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マルイシティ池袋が(井)だった頃(1)2014年09月14日

40年前に池袋西口を撮った私の写真に
「八十二銀行」という地銀支店が写っています。
40年前の八十二銀行池袋支店
この写真で右手奥に見える八階建ての建物が、「八十二銀行池袋支店」です。
写真が暗く、建物周辺に高い建物が無いので、荒野に一人立つ孤独な男って感じですね。
きっと地価も安く、進出費用が安く済むので選ばれた場所なのでしょう。
池袋駅西口って、そう思わせるような場所でした。

上の写真で、銀行手前のだだっ広い空き地は、今は芸術劇場となっている所です。
では銀行の裏手の空間は何でしょうか?
最近の風景は次のようになっています。
前面道路(劇場通り)越しに、東南側から撮りました。
現在の八十二銀行池袋
写真中央の八十二銀行は昔のままですね。
横連窓の外観に特徴があるので明白です。
そして、その奥は「OICITY マルイシティ池袋」です。
以前の名前は、丸井「ニュー池袋西口店」だったかな。

劇場通り北側からも撮ってみました。
マルイシティ池袋
ここが有名?な「池袋西口五差路」の交差点です。
昔とは比較にならないくらい人通りも増えていて、
この40年間の変貌ぶりに、改めて感心させられます。

40年前、即ち1974年の航空写真(国土画像情報DB)を調べてみると、
やっぱり八十二銀行の裏手は空き地で、
車が何台も写っているので青空駐車場であったことが分かります。
1974年の池袋西口五差路

この地に丸井が「ニュー池袋西口店」をオープンしたのが、
1977年2月だそうですので、
1975〜77年頃にすごい突貫工事で建設したのですね。
新宿東口40年前の風景-5 」でも記事にした通り、
丸井の拡大路線にスイッチが入った頃なのでしょうか。

続く

マルイシティ池袋が(井)だった頃(2)2014年09月17日

前回)からの続きです。

40年前の丸井は、今より駅に少し近い場所にありました。
下の写真が池袋駅西口から撮った昔の丸井です。
昔の丸井池袋西口店
中央に、「丸井のクレジット」って袖看板がありますね。
ロゴも「O|O|」ではなくて、懐かしい「(井)」でしょう?
このビルには、今はビックカメラが入居しています。
丸井からビックカメラへ
写真奥に見える「O|」が現在のマルイシティの屋上看板ですね。

昔の丸井の裏側(公園側)に懸垂幕の広告が掛かっている写真もありました。
「いいものお安くクレジット、かんしゃ決算」と書いてあります。
昔の丸井の懸垂幕
こちら側の現在の様子は下のようになっています。
ビックカメラの吊広告
雰囲気は随分変わりましたが、良く見るとこの一帯の建物は全部昔と同じですね。
このビル群、耐震性は大丈夫なのか?

調査ついでに、このエリアのめぼしいビル名を航空写真に落とし込んでみました。
池袋西口公園の写真改訂版
中央にローラースケート場がありますね。
その他、青字が当時の建物名、(黒字)が現在の建物名です。
ベースとした写真は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスのもので、
撮影日は1975年01月09日です。
そして、やや不完全ながらパノラマ写真も仕立てましたよ。
池袋西口の昔の写真

丁度、以前に「池袋、風俗と芸術の街」で作成したパノラマ写真の続きですね。
公園の西側を見てみると、東方会館と三越商事が目立っています。
この三越商事ビル、今では屋上の巨大看板は無くなりましたが、建物は健在です。
東方会館は超高層マンションに生まれ変わっていますね。
その様子が下の写真です。
旧三越商事ビル
三越商事なる会社は今は消えてしまったようです。
当時、「一つやまこし、二つやまこし、三つやまこし三越商事」
とかいうCMソングがあったとのこと。
この歌も記憶の片隅に、残っているような気がします。

この建物、次の写真にも残っていました。
撮影場所と方向は、航空写真に白い矢印で示しました。
ビルの隙間から三越商事
この路地は、池袋駅から上り屋敷の私のアパートへの帰り道でもありました。
今は次のような風景です。
現在のビルの谷間
東京芸術劇場に阻まれて、旧三越商事ビルは見えませんね。

でも、二つの写真を見比べると分かりますが、
何と!道路右手にある「街灯」が同じ形でした。近くで見るとこんな形です。
街灯
この古さ、明らかに40年前の街灯ですね。
根元の街灯番号をみると、[C8299 豊島区街灯]とありました。
街灯番号
街灯のポールは補強シートで覆われて何とか踏ん張っているようです。
そういえば、この写真を撮影したのは敬老の日の二日前でした。

