくれた駅前の不動産屋さんが言うには、
「東隣は女子大生、北隣は中年女性、いずれも独り住まい」との事でした。
その言葉で、私に何を伝えるつもりだったのでしょうか?
実際入居してみると、
東側からはボソボソ言ってる男の声が毎日聞こえてくるし、
北側からは御念仏を唱える声が伝わってきてました。
さて、福の湯への道、歩いてみると小綺麗な建物が多くなりました。
道幅は相変わらず狭いのが、少し懐かしいです。
ついでながら、仲介してくれた駅前の不動産屋さんが言うには、
「東隣は女子大生、北隣は中年女性、いずれも独り住まい」との事でした。
その言葉で、私に何を伝えるつもりだったのでしょうか?
実際入居してみると、
東側からはボソボソ言ってる男の声が毎日聞こえてくるし、
北側からは御念仏を唱える声が伝わってきてました。
さて、福の湯への道、歩いてみると小綺麗な建物が多くなりました。
道幅は相変わらず狭いのが、少し懐かしいです。
ほとんど自転車くらいしか通らないので、安心して歩けます。
最後に聖母坂通りを横切ります。
最後に聖母坂通りを横切ります。
ここだけが大きい車の通る道でした。注意が必要です。
その点に、昔も違和感を覚えた事を思い出しました。
聖母坂通りのこちら側と向こう側の道、
今は分断されてしまいましたが、元々は繋がっていた事が感じられます。
洗面器を抱えて夜中にお風呂屋さんへ向う時は、
車を気にせずに歩きたいです。
広い道路は街を分断します。
この聖母坂通りは、旧道も何もなかったところに、えいやっと造られたらしいです。
昭和7年の地図には無く、昭和12年の地図に突然この直線道路が登場します。
(その後、聖母坂通り西側に、山手通りまで造られてしまいました)
その点に、昔も違和感を覚えた事を思い出しました。
聖母坂通りのこちら側と向こう側の道、
今は分断されてしまいましたが、元々は繋がっていた事が感じられます。
洗面器を抱えて夜中にお風呂屋さんへ向う時は、
車を気にせずに歩きたいです。
広い道路は街を分断します。
この聖母坂通りは、旧道も何もなかったところに、えいやっと造られたらしいです。
昭和7年の地図には無く、昭和12年の地図に突然この直線道路が登場します。
(その後、聖母坂通り西側に、山手通りまで造られてしまいました)
これは聖母坂通りから入って、福の湯直前。
前方の屈曲部がお風呂屋さん入口です。
このように健在でした。
前方の屈曲部がお風呂屋さん入口です。
このように健在でした。
そして、良くあるパターン、コインランドリー併設です。
昔通ったお風呂屋さんをシリーズで思い出していたら、
また、お風呂屋さんへ行きたくなりました。
できれば同じ町内にあって、狭い路地だけで行けるところがいいです。
洗面器にタオルと石けんを入れて、つっかけ下駄はいて、
冬には半纏を羽織って、湯上がりにコーヒー牛乳を飲んで、
そして、先に出た連れが外で待ってくれているのが理想ですね。
最後に、「半纏」ってこれです。
電気コタツと共に、アパート住まいの必需品でした。
(この項終り)
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