▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

興福寺に中金堂のあった頃2014年05月02日

藤原氏の寺として知られた奈良の「興福寺」、
次の写真は昭和48年(1973年)4月の撮影です。
昔の興福寺
左に中金堂、右に五重塔、その間に東金堂の屋根が少し見えています。

興福寺の伽藍のうち、中心となるのは「中金堂」です。
上の写真でも、裳階(もこし)を廻らせた格調高い外観が印象的でしょう?
和銅3年(710)、藤原不比等の創建だそうです。
しかし、何回も焼失と再建を繰り返して、
この写真の形で再建されたのは江戸後期です。
更にこの建物も近年の老朽化に耐え切れず、
2000年に解体されてしまったそうです。

先月、結婚式に参列するため、興福寺近くの「奈良ホテル」に宿泊しました。
チェックインまで時間があったので、久しぶりに興福寺へ寄ることにしました。
五重塔は次のように昔のままでした。
五重塔

中金堂跡地には、大きなシェルター(左側)が建っていました。
シェルター
このシェルターの中で、
約60億円をかけた中金堂の再建工事が行われています。
2010年に工事を開始し、2018年に完成予定です。

「ふーむ、41年前の私の記憶の風景を甦らせてくれるのか」
と嬉しくなりましたが、実は、ちょっと違いました。
何でも、再建工事では、創建当初の復元を目指すそうです。
ということは、「和銅3年」に戻るんです。
41年前どころか、約1300年前!の風景に、です。
なぜかというに、私が以前見て感心した「立派な」建物は、
中金堂の「仮堂」に過ぎなかったのですね。

つまり、次のような形に復元されるとのことです。
模型が展示されていました。
復元配置

鳥瞰写真

ちなみに、興福寺の中で最古の建物は次の「北円堂」です。
北円堂
この写真を撮影したのは41年前ですが、
この建物、承元(じょうげん)元年(1207年)着工といいますから、
何と約800年前からずーっと同じ姿なのですね。
必見です。

続く

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパム対策の質問をやむを得ず設定しました。お手数ですが当ブログタイトル「○○の風景」の○○を漢字で。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mejiro.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299670/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。