▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

東尋坊から永平寺へ(3)2014年04月02日

前回)からの続きです。

永平寺から次の目的地「平泉寺白山神社」を目指します。
これも苔むした幽玄な聖地と、知人のお薦めのスポット。
地元の人々は昔ながらに平泉寺と呼びますが、
それは神仏習合の時代が長かったからで、本来は神社なんですね。

参道の様子。杉の古木と苔むした石畳の雰囲気は永平寺に負けないです。
白山神社参道
次の写真は参道脇の御手洗池。
御手洗池補正後
泰澄大師がこの池(平泉)で白山の神の託宣を受けたことが神社の始まりだそうです。
次は二の鳥居です。
神仏習合鳥居
奇妙な形をしています。
神仏習合時代の名残でしょうか?
と書いてから、いい加減な判断をしてはいけないと思い、
手元にあった「神社と祭」という本で調べてみました。
主柱の前後に小柱を配したものを「両部鳥居」、笠木の上部中央に三角の部材(この例では小屋根)を乗せたものを「山王鳥居」とか「合掌鳥居」と呼ぶそうです。
いずれも神仏習合色の強い形態だそうですから、その両形式を兼ね備えたこの鳥居は、やはり「平泉寺白山神社」の歴史的変遷を物語っているわけですね。

二の鳥居から杉木立の奥に拝殿が見えます。
拝殿
これは江戸時代に再建された簡素な建物ですが、天正二年(1574年)の一向一揆の兵火により焼失した建物は、国内最大の拝殿だったそうです。

拝殿の奥にある御本社。
白山神社の御本社
そして、次の写真のように、この御本社を中心に左右に小ぶりのお社を配しています。
三山を祀る
白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っている、との解説がありました。
私がこの周辺を見物している十数分のあいだ、
御本社の前の女性三人はずーっとお祈りし続けていました。
現代の日本に不思議な光景でした。

「観光地化」された永平寺に比べると、白山神社は訪れる人も少なく、
無料の町営駐車場もまばらです。
町営駐車場
中央が、トヨタレンタで借りたラクティスです。
駐車場代が浮いた分で、ソフトクリームを食べました。
それにしてもソフト屋さんやって行けるのかな?

本日のお宿は福井市。でも、
福井市へのルートから少し回り道をして、「一乗谷」へ寄ることにしました。
ソフトバンクCMの白い犬のお父さんの故郷としても知られていますね。
そして、一乗谷朝倉氏遺跡は
戦国大名朝倉氏の城下町の跡がそっくり残っている場所として有名です。

日も傾き始め、目的地の「復元街並」に着いたのは4時20分。
施設の入場時間は4時30分迄でした。ぎりぎりセーフ。
そこは不思議な光景でした。
管理棟を出て、最初に目にする光景はこれです。
朝倉氏遺跡
何か、記憶の底からよみがえるものがあります。
街並の入口に近づくと、下の写真のように復元建家の屋根が見えます。
復元街並切出し
別にこんな家に住んだわけではないのに、懐かしさを感じます。

中に入ると、次のように道の両側に武家屋敷や庶民の町屋が再現されています。
道の両側に復元
家の中もリアルです。
復元された町屋の内部
次は武家屋敷。
武家屋敷の門
周囲を土塀で囲い、納屋や井戸も復元しています。
武家屋敷の井戸

見学が済んで、管理棟へ戻る途中で東側を眺めると、
山の斜面に夕陽が当たり日本の原風景という感じでした。
一乗谷風景
この付近に朝倉孝景の墓(英林塚)があり、
その麓の小道を歩く吉永小百合の姿が、
次の画像のように、ソフトバンクのCMとして放送されました。
一乗谷の吉永小百合
私は特にサユリストではありませんが、
この遺跡周辺を、私ももっと時間を掛けて歩いてみたかったです。
(尤も、Nikonのデジイチをぶら下げて歩くのは、この景観にそぐわないです)

この後は福井駅前のトヨタレンタまで直行しました。
それで本日の走行距離は96km。
ガソリン代は7リッター分で千円強でした。
最近の車は本当に燃費が良いです。

続く

東尋坊から永平寺へ(4)2014年04月03日

前回)からの続きです。

福井での宿泊先は、ホテルフジタ福井(旧福井ワシントンホテル)です。
平日のせいかビジネスマン風の男性が過半に見えましたが、
ロビーの壁には、2009年に天皇皇后両陛下が御宿泊された時の写真が飾られていて、
その落差に??でした。
要するに、ビジネスユースから皇室のご利用まで、
また、結婚式から各種宴会まで、全てがこのホテルでまかなえる、
”all in one”の懐の広いホテルなんですね。

朝食後、ホテル近くの福井城跡へ行きました。
福井城天守台
かつてここには壮大な天守が築かれていましたが、
寛文九年(1669年)の大火で焼失したそうです。

また、天守台の一部には崩れかけた石垣が残っています。
崩れた石垣
これは1948年の福井大震災で崩れたものです。
先日見た丸岡城、そしてこの福井城と、震災の被害がどれほど大きかったか分かります。

また、この一角には「福井」の地名の由来とされている井戸がありました。
その後方に写っているのは福井県庁。
福の井と県庁
火災で焼失した天守閣は再建されず、でも、立派な県庁舎として甦ったと言えるでしょう。
そう思うと、県知事は城主に、県庁職員はその家臣に見えてきます。では一般県民は?

