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目白(上り屋敷)の入口2012年11月12日

約40年前、池袋から目白のアパートへ帰る途中に、「ここからが目白」と感じる場所がありました。その手前とその先とでは、道路幅や街区の大きさが全く異なっているのです。

まず、池袋に近い側を見てみます。次の写真は池袋駅の南西にある交差点「池袋警察署前」から西側の立教大学方面を眺めたものです。
西池袋通り
写真中央で前方に伸びている道路は「西池袋通り」(補助172号線)と呼ばれ、立教大学の南側を通過して山手通りまで通じています。
ビックリガードからこの交差点までの部分は昔からありましたが、ここから山手通りまでは昨年3月に開通したものです。

同じ交差点から今度は南側を見てみます。次の写真です。
劇場通り
これは「劇場通り」(補助73号線)と呼ばれ、東京芸術劇場の西側を南北に走る道路です。
しかし、写真で見るように勤労福祉会館の脇で突然途絶えてしまいます。上り屋敷の住宅群に突き当たってしまうのです。この先は細い道しか通っていません。
この状況は昔も今も同じです。つまり、この40年間、補助73号線の計画は実質的にはほとんど進捗していないという事が分かります。

この場所を私は「目白の入口」と勝手に呼んでいました。
ここから先は道路といっても3〜4m幅の狭い路地ばかりになるのです。

1974年2月初旬の夕暮れ時、池袋から我が家へ帰宅する途中の路地を撮影した写真がありました。
典型的な上り屋敷の路地です。どこで撮影したかは覚えていません。
完全に露光不足の写真でしたが、先日フィルムからスキャニングし直して、更にphotoshopで手を加えて何とか物の形が分かる程度まで頑張ってみました。
昔の路地
いつもの様に撮影場所を特定するための手がかりを探しました。
道路は左にカーブしています。道幅は4m弱でしょうか。写真右側に、消火器と裏向き二段の道路標識とがあります。
左側には大谷石と思われる石塀があり、塀の上に小屋根が二つ見えます。雪の積もり具合から平屋根のようです。
樹木の形状も特徴的ですが、何せ約40年ほど前のことですからあまり参考にはなりません。伐採されている可能性の方が高そうです。

昔の写真を手に、地域を歩き回りましたが撮影場所は特定できませんでした。
やむを得ず、道幅が同程度で左カーブしている道を三カ所に絞り込んで、とにかく撮影してきました。下の三枚です。
現在の路地
昔の写真も含めて、いずれも典型的な目白の風景です。昔の撮影場所の40年経過後の姿はこれですと簡単に正解に行き着かないのも当然かも知れません。

それで、1974年当時の航空写真の助けを借りる事にしました。それぞれの撮影場所と方向を、番号と矢印で示します。
1974年の航空写真
ルーペで航空写真を観察したところ、[3]の所に小屋根らしきものが2枚、辛うじて確認できました。[3]が正解でした。
それにしても様変わりしたものですね。建替える時に昔の家の形を再現する人はいないようです。

数日後、昔の撮影地点を再訪して周囲を眺めてみました。
「そう言えばここで撮影したような気がするな」と思えるから不思議です。
作られた記憶とでもいうのでしょうか? 妙に懐かしいのです。
(2016/04/27追記:これは本当に「作られた記憶」でした。正解は別にありました。その経緯は「修正された記憶:目白の風景」として纏めました)
再訪したついでに昔と反対方向の路地を撮ってみました。
丁度、西武池袋線が通過する所でした。
池袋線の見える風景
これも目白の典型的な路地風景です。
左側に住宅の建築現場がありました。職人さんが帰り支度を始めていました。
このようにして少しずつ風景が更新されて行くのですね。
また、バイクの右側に消火器が写っています。

昔の写真にも写っていたように、消火器も目白の欠くべからざる点景です。
今も路地の至る所に取り付けられています。
消火器
この消火器は大型消防車が活動できない道には良く見かけます。
イザという時、どれほど役に立つのか疑問ですが、少なくとも注意喚起の役割はあるかも知れません。それに、厄除けかお守りとしてもあった方が良いですね。