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100年前の祖母に会う2014年08月03日

前回)からの続きです。

どんなに血の繋がりが濃くても、
会ったことのない人には「情」を感じることはありません。
私にとって、母方の祖母と、叔父(母の弟)がそういう人でした。

祖母は、そもそも母が子供の頃に亡くなっているのですから、
私が知る由もありません。
でも、母の死をきっかけに、
祖母の顔を知ることになるのですから不思議なものです。
次の写真は、母の遺品の写真の束から見つけたものです。
アルバムから剥がれ、バラバラになって保管されていた中の一枚です。
90年前の家族写真
そして、この写真が元々貼ってあったアルバムの場所を探しました。
剥がれた紙の痕跡や糊の形状から判断して、
この写真が戻るべき所は、次の場所であることが分かりました。
写真の台紙
脇のコメントには「お母様を入れた最後の家族写真になろうとは---」
と書いてあるので、「そうか、この人が私の祖母なのか」と始めて知ったのです。
1920年代後半の撮影と思われます。
この写真には四人兄弟が写っています。
私の母と、母から見て二人の兄と一人の弟です。

その十年くらい前、
多分1910年代後半に撮影された次の写真にも兄妹が写っていました。
幼少の母
まだ、弟は生まれていませんね。
そして、ざっと調べた限りこの弟さんの写真は、
一枚目の写真以外には残っていません。

この私にとっての叔父さんは、
私の生まれるずっと前にガダルカナル島で戦死したそうです。
日米が過酷な戦いを繰り広げた1942年のことと思われます。
つまり「こちら側の世界の」本人には会いようがありませんでした。
今回、一枚目の写真を見つけて、始めてお会いしたのです。
これからは「叔父さん」の言葉で、
この「坊や」の顔を思い浮かべることになります。

撮影時の年齢はマチマチですが、顔を思い浮かべられるようになって、
祖母と叔父さんへの情が少し生まれました。

それにしても、三枚目の写真に写っている女の子の何と可愛いこと!
これが私の母だったなんて。
コメントに「こんな時もあったのか」と母自身が書いています。
そして写真撮影から約100年経った今年、
私の感想も「こんな時もあったのか」です。
一枚の写真が残っているって、偉大なことですね。