この後、予定した帰りの電車まで時間があったので、
観光案内所のお嬢さんにお薦めスポットを訪ねたところ、
県庁の北にある「養浩館庭園(旧御泉水屋敷)」を紹介してくれました。
(最初の入力では、汚染水屋敷と変換されてしまいました)
この庭園は、福井藩主松平家の別邸を復元したもので、
数寄屋造りの御茶屋を持つ回遊式林泉庭園です。
回遊式庭園

御茶屋は下の写真のように雁行した間取りです。
右側から、御月見ノ間、御座ノ間そして櫛形ノ御間と呼ばれます。
御茶屋

次が御月見ノ間の雲窓から池をながめたところ。
御月見ノ間

次が同じく櫛形ノ御間からです。
櫛形ノ御間
各室、障子の桟の意匠を変えているところが数寄屋ですね。
丁度、この櫛形ノ御間で吉永小百合さんがスマホでメールしていました。
スマホを使う小百合さん
というのは嘘で、これはソフトバンクのCMです。
今回の旅行では、一乗谷といい、この養浩館庭園といい、
なぜか小百合さんとシンクロしてしまいました。

この御茶屋の中心となるのは藩主の寛ぐ御座ノ間だそうです。
私もそこに座って、藩主気取りでいると、
折しもウグイスがやってきて美声を披露してくれました。

今のデジカメは、そんな時すぐ動画も撮影できるので便利です。
とは言え、自らデジカメを操作する藩主では超軽量級ですね。

(終り)

今年の桜を総括する2014年04月04日

今更ですが、昨年の桜について気になっていたことがあります。
例年に比べて、花びらの色が薄いような気がしたのです。
これは、
・東日本大震災で地面が大きく揺れたせいだろうか?
・放射能を浴びたせいか?
・地球温暖化が原因か?
・私の色彩感覚が狂ってきたか?
・世の中に悪いことが起きる前兆ではないか?
などと一人で心配していました。

そして今年、また桜の季節を迎え、今回は特に異常を感じませんでした。
良かった \(^ ^)/
そんなわけで、目出たく今年の桜写真を総括したいと思います。
当家の写真班が各地で撮影した分も含んでいます。

今年のファーストショットはモノクロでした。
これは”ミノルタSR-7”用の135mmレンズの試写を目的に神田川まで行ったら、
桜が既に7分咲きになっていたのでついでに撮ったためです。
神田川の桜を撮る人々

神田川の桜モノクロ板
でも、これを見ると、さくらの花びらの色はモノクロながら、
それを愛でる人々の気持は十分写っていますよね。

と強がってばかりもいられないので、デジカメとiPhoneでも撮影。
まず定番、雑司が谷の法明寺です。
雑司が谷法明寺の桜

次は、超有名な六義園のしだれ桜。黒山の人だかりでした。
この写真、人物が写っていないことに意味あり。
六義園のしだれ桜

そして渋谷区は桜ヶ丘の坂道。
渋谷区桜丘の桜

名古屋市の桜。もちろん主役は桜ではなく、その樹の下の幼児です。
名古屋市千種区の桜

最後は神田川よりも有名な目黒川の桜。こちらの主役はカクテルか?
目黒川の桜

桜って皆んな写真に撮ろうとしますが、なかなか名作が撮れないです。
本物が文句なく美しいだけに、一番難しい被写体だと思います。

それで、方針を変えて、美しい人が美しい桜を、
「苦労して」撮っている姿を写真にしました。
まず、神田川にて手摺の隙間から。
隙間から

法明寺の参道にて。
桜にタッチ

ちなみに、昨年の桜の花びらの色の薄さについて、
私以外にも同様に感じていた人がいるようです。
私の勘違いでないとすれば、原因は何でしょうか?

ミノルタSR-7望遠レンズにフード2014年04月07日

先日ミノルタSR-7用の望遠レンズを修理しました。
『MC TELE ROKKOR-QD 135mm F3.5』という40年ほど前のレンズです。
その後、このレンズ用のフードも見つけて買いました。
箱も何もないむき出しの中古品でしたが、
フードの筒の外側に刻まれた『MC 135mm F3.5』の文字は鮮明でした。
適合レンズの種類・焦点距離・明るさを表示する文字です。
ステップダウンリング

ところが、フードを装着しようとしたら、ネジ込みの径が合いませんでした。
物差しで測ると、レンズは55mm、フードは52mmでした。
同名のレンズでも型違いがあったのか!
でも、こういう状況を助けてくれる商品があるんですね。
「ステップダウンリング55→52」という商品です。
上の写真の中央に置いてあるのがそのリングです。

