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興福寺に中金堂のあった頃2014年05月02日

藤原氏の寺として知られた奈良の「興福寺」、
次の写真は昭和48年(1973年)4月の撮影です。
昔の興福寺
左に中金堂、右に五重塔、その間に東金堂の屋根が少し見えています。

興福寺の伽藍のうち、中心となるのは「中金堂」です。
上の写真でも、裳階(もこし)を廻らせた格調高い外観が印象的でしょう?
和銅3年(710)、藤原不比等の創建だそうです。
しかし、何回も焼失と再建を繰り返して、
この写真の形で再建されたのは江戸後期です。
更にこの建物も近年の老朽化に耐え切れず、
2000年に解体されてしまったそうです。

先月、結婚式に参列するため、興福寺近くの「奈良ホテル」に宿泊しました。
チェックインまで時間があったので、久しぶりに興福寺へ寄ることにしました。
五重塔は次のように昔のままでした。
五重塔

中金堂跡地には、大きなシェルター(左側)が建っていました。
シェルター
このシェルターの中で、
約60億円をかけた中金堂の再建工事が行われています。
2010年に工事を開始し、2018年に完成予定です。

「ふーむ、41年前の私の記憶の風景を甦らせてくれるのか」
と嬉しくなりましたが、実は、ちょっと違いました。
何でも、再建工事では、創建当初の復元を目指すそうです。
ということは、「和銅3年」に戻るんです。
41年前どころか、約1300年前!の風景に、です。
なぜかというに、私が以前見て感心した「立派な」建物は、
中金堂の「仮堂」に過ぎなかったのですね。

つまり、次のような形に復元されるとのことです。
模型が展示されていました。
復元配置

鳥瞰写真

ちなみに、興福寺の中で最古の建物は次の「北円堂」です。
北円堂
この写真を撮影したのは41年前ですが、
この建物、承元(じょうげん)元年(1207年)着工といいますから、
何と約800年前からずーっと同じ姿なのですね。
必見です。

続く

神田川の鯉のぼり2014年05月03日

今年も神田川に鯉のぼりの季節がやってきました。
神田川に泳ぐ鯉

その光景を見て喜ぶ子供たちや、
すかさずスマホを掲げるお母さんたちを見るのも私の楽しみ。
神田川の鯉のぼりを楽しむ人達

10年ぶりの奈良ホテル2014年05月04日

前回)からの続きです。

10年半程前に、「正倉院展を観に行こう!」と急に思い立ち、奈良へ行ったことがあります。
その時に宿泊した奈良ホテル、とても好印象です。
いわゆる「クラシックホテル」は大好きなものですから。
奈良ホテル10年前の玄関
2003年の11月の写真です。

館内は随所に日本画が飾られ、画廊のようでした。
主食堂で、壁に掛かった絵を見て「良いですね〜」と感心したら、
親切にお給仕してくれていた女性が、
その絵について滔々と解説してくれたのにはビックリしました。

今年も同じように私たちを迎えてくれました。
今年の奈良ホテル玄関
お庭にチャペルがある事には、今回、始めて気が付きました。
「聖ラファエル教会」と言うそうです。
庭園の景色に溶け込むように、抑制的で上品なデザインをされていますね。

次も2003年の写真です。
ロビー上層への吹抜け部です。
10年前の奈良ホテルのロビー

このホテルを訪れる人は、皆ここの写真を撮るらしく、
長女の3年前のアルバムにも同じ場所の写真がありました。
奈良ホテルロビー階段
階段手摺の擬宝珠柱とか、2階の折り上げ格天井とか、
クラシックホテルらしさ満載です。
でも、長女が一番感心したのは朝御飯の美味しさだったのでしょう。
こんな写真が残っていました。
奈良ホテルの茶がゆ定食
これは奈良ホテルの朝食の中でも有名な「茶がゆ定食」ですね。

そして、先日も吹抜け部で写真を。
階段と吹き抜けのある空間は、物語の舞台にふさわしいです。
今年のロビー風景

そして、玄関前の変わらぬ姿。
玄関にロールスロイス
新郎新婦がロールスロイスのオープンカーに乗り込む所です。

この後、チャペルでの挙式を終えて、新緑の街へと走り去って行きました。
新緑の街へ再
街へ走り去ると言っても、
数分後には先ほどの玄関に戻ってくるのですけどね。
その数分間、道行く人達が皆、二人に向かって手を振ってくれたそうです。

続く

平城宮跡に何も無かった頃2014年05月07日

前回)からの続きです。

今回の奈良旅行では、京都・奈良間の交通には
行きはJR線(たまたま、乗換NAVIで早・安・楽だった)
帰りは近鉄線(普通はこちらが便利)
を利用しました。

近鉄線に乗ると、大和西大寺駅の手前で平城宮跡を通過します。
かつての平城京の中核部分で、約1km四方の平地です。
この遺跡も、以前は、打捨てられた農地のように見えました。
現在は、復元された建物が電車の窓から見えます。

これが平城宮の正門である「朱雀門」。1998年に復元されました。
平城宮跡の朱雀門

次の写真で、遠くに写っているのが2010年に復元された「第一次太極殿」です。
平城宮跡の太極殿
朱雀門の真北約800mに位置します。

いずれの写真でも、電車から建物までの空地は、伸び放題の草叢です。
この荒涼とした感じが、実に私好みの風景です。
遺跡って、先人の文化を学ぶ所であると同時に、
「栄える者も必ず滅ぶ」という歴史の非情さを教えてくれる場所でもあると思います。

次の写真は、41年前のこの場所の風景です。
二枚の写真を繋いだので、かなり横長になりました。
41年前の平城宮跡
もちろん朱雀門も太極殿もありません。
今となっては、どこからどの方角を撮った写真か、判別する事も不可能です。

そして次の写真は、この荒涼とした風景を私と一緒に見ていた人達です。
41年前の平城京跡を見る人達
ここは、遺構の発掘調査が済んだ後に、また盛り土をして遺構を覆った所でしょうね。
その盛り土の斜面の雑草の上に腰掛けて、皆、微笑んでいます。
およそ、歴史の非情さなど私達には関係ない、という顔です。
この後、41年の人生を生きて、今では彼らも歴史の真実を少しは実感したでしょうか?