(終り)

高田馬場の「さかえ通り」2014年09月21日

高田馬場駅から下落合方面へ向かう道、
雑多な飲食店等が立並び、飾り気というものが全く感じられない道です。
実はその雰囲気がちょっと好きで、
時々、散歩がてらカメラをぶら下げて通ります。

次の写真は高田馬場駅前のJR線路下。
高田馬場JRガード下
ここを写真右手に進むと次の「さかえ通り」。
高田馬場さかえ通り
通行人も皆かざらない人たちです。
アジアからの若者が多いのは、語学学校があるからかな。

この通りの終点は神田川に接します。
神田川1
この近辺の神田川は、親水性を高める施策とか全然考慮してなくて、
その「人間にそっぽ向いてる感じ」も、私は好きなんです。
神田川2

神田川3

さかえ通りから少し外れた場所の風景も、ちょっとざらついてます。
落書きとチラシ
チラシには日本語とハングルが。

マンションの車止めバリカーも、やや投げやりに傾いていました。
車止めバリカー

次の写真は、本当に飾り気のない樹木たち。
飾り気のない木
こういう気取りのない風景も悪くないです。

この日の使用機材は、
Nikon F2 + Nikkor 50mm/1.4 + Tri-X。
曇り空の日に、このTri-Xというフィルムを使うのが私の好みです。

学習院下に早くもギンナンの季節到来2014年09月22日

今月の中頃、新井薬師道を散策していると、
学習院の南側で路上に丸く黄色いものがいくつか落ちていました。
路面にギンナン
良く見ると、まがう方なき「ギンナン」の数粒。
ギンナンの数粒
9月もまだ第二週、ちょっと早すぎはしませんか?

銀杏の木の全体をiPhoneで撮るとこうでした。(デジカメ持っていなかった)
紅葉にはまだ早い
まだまだ緑鮮やかで、黄葉するのもしばらく先の感じでした。

そして昨日の日曜日、デジカメを持参して、望遠モードで見上げたところ、
銀杏の葉の中に黄色の塊がちらほら見えました。
ギンナンが塊で
この一部を拡大してみると、ギンナンが結構密集していることが分かります。
ギンナン拡大
そして路面には、車で潰されたギンナンの跡がだいぶ増えていました。

そういえば、ここに立並ぶ大銀杏たちは黄葉する時季にも個体差がありました。
だから、世間一般より早めにギンナンを落としていく樹もあって当然です。
ということで、これから秋も深まると、
この道は少しずつ「ギンナンの香る道」になっていくんですね。
そして早朝には、ギンナン拾いのビニール袋を下げた人たちがちらほら。

目白コマースからトラッド目白へ2014年09月23日

この前の日曜日は、秋とはいえ日差しが強かったですね。
下の「椿の坂」を歩く人たちも日傘で防御していましたよ。
椿の坂の日傘
坂の終りに近づくと、正面に小綺麗な建物が見えました。
椿の坂とトラッド目白
工事中の「コマース跡地ビル」の養生シートがほとんど外れたんですね。

早速、駅前の広場から全貌を撮影しました。
全景
外壁に取付けられた箱文字を見ると、
ビルの名称は「トラッド目白 TRAD MEJIRO」に決まったようです。
トラッド目白のロゴと看板
確かに外装の色使いも、今時珍しくトラッドで上品です。

クイーンズ伊勢丹など、主なテナントは事前の情報通りですが、
その他新しく決まったテナントのうち、
私個人としては中国料理の「南国酒家」が嬉しいです。
わざわざ原宿本店まで行かずに、同等の味が楽しめるかもしれないので。
建物は2ヶ月後の11月20日(木)オープンだそうです。

ちょっと近づいて、学習院西門手前の横断歩道からも撮影してみました。
トラッド目白の結婚式場
3・4階に入居する結婚式場「リュド・ヴィンテージ目白」の窓が随分大きいですね。
ここの横断歩道は、
学習院や川村学園や日本女子大などに通う女子大生が通る所なので、
窓を大きくして彼女たちにアピールすることを期待しているのでしょうか。
どんなディスプレイをするのか楽しみです。

トラッド目白がオープンすると「椿の坂」の印象も一段とオシャレになりますね。
ちなみに、坂の途中から40年前のコマースを撮影した写真を下の記事に載せてあります。
目白駅前コマースの事
40年前、道路には歩道もなかったし(線引きだけ)、隔世の感があります。