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目白の住人が目黒を散策1 ― 2013年12月06日
1960年代に製造されていた懐かしい広角レンズを入手しました。
ニッコールNikkor-S Auto 35mm F2.8 です。
昔使っていたけれども何らかの理由で手放してしまったカメラやレンズを再入手して懐かしむ、という私の「一大プロジェクト」の一環です。
早速同世代のカメラNikon Fの初代機に装着して、walk & shootを楽しむことにしました。
フィルムも白黒フィルムを詰めました。でも、この時期にお散歩すれば必ず紅葉の風景にぶつかるので、カラー撮影用にデジカメも用意しました。
ニッコールNikkor-S Auto 35mm F2.8 です。
昔使っていたけれども何らかの理由で手放してしまったカメラやレンズを再入手して懐かしむ、という私の「一大プロジェクト」の一環です。
早速同世代のカメラNikon Fの初代機に装着して、walk & shootを楽しむことにしました。
フィルムも白黒フィルムを詰めました。でも、この時期にお散歩すれば必ず紅葉の風景にぶつかるので、カラー撮影用にデジカメも用意しました。
これだけで機材の重量は2kgを超えます。
行き先は一応目黒の「林試の森公園」です。
まず目黒駅を降りて、目黒雅叙園の北西側の坂道を目黒川方面へ下りました。
行き先は一応目黒の「林試の森公園」です。
まず目黒駅を降りて、目黒雅叙園の北西側の坂道を目黒川方面へ下りました。
この辺の感じは、目白駅から神田川へ下る風景と似通ったものがあります。
坂道や階段ってやはり絵になります。
女性のポートレートも、階段での立ち姿が美人っぽく写るそうですよ。
最近人気のお台場などの真っ平らな東京湾臨海地区には、絶対真似できない貴重な風景です。
そして目黒川にて「お城発見!!」
坂道や階段ってやはり絵になります。
女性のポートレートも、階段での立ち姿が美人っぽく写るそうですよ。
最近人気のお台場などの真っ平らな東京湾臨海地区には、絶対真似できない貴重な風景です。
そして目黒川にて「お城発見!!」
『目黒エンペラー』ってまだ生き残っていたのですね。驚きです。
そういえば『目白エンペラー』って聞いたことないです。
やはり、似通っていると言っても、土地々々で違います。
途中、「目黒不動尊(瀧泉寺)」に寄りました。
仁王門を入ると早速の紅葉風景。
そういえば『目白エンペラー』って聞いたことないです。
やはり、似通っていると言っても、土地々々で違います。
途中、「目黒不動尊(瀧泉寺)」に寄りました。
仁王門を入ると早速の紅葉風景。
人物も銀杏もと欲張ると、撮影者はやはりのけぞらざるを得ないようですね。
この銀杏の脇に『水かけ不動』がありました。
モノクロ写真にぴったりの被写体です。
この銀杏の脇に『水かけ不動』がありました。
モノクロ写真にぴったりの被写体です。
ここから大本堂へは急な階段(男坂)を上ります。
のぼり切ると、なかなか良い雰囲気の空間です。
やはり土地の高低差があると世界が面白くなります。
上の写真で中央に写っている狛犬をアップで撮りました。
そして立派な大本堂。ご本尊は不動明王。
このお寺は、お参りする対象が沢山ありますので、
その一つ一つを巡っていると結構時間がかかります。
でも、それを一つ一つ勤めているお婆さんもいました。
次の写真は大本堂のお婆さん。
そして、大本堂裏手の『大日如来』にもお参りするお婆さん。
私がカメラを構えると、そこにお婆さんがまたいる、という巡り合わせでした。
まるで随行カメラマンになったような気分です。
大本堂左手には『微笑観音』という優しそうな仏様もいらっしゃいました。
まるで随行カメラマンになったような気分です。
大本堂左手には『微笑観音』という優しそうな仏様もいらっしゃいました。
数年ぶりに訪問してみて、改めて目黒不動の大きさに驚きました。
その全体配置図です。
ところで、私の地元である目白には、
「目白エンペラー」はありませんが、「目白不動」はありましたね。
目黒不動も目白不動も、いずれも五色不動の一つです。
翌日、目白不動を訪ねました。
高田二丁目の金乗院にあります。「宿坂」の坂下です。
(この日はカメラ無し、iPhone4で撮影)
金乗院縁起には目白不動に付いて次のように記述していました。
「目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は...関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和二十年五月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。」
いわば間借りしている感じでしょうか?
そのため、目黒に比べるとちょっとミニサイズです。
(この日はカメラ無し、iPhone4で撮影)
金乗院縁起には目白不動に付いて次のように記述していました。
「目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は...関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和二十年五月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。」
いわば間借りしている感じでしょうか?
そのため、目黒に比べるとちょっとミニサイズです。
この階段が「参道」なのですね。
地元民として「頑張れよ!」と応援したくなる可愛さです。
せっかくなので金乗院本堂裏手の墓地も見学しました。
これまで本堂前面の平地までしか来たことがなかったのです。
すると、思いがけず広大な墓地でした。
有名人の墓としては、由井正雪の仲間で槍術の達人「丸橋忠弥」の墓がありました。
地元民として「頑張れよ!」と応援したくなる可愛さです。
せっかくなので金乗院本堂裏手の墓地も見学しました。
これまで本堂前面の平地までしか来たことがなかったのです。
すると、思いがけず広大な墓地でした。
有名人の墓としては、由井正雪の仲間で槍術の達人「丸橋忠弥」の墓がありました。
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