▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

「ブラタモリ」の写真がGood!2015年04月23日

NHKのTV番組「ブラタモリ」が4月11日から全国版として復活しましたね。
初回は長崎。
去年遊びに行ったところだったので、それを思い出しながら楽しく見ました。
この番組、タモリと女子アナが、
ブラブラ歩きながら街に残る歴史の痕跡を解明していく、
という私好みの番組です。
45分間まったく飽きさせないのは、制作スタッフも優秀なんでしょうね。

旧番組の時は、タモリのお相手を務める女子アナは「久保田祐佳」さんでした。
今時珍しい超お嬢様的な女性で、
彼女のキャラクターも番組の視聴率UPに貢献していたはずです。
その重責を引き継ぐ女子アナ、今回は「桑子真帆」さん。
久保田アナの後では大変だろうな、と余計なお世話ながら心配していたら、
全然そんなこと気にしなさそうな現代っ子キャラでした。
番組の中で遠慮なく笑い転げている様子も自然体で楽しそう。
制作スタッフやアナウンサーなど、
NHKって○○以外は優秀な人材に恵まれているんですね。

そんな中でも今回、私が特に注目したのは、
番組のつなぎ部分やエンディングに挿入されるスチール写真です。
ブラタモリの写真1
出演者による「記念写真」的に映し出されるのですが、
人物の表情とかその場の雰囲気とかが素晴らしいです。
ブラタモリの写真2

録画の最後のクレジットを調べてみると、
「写真 山田大輔」とあるので、この写真家が撮影したものと思われます。
ブラタモリの写真家

そして、写真の色の乗り具合が「フィルムっぽい」のも良いです。
実際にフィルムを使っていてくれるのなら嬉しいし、
そうでなくデジタルカメラでこの質感を出しているとしたら、
それはそれで凄い才能なんでしょうね。
番組のテーマソングも、前回に引き続き井上陽水が良い味出してますよ。
NHKの視聴料、不払いにしようと思ったけれども、
もう少しだけ払い続けてみようかな?

お花にもお墓の雑司ヶ谷霊園2015年04月28日

雑司ヶ谷霊園には様々な形に加工された墓石があります。
先日見つけたのはこんな形。
不思議な墓石
まるで、カメラの透視ファインダーのようです。
昔の二眼レフに良くありました。
透視ファインダー二眼レフ
こうして覗いて見ると、平凡な風景も何か意味深く感じられます。
覗いてみると
最初の墓石は、きっとカメラ好きな方のものですね。
その他、次のように、丸く穿たれた石もありました。
丸い透視ファインダー
この霊園に眠る人は、カメラ好きが多いのでしょうか。

近くの霊園に自分の家のお墓があって、
天気の良い日に散歩がてらのお墓参りができたら良いな、といつも思います。
お天気の日にお墓参り
でも、都立の霊園の中でも、特にこの雑司ヶ谷霊園は「高嶺の花」。
だいたい、空き区画の募集そのものがほとんど無いようです。

そう思っていたら、のどから手が出そうな空地がありました。
区画に木杭
四角に区画杭が打たれているのは、これから工事をする目印でしょうか?
でも木の脚元は腐敗防止のために焼き杭になっています。
ということは、この木杭は長期間使われるはずです。
答えは、この空地の後ろではためいている幟にあります。
また、別の場所には、次のように完成形がありました。
下げ花置場
「下げ花置場」でした。
つまり、ここは墓前に供えられたお花の「お墓」なんですね。

そう思ったら、今度は「お墓のお墓」もありました。
お墓のお墓
これは、お墓の更新のために取り除かれた古い縁石の仮置場でした。

実際、今まさに製作中のお墓もありましたよ。
お墓施行中

そして、次のように完成間近のお墓を確認に来たお施主さんも。
お墓の完了間近
産院で、誕生したばかりの子や孫を見つめるかのような様子です。
お墓の完成
真新しい白御影が、隣の区画のベニカナメモチの紅色に映えていますね。

続く

雑司ヶ谷霊園40年前のプレイバック2015年04月29日

前回)からの続きです。

ここ数年、雑司ヶ谷霊園を訪れるたびに心がけていたことがあります。
それは、次の写真の撮影場所を特定することです。
40年前の雑司ヶ谷霊園
丁度40年前の5月に撮影したこの写真が、
霊園のどこの風景を切り取ったものなのか、そして、
その場所が今はどのようになっているのか、ずーっと知りたいと思っていました。
でも、広い霊園の中は同じような景色ばかりですし、
この写真にも「これ!」という明確な目印が写っていないので、
なかなか見つからなかったのです。

ところが、問題が解決する時って、意外にあっさり片付くものですね。
先日、見つけてしまいました。ここでした。
現況
当時と同じ"old Nikkor レンズ"を装着したデジカメで撮影してみました。
発見の決めては、画面右手の墓石です。
先端が少し細くなった自然石の板状墓石の形状が同じでしょう?

発見に至る経緯は次のようなものでした。
私は、普段は一人で雑司ヶ谷霊園を"walk & shoot"しています。
そして、40年前はこの坂道を上り、
清立院前の坂道
次の写真の入口から霊園に入ったはずだ、
霊園南入口1

霊園南入口2
などと考えながら、私自身の気分で"walk & shoot"し、
そのついでに昔の撮影地点を探していました。

発見したこの日は、いつもと違って女房同伴でした、というよりも、
女房が足の向くまま歩き、私は女房の後に付いて行ったのです。
途中、新たに設えられた休憩所で足を止めました。
霊園休憩所
「こんな所に休憩所があるんだ。これは良いね」
すると、その脇に「竹久夢二の墓」の案内標識がありました。
そして標識に導かれ、脇道を少し進むと夢二の墓がありました。
竹久夢二の墓
この夢二の墓の前に佇んで、更に先を見やると、
ずっーと探していた景色がそこにあったのです。

多分、この日の散策は、40年前の完全な「プレイバック」だったのでしょう。
1975年の5月4日、やはり女房の足の向くまま夢二の墓を訪れ、
夢二の美人画にちなんで?その墓前に佇む女房を撮影したのだと思います。
40年後の今年は、"iPhone_6_Plus"で撮ってみましたよ。
竹久夢二の墓の前で

また、撮影場所を特定する決め手となった墓石も撮影しました。次の写真です。
この墓石のおかげで、長年の課題が解決した訳です。
前世の琴子さん
割肌の表面に、「馬淵琴子墓」と彫られています。
40年ぶりにこうして写真におさまって下さった琴子さん、
私達とは浅からぬ縁があるのだと思います。
今頃は生まれ変わって、私の近くにいらっしゃるかも知れませんね。

(終り)