(終り)

今年の凱旋門賞、日本馬は?2014年05月09日

最新のスポーツニュースによると、
先日の天皇賞で4着に敗れたキズナが、しばらく休養することが発表されたそうです。
原因はレース中の骨折です。
復帰予定は年末の有馬記念ということなので、
今年の10月にフランスのロンシャン競馬場で開催される凱旋門賞には
出走できないことになります。

凱旋門賞の楽隊

ロンシャン競馬場

カタールPrix
これらは2011年に凱旋門賞の観戦に行ったときのロンシャン競馬場の写真です。
「QATAR PRIX」の幟がはためいていました。
世界最高峰の伝統の一戦を支える実質スポンサーは
実はカタールの石油マネーなんですね。
石油王っぽい服装の方達がたくさんいました。
日本からカタールへは原油購入費として多額の金が流出しているので、
日本馬が凱旋門賞で優勝すれば、
金の流れが、日本→カタール→フランス→日本、となって
本当に「金は天下の回りもの」になります。

私が観戦した当日は、日本馬の「ヒルノダムール(牡4)」が出走していました。
勝負服
馬場にはこのように、騎手と調教師の写真が掲げられ、
その間には騎手が着用する「勝負服」が示されています。
これは馬主ごとに決まっており、レース中でも馬主はこの勝負服により、
多数の馬の中から自分の所有馬を直ちに見分けることができます。
(日本国内も同じ)

次の写真はレース中のヒルノダムール(中央)の写真です。
ヒルノダムール
見分け易いでしょう。

ロンシャン競馬場の馬券売場はこんな様子です。
ロンシャンの馬券売場
日本の馬券売場より格段に雰囲気が良いです。
私も一応ここでヒルノダムールの単勝馬券を少し買って応援しました。

その他、パドック(下見所)も次のように森の中の散歩道風で洒落てました。
パドック

お客さんも、こんな風にピクニック気分です。
ピクニック気分

さて、私の応援するヒルノダムール、当所の新聞では、ちょっと穴人気になっていました。
だから次の写真の、地下鉄駅から競馬場へ行く乗り合いバスに乗っていた時も、
私達に向かって「日本馬も出ているわね」と
わざわざ話しかけてくるおばさんもいたくらいでした。
ロンシャンへのバス

でも、結果は10着に敗れてしまいました。
優勝馬は「デインドリーム」という牝の3才馬。
人間の年齢で喩えれば、青年アスリートが女子高生に負けたような感じです。
今思えば、ヒルノダムール(Hiruno D'Amour)って何か甘ったるい馬名でしたね。
馬主が蛭川正文さんなのでヒルノだそうですが、何でアムールなの?
何か「昼下がりの情事」を連想させたりします。

翌2012年、やはり青年アスリートたる日本馬「オルフェーヴル」(牡4)が挑んで、
ほとんど勝ったと思ったゴール前で、人気薄のソレミア(牝4)に足を掬われました。
そして、昨2013年、世界最強馬に成長したのではないか、と関係者は期待し、
実際に1番人気に支持されたオルフェーヴル(牡5)でしたが、
なぜか、お転婆女子高生のトレヴ (牝3)に完敗しました。
レース後に調教師がもらした「世界には強い馬がいるんだな」の一言が、
世界の広さと競馬の奥深さを実感させてくれました。

さて、その昨年のレースにはキズナ(当時は牡3)も出走し、4着でした。
その後、着実に成長し4月初めの産経大阪杯では2番人気ながら圧勝劇を演じました。
だから先日の天皇賞も勝って、今年は無敗で秋の凱旋門賞まで突き進むはずでした。
ところが、その天皇賞で圧倒的な1番人気にもかかわらず4着と沈んだ上に骨折休養。
馬の運勢は分からないとしか言いようがありません。

ただ私が面白いと思うのは、
競馬における人気のリズムと勝負のバイオリズムの「ずれ」です。
99%の競走馬が「人気薄で好走し、次に、人気になって凡走する」パターンを踏みます。
多くの人が「強い馬だな」と認識した時は、
既にその馬のバイオリズムは下降しているのです。
先日の天皇賞のキズナがまさにそれでした。
前走の大阪杯で、
強さと同時に賢さ(レース中の騎手との折り合いの良さ)を示したキズナは、
長丁場の天皇賞でも勝つだろう、と誰もが(天の邪鬼の私も)思いました。
それが落とし穴なのですね。

40年間に、この落とし穴に何度もはまった私、実は少し賢くなっていました。
天皇賞では、キズナを連軸にした馬券を主に買いましたが、
その自分の判断を敢えて疑って、4番人気のフェノーメノからの馬券も抑えておきました。
それで何とか収支をトントンにすることができました。
人間も馬も「負けて、裏切られて、打ちのめされた」その後に少しだけ賢くなるというお話。

多分、今年の凱旋門賞には、キズナ以外の日本馬が一・二頭出走するでしょう。
そんな無欲の時の方が、案外勝てたりするんですよね。
来月の宝塚記念で儲けたら、またパリのロンシャンに行こうかな。
そして、原油代を理由に値上げされた我家の電気料金を少し取り戻してきたいと思います。

競馬の話(続く