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50年前の江の島稚児ケ淵2017年07月02日

前回)からの続きです。

先日宿泊した鎌倉プリンスホテルの目の前は七里ヶ浜。
到着した日の夕方、堤防の上から浜越しに「江の島」が見えました。
七里ヶ浜から江の島
「五十年ぶりに江の島に行くのも良いかも」と急遽旅程を変更。
翌日江ノ電に乗って行きました。
02江ノ電七里ヶ浜

江ノ電江ノ島駅
次の弁天橋はすんなり渡りましたが、
弁天橋
島内の階段はそれなりに登りがいがありました。
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事前調査も何もしてなかったので、
屋外エスカレーターがあることを知ったのは、半分ほど登った後でした。

ともかく、途中は次のような絶景を楽しみながら
06
辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)に奥津宮(おくつみや)などを巡り、
島の南西側の岩場まで上ったり降りたりしました。
最後に急勾配の階段を降りて、
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目の前が開けるところ。
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ここが「稚児ケ淵」と呼ばれる岩棚です。
パンフレットによれば、「稚児ケ淵の名は、
鎌倉相承院の稚児白菊がこの淵に投身したことに由来しています」
だそうです。

岩棚の上に整備された歩廊を行くと、
稚児ケ淵の歩廊
「岩屋」の入口がありました。
江ノ島岩屋入口
次の写真で、入口の左側の切り立った崖の僅かな平場に、
モルタルで設えたような階段の名残が見えるでしょう?
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歩廊が整備される前は、
この恐ろしい階段を伝って、岩屋に辿り着いたのでしょうね。
身軽でないと江の島観光はできなかったですね。
岩屋の中に入ると、一人々々に「手燭」が配られました。
江ノ島岩屋の手燭
この一本の蝋燭の光を頼りに洞窟の中を巡りましたよ。
次の写真が「江島神社の発祥の場所」
江島神社発祥の地
「欽明天皇13年(552年)にこの地に鎮座されました」とあります。

さて、歩廊の途中でこんなものが見えました。
江ノ島稚児ケ淵の亀石
「亀石」です。
この亀にまたがると「竜宮城」へ連れて行ってくれるらしい。
行ってみたいものです。

この江の島の自然の中で最も印象的な稚児ケ淵ですが、
何と五十数年前に、ここで撮影した写真がありました。
50年前の江ノ島の稚児ケ淵
東京に戻ってきてから、「もしや?」と思って探してみたら、
むかし修学旅行で江の島を訪れた時の写真が一枚だけ残っていたんです。
しかも、写真中央で海を見つめる後ろ姿の少年、
これは私自身に違いありません。
多分、竜宮城へのお迎えの亀を待っているところでしょう。

そんなこんなで、江の島観光を終えました。
「また同じ道を戻るのも芸がないな」と思い、
帰りは船に乗ることにしました。
稚児ケ淵の一角に船着場があり、そこから弁天橋の中央部まで10分弱の船旅です。
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江ノ島べんてん丸
船の名前は「べんてん丸」。
要は乙姫様ではなく弁天様がお迎えに来てくれたってことなのかな。
船を降りれば竜宮城ならぬ現実の世界です。
丁度半日の観光を終え、お昼時になりましたので、
定番の「しらす丼」を食べました。
江ノ島でしらす丼

続く

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