これで繋ぐとこうなります。
中央に「55→52 JAPAN」の文字が見えます。
大きい径から小さい径へ

そしてカメラに装着したところ。
SR-7と135mmF3.5フード付き
小型のバズーカ砲のようになりました。
でも、これで余分な光線は完全にシャットアウトできそうです。

このレンズの良いところは、カメラと被写体との距離を十分確保しつつ、
モデルの自然なポーズと表情を引き出せることです。
しかも、大きさもこの程度なので手持ち撮影が可能です。

さっそく新目白通りで試写してみました。
まず、交差点で信号待ちをしている兄妹。
交差点の兄妹
なぜ兄妹って分かるかというと、
遊び友達のようには、はしゃいでない。
また、お互いに無関心なようでいて、心は通じ合っている風だ。
そんな感じが分かるでしょう?

次は、高戸橋にいた二羽のハト。
メスに言い寄るオスハト
私がカメラを向けても逃げようともしませんでした。
(私は少し離れて、しかも気配を消していました)
右の首が太くてごついハトがオスで、
左のホッソリとした首筋のハトがメスのはずです。
そして、メスに向かって何とか気を惹こうとしているオスと、
でもそっぽを向いて無関心なメスと、
二羽の関係性が写っています。(本当かな?)

ミノルタSR-7とスパンコールな日々2014年04月10日


ミノルタフラッシュデラックス
上の写真はミノルタ一の眼レフ用アクセサリー「フラッシュガン」です。
40年程前に、SR-7とレンズを質入れして、そのまま流してしまった時も、
「このフラッシュガンは質屋では受け取らないだろう」
と思って手元に残したままだったのです。

その後、ストロボ(エレクトロフラッシュ)の時代になり、
昔ながらのフラッシュは全く出番が無くなりました。
でも、先日ふと思い出して、
再入手したSR-7に装着して、記念撮影をやってあげたくなりました。

これを買った当時は、
「よし!これで暗闇でも写真が撮れるぞ」と心がときめいたものです。
中央の閃光球(フラッシュバルブ)は付いていませんが、
傘状に開いた金属製反射板の輝きは当時のままです。
何か、今は売れなくなった芸人が、
昔を懐かしんで当時のスパンコールの衣装を取出して着てみたようですね。

さて、このフラッシュガンをカメラに装着するには、
SR-7の場合、下のようなアクセサリーシューが必要です。
SR-7とアクセサリーシュー
中央の接眼レンズの上にかぶさった部品がそれで、最近買いました。

実は、去年もアクセサリーシューを買ったのです。
それもミノルタSR用、のはずだったのですが、
付けようとしたらサイズが微妙に合いませんでした。
それで、ヤスリで削って無理矢理付けました。

次の写真の左が旧、右が最近入手したものです。
新旧対比
旧の白矢印の部分にヤスリで削った跡が残っています。
でも、やはり記念写真に使うには本物が欲しくなり買い直したわけです。

次はもう一枚の記念撮影です。今度は望遠仕様にして撮りました。
フラッシュ望遠仕様
反射板の傘を、羽根一枚分すぼませると望遠仕様となり、
光が拡散する範囲が狭くなり、その分遠くまで光が届くようになります。

そしてこのフラッシュガン、畳むと次の写真のようにコンパクトになります。
フラッシュを折り畳むと
実に良く考えられています。
きっと孔雀の羽根から着想されたのだと思います。
傘を開いたところは、機能美の極致ですね。

しかし、この元祖フラッシュが活躍することはもう不可能です。
専用の閃光球も積層電池も、当然ながら既に製造中止になっています。
今やフラッシュと言えば昔のストロボをさす言葉になってしまいました。
また物入れの奥に戻すしかありません。

そういえば、今回このフラッシュを物入れから取出してきた時、面白い体験をしました。
下の写真のように裏蓋を開けた時です。
フラッシュのキャパシタ
この写真で、フラッシュの中に納まった筒状の物体は「キャパシタ(コンデンサ)」です。
その役目は、電池から供給された電気を大量に蓄えておいて、
カメラのシャッターが切られると同時に、
蓄えた電気を一気に閃光球に送り込んで「ボッ!」と光らせることです。
そのキャパシタを取出して、何気なく両端をつまんだら、
指先にピリリ!と電気が走ったのです。いわゆる感電です。

まさか、と思いました。にわかには信じられないですよね。
何十年も経っているのだから、完全に自然放電していると思っていました。
ところが、このフラッシュガンとキャパシタは、この何十年間、
電気を蓄えたままずーっと待機していたんです。
まるで、再度の出番を夢見て、暗い楽屋裏で待ち続ける芸人みたいです。
できることなら、もう一度「ピカッ!」って光らせてあげたかった。

ネット情報によると、
ストロボ付きの「撮りっきりカメラ」を壊してストロボ部分だけ取出し、
それを元祖フラッシュに組み込んで、
ストロボとして再生したツワモノがいるらしいです。
ちょっと誘惑的な改造ネタです。
せっかくだから、私も電気技術者の勉強をして、
その裏技に挑戦してみようかな、と少し考えています。