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伊勢神宮の40年前の景色:内宮2 ― 2013年10月08日
その杉木立を迂回するように右側に廻ったところが正面です。
正宮には、参道の奥(東側)と手前(西側)の二つの敷地があります。
1973年に下の写真を撮影した時、皆さんがお参りしている現社殿は東側でした
正宮には、参道の奥(東側)と手前(西側)の二つの敷地があります。
1973年に下の写真を撮影した時、皆さんがお参りしている現社殿は東側でした
今年も同じ状況ですが、「遷御の儀」に備えて、
石段と通路に仮設屋根がかかっていました。
石段と通路に仮設屋根がかかっていました。
次は西側の73年の写真です。
板垣越しに外玉垣南御門の真新しい萱葺(かやぶき)屋根が見えています。
この屋根が92年には次のように苔むしていました。
この屋根が92年には次のように苔むしていました。
そして翌年の御遷宮の年に、ここには次のように仮設屋根がかけられました。
93年には、ここから大御神がお出になりました。
今年も次の写真のように仮設屋根がかかっていますが、
今度は、こちの新正殿にお戻りになられる番ですね。
今年も次の写真のように仮設屋根がかかっていますが、
今度は、こちの新正殿にお戻りになられる番ですね。
「遷御の儀」は先週の10月2日に済んでいるので、
既にこちら側が現社殿になっているはずです。
一般人は外側の御門から参拝するだけで「御正殿」には近づけません。
こんな感じで、樹木と板垣越しに、それこそ垣間見るだけです。
既にこちら側が現社殿になっているはずです。
一般人は外側の御門から参拝するだけで「御正殿」には近づけません。
こんな感じで、樹木と板垣越しに、それこそ垣間見るだけです。
「御正殿」の建築様式は「唯一神明造」といいます。
この様式を間近に確認できる建物が正宮の西側にあります。
一つは御稲御倉(みしねのみくら)です。
もう一つは外弊殿(げへいでん)です。
どちらも「神明造」の様式で造られています。
建物の妻側壁面から少し離れた位置に立つ棟持柱が特徴的です。
地面の中に先端を突っ込んだだけで基礎を持たない所謂「掘立柱」です。
柱の原始的な工法にも関わらず、屋根を見ると実に繊細な意匠です。
風穴を穿たれた千木の繊細さとか、
棟上に並べられた鰹木の微妙な丸さ加減とか実に不思議ですね。
この純朴でかつ研ぎ澄まされた美しさを持つ建物は、
何時間見ても飽きる事がありません。
正宮の周囲を廻って裏手にまわると、
参拝客も少なくなり、落ち着いた雰囲気が味わえます。
上の写真の中央から左下へおりる階段があります。
その階段の1973年5月と今年の9月の写真を次に載せます。
その階段の1973年5月と今年の9月の写真を次に載せます。
石段の片側に手摺が追加されていますが、同じ景色です。
感じが異なるのは、樹木の茂り方や光の射し方のせいかも知れません。
この階段を降りたところに、
内宮の第一別宮である「荒祭宮(あらまつりのみや)」があります。
次の写真は1992年当時、築約20年の荒祭宮の社殿です。
左側に見える蔽いの中では新社殿が造られていました。
感じが異なるのは、樹木の茂り方や光の射し方のせいかも知れません。
この階段を降りたところに、
内宮の第一別宮である「荒祭宮(あらまつりのみや)」があります。
次の写真は1992年当時、築約20年の荒祭宮の社殿です。
左側に見える蔽いの中では新社殿が造られていました。
次の写真は上の写真と同じ場所に最近新築された新社殿です。
左側に旧社殿が少し写っています。
この旧社殿は、上の写真で蔽いの中に造られていたものです。
左側に旧社殿が少し写っています。
この旧社殿は、上の写真で蔽いの中に造られていたものです。















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